人間の「性(さが)」を軸に人間関係の縮図を描き切った逸品
テレビドラマならではの緻密な描写が秀逸
人間心理やこの世の真理を問うようなドラマが好きで
心の琴線に触れるような作品に出逢いたくて日々ドラマを
見ているようなものだけれど、
この作品はそんな私の願いを
予想を超えて強烈に満たしてくれた逸品だった。
人間の「負」の側面を描くドラマや作品は数々ある。
松本清張作品のような
人間の「業」を描いたもの、
園子温監督作品のような
人間の「闇」を描いたもの、
湊かなえ作品はいわば、
人間の「性(さが)」を描くのが特徴だと思うのだけど、
特にこの「夜行観覧車」においては・・・
その「性(さが)」をテーマに
人間関係の縮図をエグり出し、あぶり出し、
極限まで描き切っていた。
その完璧さに、何度心ふるえ、感動したことだろう。
恐れがベースで生きている人間の
心の歪み、妬み、ひがみが
どれだけ相手を、自分を、傷つけ
命の尊厳を破壊していくのか、
どんなふうに絡み合って、破滅していき、
やがて気づき、更生していくのか・・・
その過程が
ありありと
まざまざと
描かれている。
これはテレビドラマだから
描き切れてるんじゃないかと思う。
細かな心情の移ろいや
交錯する人間関係を描くには
ある程度の尺が必要だと思うから
これを2~3時間の映画で表現するのは
難しいような気がする。
こういうテーマをじっくり緻密に表現するには
やっぱりテレビドラマが適してると思うし
だから私は、テレビドラマが好きなのだろうと思う。
唯一の本質的な人間が被害者という哀しい現実
この作品で個人的に
一番感動し、愕然としたのは、
登場人物の中で唯一、
成熟し満たされた本質的な在り方で生きている人間が
事件の被害者として殺されている、
という点だ。
ドラマ冒頭で 、
主人公の友人の夫が何者かに襲われて 死んでしまう。
犯人は、妻か息子か・・・
真相不明のままドラマは進んでいき、
その事件が引き起こされるに至った
様々な背景や人間関係が描かれていくのだけれど・・・
この、殺されたご主人以外の登場人物たちは
みんなそろいもそろって、
この現代社会に生きる人間ならば
誰しも持ちえる根源的な「欠乏感」や「不足感」などの
「恐れ」の中で人生を体験していて 、
つきつめれば共通して、みんな
「自分の本心で生きていない」
「ありのままの自分をゆるしていない」
のだ。
だから、家柄、土地柄、学歴・・・などの
目に見えるカタチによる「格差」によって
自分や他人を評価し、判断を下し、
持って生まれた自分自身の存在そのものの価値を
見失っている。
その在り方が、負の連鎖を生み出してゆき
悩み、もがき、苦しんでいる。
そんな中、ただ一人、
「無理をすることなんてない、
人にはそれぞれ適性があるのだから
自分にしかできない生き方をすればいい」
と、常に、命の本質的な自由と尊厳を大切にしながら
愛する家族を大きな包容力で支えていたそのご主人は
よりにもよって、 最愛の妻に殺されてしまう。
しかもそれは、
妻本人が抱える、後妻であることの劣等感や、
完璧主義ゆえの自分自身の恐れという、
妻自身の事情によって・・。
この、悲しいまでにリアルな現実。
「普遍の愛」が「人間の根源的な恐れ」に凌駕されている
という、 この現代世界に確かにある、真実の一側面。
その直視しがたい真実を
ここまでリアルにエグり描いてくれたことと、
その哀しいまでの人間の性(さが)を
徹底的に描き切ってくれたことに、
どれだけ拍手を送っても送りきれない。
役者陣の演技と挿入歌が秀逸!
