サイの存在意義 - ヒカルの碁の感想

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ヒカルの碁

4.004.00
映像
4.00
ストーリー
3.75
キャラクター
3.50
声優
3.75
音楽
3.75
感想数
2
観た人
7

サイの存在意義

4.04.0
映像
4.0
ストーリー
4.5
キャラクター
4.0
声優
3.5
音楽
3.5

このアニメはまだ囲碁というものが世の中に浸透していない時代に囲碁というものが何なのか、どういう遊びなのかという囲碁ブームを広めたアニメですね。

主人公がそもそも囲碁に興味もないくらいの初心者なので、何も知らずに見ていても囲碁の基本的なルールからしれますし、囲碁にどんどん興味が湧いてきます。アニメが終わった後にやっている番外編でも囲碁講座を基礎から丁寧に教えてくれるのでとても勉強になります。ヒカルの碁を見たら、1度は自分も囲碁をやってみようと思うはずです。実際私も囲碁入門の本を買ったり、碁石や石盤まで買うほど囲碁に夢中になりました。笑

そしてアニメの本編の方ですが、サイのために始めた囲碁がいつの間にかヒカルのものに。。。笑

ヒカルもヒカルで独自の才能を開花させていきますが、プロの囲碁の世界もそう甘くはないんだと感じさせられました。実際にプロで戦っている人たちは本当にすごいですね。

さて、サイは結局最後はヒカルの前から消えてしまいますが、サイがヒカルの前に現れて碁を打ったのは一体どんな意味があったのでしょうか?それは作中でも少し触れていますが、囲碁の面白さを伝えるためと、究極の神の一手を探し求めたいという思い。囲碁はこんなにも奥が深く、興味深いものであると。そして囲碁に生き、囲碁に人生を捧げてもなお見つからなかった神の一手。それを死んでもなおサイは見つけたかったのでしょう。

ではなぜ、ヒカルの前に現れたのか?それはヒカルが神の一手を打つからです。まるで最初からそうなると決まっているかのように。しかしサイはヒカルが神の一手を生み出すためだけにいるのではありません。神の一手は生まれるのではなく、作り出すものだからです。それはサイだけでは無理でしょうし、ヒカルだけでも無理なのです。ヒカルとサイが一緒に作り出したから生まれる一手。これが神の一手なのだと私は思います。そしてその神の一手をヒカルは後世に伝えていく義務を背負ったのでしょう。

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前代未聞の囲碁ブームを起こした名作

なんてことない平凡な小学生ヒカルが佐為という囲碁に未練を持ちつつ自害した平安時代の亡霊に出会い、佐為に協力する形で囲碁を始めるという作品。アニメにありがちなあらすじのようにも思えるがこの作品の魅力は囲碁という、あまりルールの知られていないボードゲームをまるでバトルアニメを見ているかのように演出し、ルールをしらない視聴者をぐいぐいと引き付ける強さを持っている所だ。そして原作者の画力が格段に進化を遂げた作品であり、アニメもそれにともなってかなり綺麗な絵になっている。それはまるでアニメという枠を越えた芸術作品のようである。音楽もかなりマッチしていてたびたび感動が音楽によって増幅させられる。欠点を見つけることが難しい作品である。しかし一つ上げるなら少年マンガにありがちな行き当たりばったりで結末を用意せずに作り始めた作品なのか、終わりに向かって少し作品の厚みが薄くなっていくような悲しさがあり、ア...この感想を読む

4.04.0
  • しのちゃんママしのちゃんママ
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  • 640文字

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