現代に蘇る、西部劇的ノワール映画
この作品の前半は、ウェイン・モスの視点によって描写される、現代麻薬カルテルのトラブルを中心に進行する。鹿狩りをしていたモスの前に突然銃撃戦がおこり、複数の死者が転がる荒野の風景が現れる。麻薬の取引でのトラブルなので、多額の現金があることを知っているモスは夜中に現金を奪うべく荒野に引き返す。
このモスを殺すべく追跡するのが殺し屋アントン・シガーである。おそらくこの作品ではウェイン・モスやトミー・リー・ジョーンズ演じる保安官以上に印象的な存在である。目的のためなら手段を選ばない。邪魔者もそうではない人も無慈悲に殺す。勿論、人の家に不法侵入する、車を爆破する。人の通話記録を見る(個人情報)。やりたい放題である。でも、何故か謎めいた存在でもある。常に1958年(この作品の時間軸でいうと22年前)から持っているコインを投げて運命を決める(決められる方は殺される危険があるから、やめてほしいのだが)。
この映画はモスをはじめ出てくる人々すべて西武劇的ないでたちである。特に先の尖ったブーツはその象徴とも言えるだろう。場所もメキシコ国境に近い街。ロケーションも砂漠地帯である。検問ではアメリカ側からメキシコ側へは簡単に出国できるのに、逆は難しい実態が浮き彫りになる。シガーから逃れるべくメキシコに入国する際は酔っ払ったふりで難なく行けたのに、帰りは呼び止められ、ベトナムからの帰還兵ということで許されるというシーンがある。
おそらくこの映画はブレイキングバッドなどのここ最近の麻薬カルテルがらみの作品に影響を与えていると思われるが、その辺りの迫力というか残虐性がちょっと弱い気がする。ボスがシガーの暴走を止めるべく雇ったカーソンという殺し屋もあっさりシガーによって殺されるし、ボス自身も殺される。もうちょっとはセキュリティーのことを考えた方がいいのではないだろうか。
しかし終盤は意外な方向に物語は進んでいく。定年間近な保安官(トミー・リー・ジョーンズ)が話の中心になり、なんと神までが物語に侵入してくる。彼と引退した保安官補の会話や、妻との会話にその端々が見える。アントン・シガーも重症を負うがどうにか生き延びそうなかんじだし、その辺りは見終わってもやもやするものがないともいえないが、その辺がこの映画の魅力にもなっているような気がする。
冒頭、保安官のプロローグではじまるこの映画は、最後は保安官の夢の話で終わる。そして劇中まったくなかった音楽がエンドロールではじめて流れる。これだけで静かな感動にひたれる。おすすめです。- あなたも感想を書いてみませんか?
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