異常者ではない男はわたしでも
普通の男が「異常者」として描かれる物語。
1年間不眠症に悩まされろくな睡眠をとれず幻覚を見るほどに憔悴しきっている男は、その暮らしぶりから周りにも奇異な目で見られながらも日々生きている。物語が進むにつれて男がどうして不眠症になってしまったのかに気づいたとき、わたしは心拍数と体温が上がった。
男は本当に異常者か?良心があるが故に壊れる人間。
この男は善悪の判断がつかないような精神異常者では全くなかった。むしろ人間らしく心優しい良心を持ち合わせていたがために大きな罪悪感に苛まれていた結果、不眠や幻覚に陥ってしまっていたのだった。ただただ悲しい。良心が人を壊すなんて…。そんなことなら良心なんて持たないほうがどんなに楽に生きられることか…なんて思ってしまいそうだが、わたしはそこまで落ちぶれちゃいない。世の中には人を傷つけても平気で笑い、自慢気に武勇伝として自分の悪さを語り酒をあおぐ人種がいる。かたや、罪悪感に苛まれ周りからは異常者扱いされながら日々を怯えながら暮らすこの作品の男のような人種もいる。果たしてどちらが異常者と言えるのか…。良心を捨てられず精神が壊れても怯えながら苦しみながら生きているほうがよっぽど人間らしいとわたしは思う。人間らしさに異常性は要らない。しかし世間というメジャー主義の怪物は、表面的なものでしか判断してくれないことのほうがほとんどだ。ただ男を全面的に擁護するわけではない。なぜならこの男はこのような不幸な状況を自らの弱さによって作り出していたのだから。事故の罪からの逃避だ。何よりそれこそがこの男を支配する罪悪感の原因だった。この男を不幸にしたのは良心と弱さ。そう、誰でも持っているもの。人間なら失くしてはいけないもの。男は決して異常者ではない。むしろ凡人。優しいくらいに。近所のおじさんも会社の同僚もはたまたわたしも、この男になる可能性は十分あるということを知っておかなければならない。この映画がこんなにもわたしの心に残っている一番の理由は、ラストにある。
誰にでも救いはある。
この映画のラスト、目をそらし続けてきた自分の犯した罪にやっと向き合い男は留置所に入る。男は1年間ぶりに睡眠らしい睡眠をとるのだろうと想像させる。「救われた…」と呟きたくなる安堵に涙が止まらなかった。真っ白な衣服を着せられ真っ白な部屋の壁にもたれ目を閉じて眠りに就く男のシーンで映画は終わる。平凡で弱いわたしを見たような気がした。
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