元祖バックトゥーザフューチャー? この作品の良さはそこじゃない!
「元祖時間SF」の議論は置いておこう
この作品について語られる時、時間旅行SFの原点、とかバックトゥーザフューチャーの元ネタ?とか、「先駆け」要素の話が多いので、本レビューではそこには触れない。
本作はカスタム機械設計者、メカトロ設計者、比較的新しい言葉で言えばIOT技術者にこそ読んでほしい、という点を強調したい。
本レビューサイトは読んだ人向けのサイトという前提なので、読んだ人の中にもし技術者がいたらそこに着目してほしい。もし工業系の学校出身の読者がおられたら、ご自身の母校やゼミにこの作品を寄贈してほしい。
私自身20年以上、カスタム機械の設計をしてきた経験があり、「発明」とは言わないまでも毎日「開発」を行ってきた。そういう人間にこそうなづけるシーンがこの作品にはてんこ盛りにあるのだ。
本作品はSF的展開の痛快さが前面に出ているが、技術者ならその「技術魂あるある」を掘り下げて、3倍楽しむ事ができる。
生粋の技術者ダニー
まず主人公の動きに注目してほしい。彼は1970年からコールドスリープで2000年に行き、時間転移で(時間旅行ではない)1970年に戻り、再び2000年にコールドスリープして最終的にはそこに落ち着く。
彼が1回目と2回目の時間移動後まずやっているのは技術者としての仕事だ。
一般的時間SFのパターンは以下の2つが多い。望まない未来を修正するために過去に行きその原因を取り除く、あるいは修正するために奮闘するターミネーターやドラえもんのケースか、あるいは望んでいないのに時間移動してしまい元の時間に戻るため奮闘するバックトゥーザフューチャー的ケース、概ねどちらかだ。
ダニーは常にどの時間にいても自分の技術的興味を持ち、自分が作れるものでその状況を改善していく。
まず1回目の2000年訪問時、30年分の技術の遅れを取り戻すことを望み、目にする機器の発明者を確認し、原理や構造を推測しようとする。自分に危害を加えた者への復讐とか、愛する女性を探すことも考えるが、それが至上の事ではない。まず自分自身が技術者として立っていければそれらも可能だろう、という姿勢だ。
彼が1970年に設計した発明品を売って反映している「おそうじガール」社に行った時も求めているのは金や安定した生活ではない。技術者としての境遇(設計室、製図台、工作室など)だ。
その会社で彼を管理の枠に収めようとする管理職のマクビーに対して彼は以下のような感想を述べている
「多くの杓子定規の人間と同様に、創造的な仕事も定石通りやればできるものだとマックは思っている。この古い会社が、ここ数年新しいものはなにひとつ生み出していないのも不思議じゃない。」
すごく良くわかる言葉だ。新しい物を生み出すのはそれを生み出したいという意欲とこんなものが出来たらいいな、という子供のような欲望だ。
しかしながら彼は「どこでもドア」のような何でもアリの不思議SF小道具を作ろうとしているわけではなく、自己の思い付きのために科学を操り大した目的もなくアラレちゃんを作った海苔巻きせんべいのようなマッドサイエンティストでもない。
彼が作るもののコンセプトは「だまっていても売れるようなもので」「設計段階から」「実用性と明らかな経済性を示すことによって」「よい投資であることも示さなければならない」のだ。つまりいつか侵略者が来たときに備えてマジンガーZを作るのではなく、明日から使えて市場性があるものを作るのが技術者なのだ。
また、技術者としてのプライドについて「僕自身が最初の発明者であるという事実だけで満足した。」「1日3食満足に食べられるなら金がなんだというのだ?」というセリフにもとてもうなづける。金が要らないというのではないが、良い物ができて食えているならそれでいいじゃないか、まず良い物を作る事だ、という考えだ。
技術者は「いいモノを作る」というトレジャーを探し求めるハンターであるべきだ
中年のおっさんの懐古的な話しぶりになってしまうが、昭和末期にはこのような技術者が日本にはそこらじゅうにいた。日本の技術が世界を席巻した時代だ。その後経済至上主義の流れに組み込まれ、しょっちゅう徹夜して図面を書いたりモノを作っている割に、一般の事務職と変わらない収入の技術者よりも、アイデアだけ出して肉体労働的設計や組立はアウトソーシングすればいいじゃないか、とか、そもそもアイデアも出さず、良い物を作るけど商売が下手な技術者から儲かりそうな技術を買って利潤だけ得る投資家の方がいいじゃないか、という流れが強くなった。
そういう人も必要だが、そういう人ばかりでは当然国内の技術力は上がらず空洞化する。
金はもちろん大事だが、「すごい物」を作った時の喜びは計り知れないものがある。私も20数年の経験の中で、顧客が求める以上の性能を持ち、市場性に見合う価格で製造し、十分に会社に利益をもたらした、と思える仕事がいくつかある。その体験こそがトレジャーだ
このような仕事はいつでもできるわけではない。「あの設計どうやったら上手くできるだろう」と食事をしながら、風呂に入りながら、トイレに座りながら、寝ながら考え、それでも失敗する場合も多い。
近年はこういう状況を「社畜」とかいう人もいるようだ。会社から命令されるがままに、社員としての立場を守るためにやっているならそのような表現も当てはまるだろうが、技術を追求しているのであればそれには当たらない。
スポーツ選手が自分のプレイを高めるために常に考え、気を配る姿は皆美しいと思うだろう。技術者もそれと同じだ。
完全な管理をしていれば良いものが生まれるわけではない。生み出そうとする自己の希望と、既知の技術をどのように応用するか、それらがうまくかみ合った時に「良いモノ」ができる。
「技術者」「開発者」を飼いならそうとしてはいけない。
我々は決まった時間に散歩させればご機嫌な犬のような生き方は向いていない。
自分の自由な発想を自力で守るために、常に思い立った場所で技術と言うツメを砥ぐ、猫のようでなければならない。
という訳で、これから技術者を目指す若い人にこそ読んでほしい本作品、このレビューを読んだ方はそのようなかたにこそこの本を勧めていただきたい。
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