負けるな映画界!
いつの日か敬遠しがちになってしまったハリウッド映画。
もうハリウッド映画をお手本とした撮り方なんて間違いと感じてしまう。
そんな風潮もどこ吹く風。 ハリウッド映画をリメイクして邦画版として撮り下ろしたかのようなスケール感。
例えばこの題材をデヴィット・フィンチャーが監督したらとんでもない名作が出来上がるのではないだろうか?
そんな無謀な闘いに挑むのは三池崇史。 この人、何かハードルを課さなきゃ映画撮ることできないのだろうか?
思い返せば個人的に三池崇史の作品に心から満足させられたことってないんですよね。
ハードルを上げすぎて、いつも届き切らない。
届いちゃったら映画を撮るのを辞めてしまうのではないかとさえ思えてしまう。
これってもしかしたら映画監督のあるべき姿なのかもしれない。
宮崎駿が引退宣言したのもこの気持ちからだったのではないか?
そんな挑戦的な『藁の楯』だが、「日本全国民が、敵になる-」ってだけあってぶっ飛んだことになっている。
社会的敗者が金という欲にすがりつく醜い様を次々と見せる。
正義への葛藤… そんなものは無力。 醜さこそ人間の象徴である。
しかしその醜さとの葛藤に勝ち続ける強き人もいる。
救いようのない極悪人・藤原竜也をもってしても思わず「すっげー」と発するほどに。
でもこの台詞を吐かせちゃダメだったと思うな。
思わず出ちゃう台詞としては解るのだけど…
あそこは台詞のない演技で表現させてほしかったというのが私の本音。
三池崇史の作品っていつもどこか妥協的な部分が見えてしまうんだよなー。
ぶっ飛んだ作風は好きですけどね。
ハリウッド映画もまた観てみようかな・・
ハリウッド離れ、いや洋画離れ、いや映画離れが激しくなってきた昨今。
もはや動画を観るのにお金がかかる映画というメディアの需要は薄くなってしまった。
『あまちゃん』や『半沢直樹』『下町ロケット』のようにTVドラマが爆発的な評価を得るケースもあるがそれを超えなきゃ話にならない。
邦画にしか期待できないようなメディアでは『半沢直樹』には勝てないのではないだろうか?
それで映画ならではの規格外の力を見せる必要性があったのか?
わざわざ三池崇史がハリウッドもどきな映画を撮らざるを得ない時代なのか?
私も洋画より邦画派とかカッコつけて言っているのだけど、邦画派も何も、もはや自分の中に洋画なんてものが存在しなくなってきている。
でも時にふと我に返る。
これが正論、ハリウッドがあるから邦画はおもしろいのだ。
三池崇史にこんなことさせちゃダメだ。
かつて韓国映画で『シュリ』という映画を観て同じような感情を覚えたが、本気度がまるで違う。
結局のところ破壊力のあるハリウッドや韓国映画があるからこそ、繊細な日本映画が好きになるのだ。
そのような感覚を持っているからこそ、今このような映画を撮ることに使命感が生まれるのかもしれない。
映画というメディアの現状への危機感もあり、偏った見方をしてしまったが、スタッフの熱い想い、キャストの熱い演技を感じられたなら意義があるのではないか。
ただ、それでもやはり批判させてほしい。
もっと遊び心がほしい。
それが持ち味の監督だからなおさら。
それがないなら妥協はしてほしくない。
偉そうなこと言っちゃった(苦笑)
でも何よりの元凶はハリウッド。
間違った使命感を植え付けさせないでほしい。
負けるな映画界!さあ、映画館へ行こう! !
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