変なホラー映画よりもホラー
ふたりのベロニカが示すものとは
二人のベロニカが出会って何かが起きたり、二人のベロニカの人生が交差していったりするのかと思いきや、あっさりと前半で片方のベロニカは死んでしまう。まず、それが衝撃的であり、この話はこの先一体どういうことになっていくのか、もはや何をこの物語は語りたいのかと、謎の気持ちがどんどん膨れていく。そして、生きているベロニカがもう一人の存在を認識して、そしてそれだけで終わる。二人のベロニカによる劇的な展開にあっと驚いたりすることもなく、ただ、怖さだけが残った印象である。もし、この物語が示したかったことが、先に死んだほうのベロニカの存在によって、もう片方のベロニカは危機を察して生き残ることができたとするならば、怖さではなく、神秘に近い奇跡に素晴らしさやら感動を覚えることが上等であろうか。しかし、観終わった後の異様な恐怖感からそういったことは感じ得なかった。では、何に異様に恐怖を感じたかというと人形師が二つの人形を用意することについて、「一方を酷使しても代えが利くようにするためさ」というセリフだろうか。つまり、この物語が語ろうとしていることは、二人のベロニカの神秘的な絆などではなく、各人間にはそれぞれ自分の代えが存在しており、死んでも支障がないということである。この意味を示されているのではないかと思うと実に怖い。この世には自分とそっくりな人間が3人はいるとか、それに出会うと死んでしまうとかという、ドッペルゲンガーの都市伝説的な発想をここまでの内容に引き上げて、映画にしたのは恐れ入った。そんじゃそこらのホラー映画よりも、実に怖い映画である。
魅惑の芸術的世界
映像、音楽。映画の醍醐味であるこの二種が存分に力を帯び、抜かりなく役割を全うしていて実に素晴らしかった。
まず映像だが、絵画のような色合いと陰影の魅せ方が素晴らしい。私としては、色合いには黄色と緑を入れているような印象を受けた。実際にどういった手工でそれをいれているのか、または黄色と緑に見えただけで本当は入れていないかもしれない。しかし、素人目から見てその色の入れ込みがこの世界の恐怖感を増やす一方で、油絵のような美しさも表現しており、魅了されたのである。また、陰影のつけ方も絶妙である。この時代の映画だからこそ出せる古っぽさ故かもしれないが、計算された陰影に感じた。一歩道を間違えると、何かに囚われ、狂ってしまうのか。闇は常に近くにある。そういった印象を受ける。ちょうど、一方のベロニカは死に、もう一方のベロニカは生きたというこの筋からも、この闇の表現はとても考え抜かれていたと感じた。
そして、音楽は極上という言葉がぴったりだと思う。音楽は筋書き的にも重要であるけれども、それ以上に入れ込み方が絶妙で、観る者を離さないようになっていた。音楽を通じて二人のベロニカが通じるように、この物語が終わったあと、今度は物語と観客の私たちが音楽によって結ばれ、観終わった後も物語に浸り続けていられる。観終わった後も映画の世界に浸っていられるのは実に極上な時間を過ごせたといえるが、本作に関していえば、囚われてしまったような恐怖感もついて回るので煌めいた極上という雰囲気ではないので注意したい。
小道具スーパーボールは主役級
全体の計算された表現に付け加え、細部の表現も素晴らしい。私の気に入ったのはスーパーボールである。前置きの宇宙観、神秘さの表現を引き受けて、まずスーパーボールの中身を星入りにしているのにはなるほどと感心したし、それが二つ入っているのも意味づけとして手ぬかりない。そして、電車の窓にかざして、風景が逆さまになっているのを映していくシーンには震撼した。逆さまに映すというのはよく見る趣向だけれども、動く電車で、しかも何とも言えない風景の連続。そして、なにかキラキラしたものを見るようなベロニカの様子。その後にベロニカは死んでしまうことから、このシーンは彼女の絶頂期を表現したものであり、ベロニカはもう一人の自分を感じてそのもう一人のベロニカが見ている、生きている世界をそのスーパーボールに写し取り、覗いていることを楽しんでいるように見えた。スーパーボールの星と抜き取られた風景の明るさ。この二つが輝いており、ベロニカ自身も輝いて見えた。若い花がぱっと咲いたワンシーンのようで素敵だったし、儚さを表現していたようにも感じ、素晴らしかった。また、ラストにもう一人のベロニカの荷物からコロコロと転がりでる、という表現にもスーパーボールという小道具はうってつけであると思った。もう一人のベロニカが写っている写真を見つけることが荷物のシーンではメインで、筋道上必要であるが、何かこれはわざとらしさも感じた。しかし、スーパーボールという小物は丁度良かったのではないかと思った。普通では見逃してしまうような小さな小さな繋がり。これが二人の繋がりであり、スーパーボールの小ささはその象徴とも取れる。こうして考えると、スーパーボールという小さな球体は二人のベロニカに負けないぐらいの役割を持った主役級の存在だった。
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