生々しい人間ドラマを体当たりで演じてくれた
役者の方々の演技が、本当に素晴らしかった。
「彩花」役の「杉咲花」さん。
思春期の繊細な心情や、
溜まりに溜まった感情を母親にぶつけまくる演技は
見ている私たちの何かを
確実に吹き飛ばしてくれたのではないかと思う。
「真弓」役の「鈴木京香」さん。
おっとりとして善良で正義感もあって、
でも人並みに子供に自分のエゴを投影してしまう無自覚さや
的外れな努力が空回りして娘を苛立たせる鈍感さなど、
「真弓」という役柄を見事なまでにリアルに演じてくれた。
そして、クライマックスともいえる、
「綾花」を殺しそうになった狂気の演技は
あまりの説得力で感動もの。
その他みんな、どの役者さんたちも
素晴らしい演技だったと大満足だったけれど
特にこの2名の演技が、個人的には印象に残った。
また、挿入歌がこのドラマにピッタリだった。
「Reiko Ohshima」さんという歌手の方が歌う
。
裏声のウィスパーボイスと
切ないメロディが心に沁み入り、
登場人物たちの哀しい人間ドラマと
一体化して、
涙を誘わずにはいられないのだ。
負の連鎖とそこからの選択
各々が抱える恐れや不安やエゴが
関わる相手と作用し合って連鎖していく様も、
このドラマの見どころのひとつともいえるのでは。
人は、 誰かにとって強者にもなり、弱者にもなる。
自分の中の負の想いが 歪んで作用したとき
人間関係の中で「強者と弱者」を生み、
強者からのストレスを弱者へと発散させる、
負の連鎖だ。
主人公「真弓」のエゴは、
「子供の幸せのために」という言い訳にすり替えられて
娘の「彩花」を無自覚に追い詰め、
「家庭内暴力」という形で報いを受ける。
娘の「彩花」が「真弓」からゆずり受けた「エゴ」の歪みは
「友人たちからのいじめ」という形で跳ね返り、
その痛みを「母親への暴力と反抗」というカタチで転嫁する。
また、家柄・学歴などの格差への恐れは
「劣等感」という形で自分の中で肥大し、その矛先は
「犯罪者の家族」という弱者の立場になった
向かいの家の「比奈子」にも向かう。
「家族のため」と自分の夢を半ばあきらめ
家のローンのために身を粉にして働く真弓の夫「啓介」は
凶暴化する娘と妻と向き合う気力すら無くし、
「現実から逃げ続ける」という形で発散する。
「ひばりが丘を創ってきた」というプライドに固執し ている
自治会の婦人部のリーダー「さと子」は、
「ひばりが丘ブランドを守ること」と「自分の価値」を
同一視してしまっており、
彼女が「ひばりが丘にはふさわしくない」と判断したものを
徹底的に排除しようとする。
結果、既に息子にも夫にも見放されていてもそれに気づかず
殺人事件をきっかけに「ひばりが丘を守る執念」が暴走し、
ついには、とりまきだったはずの婦人たちからも見放されてしまう。
一般家庭の生まれで
結婚後ひばりが丘に後妻として嫁いできた「淳子」は
完璧な良い母親、良い妻になりたいと
本来の自分をいつわっていた。
先妻との比較による劣等感にもおびえていた。
その完璧主義が、勉強が苦手な息子を追い詰め、
息子の特性や個性をつぶすだけでなく、
ついには最愛の夫を殺すに至ってしまう。
まだまだ挙げればきりがないほど、
登場人物たちの負の連鎖は
ことこまかに描かれていて・・・
その緻密さには脱帽するばかり。
人の心に棲まう
恐れや不安、妬みやひがみなどの
負の感情というものは
人から人へ
うごめきながら移動していく生き物のようで
そういった負の感情を喰らって
どんどん肥大していき
その主を食いつぶしてゆく。
恐れが恐れを呼び
妬みが妬みを呼び・・・
いつしか
本当の自分の心や願いの声は
かき消されてゆくのだ。
いきつくところまで体験して
もうこんな思いは嫌だ、
と観念して初めて
人は本当の自分の在り方に
気づくのかもしれないが。
自分にからみつく
負の連鎖を断ち切れるのは
自分自身しかいないし
でも
自分ひとりだけでもそれは難しいのが
この世界の道理でもあり
他人との関わりの中で
ぶつかり
傷つけ
傷つき
作用しあいながら
お互いに
自分の道を見出していった先に
本当の意味での
支え合い
助け合いが
生まれるのだろう。
体験し尽くして
大切なことに気付いた「真弓」たち家族は
事件前とは確実に違う
絆の深さとお互いの存在の大切さをかみしめながら
街のシンボルの観覧車から見える
自分たちの暮らす街を眺める。
その眺めはさぞかし・・・
格別な味わいのことだろう。
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