日本サンライズ初作品は・・・ヘヴィすぎる(汗)
「ガンダム」を生み出した日本サンライズ、その初作品はしかし、後の作品群に劣らぬ実に鬱展開なお話しであった。
ある日突然地球に来襲した宇宙人ガイゾック。立ち向かう主人公、神勝平とその一族、神ファミリー。彼らはその昔、母星をガイゾックに滅ぼされて地球に逃れてきたビアル星人の末裔だった。ビアル星人の技術の粋「ザンボット3」を駆ってガイゾックと闘う神ファミリーだったが・・・。
【報われない主人公たち】
突然侵略を受けた人々の怒りは侵略者ガイゾックではなく、神ファミリーに向けられてしまうのである。
「お前たちがいなければこんな目に会うことはなかったんだ!」
ロボットアニメの主人公といえば、みんなにもてはやされる文字通りヒーローのはず。
なのに、守るべき地球人には悪しざまに罵られ、深く傷つきながらも戦い続ける勝平、宇宙太、恵子そして神ファミリーの人々。戦いは本当に不利な厳しい戦いが多く、見ていてハラハラし通しだった。
しかしストーリーのつらさはこんなものでは終わらない。ガイゾックの首領、キラー・ザ・ブッチャーは地球侵略をとことん楽しんでいて、捕らえた地球人を次々と人間爆弾に改造し、人類を大混乱に陥れる。ちょっとこれ、本当に子供向け?と言いたくなるようなお話だ。
【命を賭けて戦うとは?】
製作者の心情を察するに、たとえ子供向けでも真剣に作りたい、伝えたいという気概があったのだと思う。当時、もっと救われない話も数々あった。我々子供は、無邪気にそして真剣にそれを鑑賞していたのである。
当作品でも、サブキャラとは言え見知った人々が、人間爆弾として次々爆死。
石もて追われる主人公たち。それでも黙々と闘い続け、最後は勝平の盾となり、次々と玉砕していく。 この辺りはのちに「ジェノサイド富野」と言われる富野喜幸監督の面目躍如といったところではあるのだが、そのジェノサイドには一体どんな意味が込められていだのだろうか。
ぼくらはそこに「人のために尽くす」という行為の意味を学んでいたように思う。
誰に認められることも称賛されることもなく、ただ純粋に人のために尽くす、それで自分が満足できるとしたら、その心根にはやはりこの作品の精神が生きているのだと思うのである。
【本当に救いのない話だけれど・・・。】
最終回、仲間もメカも全てを失った勝平はただ一人、本当の敵に辿り着き、ガイゾックが地球にやって来た本当の目的を知る。そして今まで自分を支えてきた戦う理由までも否定されてしまう。
本当に救いのない物語である。そうまでして人は戦わねばならないのか?
そうだと信じたい。
理屈などない。人は全力で人に尽くすものだから。
だから最後の最後に、勝平は救われたのだと。
思えば「エヴァンゲリオン」も「まどか☆マギカ」もエンディングは異論続出だったが、自分にはいつも納得できるものだった。「ザンボット3」も同じかと思う。受け取り方はひとそれぞれだ。そこに自分なりの意味を見出せたのなら、鬱展開をずっと耐えて見てきた甲斐があったのじゃないか、と思うのだ。
【ドラえもんじゃないなんて・・・(笑)】
主人公神勝平の声は大山のぶ代。「ドラえもん」じゃないのはかなり違和感があったが(笑)
アツい中にもどこかのほほんとした味が残る勝平の決めぜりふは、何か憎めなくてけっこう好きだった。
ついでに、搭乗員たちのユニフォームは、のちの「クラッシャージョウ」ほぼそのままであった。これは安彦氏本人が、元ネタであったと証言している。再放送時「クラッシャージョウ」は既に世に出ていたので、「あ、おんなじ」と思ったのも、まあひとつの楽しみではあった。
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