誰を責めるべきなのか
不運な事故
ある日起こった倒木事故
根腐れしていた木が強風によって倒れてしまい
木の下敷きになって命を失ってしまった2歳の男の子。
なぜこんなことが起きたのか?
不幸の連鎖
この事故には
沢山の人々が関わっていた。
定年退職後に犬を飼いはじめた老人。
散歩中に犬が木の下にフンをしてしまったが
腰が痛いとゆう理由で片付けることをせず
そのままにしてしまった。
そのフンを始末しようとした市の職員。
近くにいた子供達に「あんな仕事は嫌だ」と言われたことが癪に障りそのまま帰ってしまった。
環境破壊だと街路樹の伐採を反対していた主婦。
木の点検をしようとした造園業の男。
だが、木の下にあったフンが嫌で木に近寄ることが出来ずその木だけ点検をしなかったことにより
気付かなかった木の根腐れ。
そして事故が起こった。
事故直後、男の子はまだ息をしていたのだ
だが、まだ続く不幸の連鎖。
待ち時間がなく診察してもらえるとゆう理由で
救急外来を利用していた大学生。
それを聞き、話を拡散した大学生。
その情報のせいで混雑していた近くの病院への要請は断られてしまう。
別の病院へ向かうが道が混んでいて進まない。
車庫入れがうまくできなかった女性が
車を放置し逃げ出してしまった為に
道が塞がれていたのだった。
そして男の子は息をひきとった。
誰も悪者にはなりたくない
この物語には、ここに書いていない人物もいます。
新聞記者をしていた被害者の父親によって調べた事故の内容、原因、関わった人々
話を聞きに行くと「私だけが悪いんじゃない」 と謝罪の言葉など皆無。
ほとんどの人は怒りを露わにする。
確かにそうです。
1人1人の罪とも言えない小さなマナー違反
そして父親自身も思い当たる事があった。
あの日、高速道路の、サービスエリアで捨てた家庭ゴミ
小さな小さなマナー違反。
誰にも迷惑かけてる訳じゃないとゆう
自分勝手な自己判断
理由があったから仕方がなかった。
そんな自己中心的な考えは
この事故のきっかけになった人々の考え方と
何ら変わらなかった。
責めるべきは他人ではなく自分だったのか。
そんなふうに父親は思った時
父親はやっと息子の死に向き合えたのです。
誰しもが認めたがらない悪、ほんの些細な悪
もしかしたら悪とも思えないくらいの自然な行動
それが重なって起きた不幸な事故。
とてもやりきれない気持ちになる話でした。
もし自分が亡くなった男の子の親だったら…
そんな事を考えると
生きることとはこんなにも難しかったのかと思ってしまうくらい。
誰も罰することはできない
誰も罪に問うこともできない
やり場のない怒り、悲しみ、悔しさ。
ただ私は思う、
少しだけ、ほんの少しだけでいいから
1人1人が誰かの立場を考えた行動ができたなら
何秒後かの世界は良い結果になっていたのかもしれないと。
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