リプリーの感想一覧
映画「リプリー」についての感想が5件掲載中です。実際に映画を観たレビュアーによる、独自の解釈や深い考察の加わった長文レビューを読んで、作品についての新たな発見や見解を見い出してみてはいかがでしょうか。なお、内容のネタバレや結末が含まれる感想もございますのでご注意ください。
貧乏人は金持ちの夢を見るが、金持ちは夢に生きている
これはフランス映画のアラン・ドロン主演の太陽がいっぱいのハリウッド版リメイクです、アメリカ版のはゲイ風味が足して有ります。金持ちのぼんぼんの惨いまでの興味の移り変わりに振り回されて、ぼんぼんに無理向いてもらえなくなったら最後だと知ってるからこそ、相手の顔色を伺ってご機嫌取りする様に成るんだけど、そこのコツを知らないリプリーは彼のおもちゃに成って行く。50年代のファッションもすっきりと其れだけでも見る価値があります。とにかく彼が依頼人の息子のアイデンティティを盗み取って変わってしまうのですが、そいう人種の層が決まっているので、世間は狭いと言う状況になってしまいます。一時も心休めなく、こんなところに何故あの時にのあの人がと、一人二役の忙しさと、綱渡りをしているような精神状態で、ぐったりしてしまいます。
狡猾な策略の行方
貧しく学歴も家柄も無い青年が、対照的に金持ちでハンサムでエリートながらドラ息子の青年を連れ戻すように父親から依頼されます。主人公は相手の音楽の趣味から何まで研究し、経歴を偽り、相手に取り入ろうとします。それは途中までは成功するのですが、相手から距離を置かれるようになると、逆に殺害し、取ってかわろうとします。有名なパトリシア・ハイスミスの原作のリメイクですが、イマイチ作風自体に楽しめない陰鬱なものを感じますし、リメイクされた結末も後味が良くありません。映画の描き方自体にもその原因があるように思いますし、リメイクならもっとやりようがあったのでは、という気もします。途中でスリリングさはそこそこあります。
アラン・ドロンが恋しい
太陽がいっぱいのリメイクとのふれこみで観ましたが、リプリーがイモすぎて、どう考えてもディッキー(ジュード・ロウ)になりきるのは無理がありますよ。もうずっと突っ込みながら観ました。太陽がいっぱいではアラン・ドロン演じるリプリーに100%感情移入してハラハラドキドキしましたが、マット・デイモンにはまーったく同情しません。うざいし、コンプレックス丸出しだし、見た目もダサいし、なんかあんまり頭良くなさそうだし、全部行き当たりばったりに見えて、よくこれでここまでできたな・・・と逆に感心した位です。ただ、ジュード・ロウはこの時結構イケメンでした。かなりかっこいいし、役のイメージぴったりといった感じでした。
まずまず
それなりに面白かった映画ですかね。原作と比べるとリメイク版の方がかすれてしまう。原作が強烈だっただけに太陽がいっぱいに軍配が上がってしまいます。ただ、リプリーをリメイク版ではなく1つの映画として観れば十分に楽しめるしキャストも最高だと思います。原作を観ればリプリーの受け取り方が変わってくるかもしれません。プロットはオリジナルと同じだが、監督による解釈が秀逸で、リプリーの複雑な人間性と哀しみが余すことなく表現されている。キャストも見事にはまっているし、イタリアのまぶしい陽光をとらえた映像も、選曲のセンスも抜群だ。これだけの名作をあえてリメイクしようというのだ、監督は相当な自信があったのだろう。オリジナルに勝るとも劣らない堂々たる一本だ。
ちょっと無理があるような・・・
貧しい青年リプリーが、放蕩息子のディッキーを連れ戻すようディッキーの父親に頼まれ、ディッキーを連れ戻しに行くも、魅力的なディッキーに惹かれ行動を共にするようになります。しかしディッキーに飽きられ、暴言を吐かれたことで、ディッキーを殺害したリプリーがディッキーに成りすまし、リプリーと2人の人間を演じながら生活する映画です。アラン・ドロンの「太陽がいっぱい」のリメイクですが、原作に近いのはこちらだそうで、「太陽がいっぱい」とは別に考えた方がいいと思います。冴えない青年リプリーを演じるマット・ディモンの演技力が素晴らしかったけれど、ディッキー(ジュード・ロウ)と見間違うってのは設定に無理があるように思います。マット・ディモンの「My Funny Valentine」の物まねはとても上手で、彼の芸達者ぶりを見ることができました。無理はあっても、スリリングで俳優陣も豪華で、見ていて退屈はしません。フィリップ・シーモ...この感想を読む