静かに重く進む、戦争映画 - クロッシング・ウォー 決断の瞬間(とき)の感想

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静かに重く進む、戦争映画

3.03.0
映像
5.0
脚本
2.5
キャスト
3.0
音楽
5.0
演出
2.5

目次

実話ならではの重み

この映画は、実話を基に作られたとされている。アフガニスタンのタリバン政権に反対する村を守るために現地に派遣されたドイツ兵と、彼らの通訳を務めるアフガニスタン人を中央に、ストーリーは進んでいく。
現地では仕事もない。希望が見えない中、語学が堪能なアフガニスタン人タリクは、なんとかドイツ兵とアフガニスタンの現地人たちとの交渉のために必要な、通訳の仕事にもぐりこむことができた。この時も正式に採用されたわけではなく、文字通りもぐりこみ、紹介されたかのように振舞って仕事をこなすのだけど、いつたたき出されるのかとハラハラしてしまった。そのため、いつ彼が正式な通訳となったのかわからないままずっと心配していたのだけど、時が進むにつれリーダーのドイツ兵イェスパーとの間に友情も成り立ってきて、その時初めて安心することができた。
ただこのタリク、仕事を取り上げられないようにするためか、通訳に少し私情を入れてしまっている。そういう時も、そのままストレートに伝えないと、とかなりハラハラしてしまったところだ。

派手さのない戦争映画だからこそ感じる重さ

この映画には派手な戦闘シーンはない。唯一ある戦闘シーンも遠くからミサイルのようなもので爆撃を受けるだけで、アクション映画のような華々しさはない。その代わりその地味な攻撃は、リアルに戦地に生きるものの日常、毎日をこのような状況で生きているというリアリティが痛いほど感じられた。だからこそこの地味な戦闘シーンが印象的だった。
またヒロイズムを見せつける演出もなく、上官の指示に従わず独断で相手を助けるといった、ストーリーのためのストーリーのようなわざとらしさもない。それは規律を重んじるドイツ人だからなのかもしれないけど、かなり説得感があった。そのため、上の命令を納得できないながらも受け入れなければならなかったイェスパーの苦渋に満ちた表情など、多くの見ごたえあるシーンがあった。ただ、助けてもらえると思っていたアフガニスタンの人々との軋轢などがつらく、どちらも悪くないゆえの、見ていて苦しくなってしまう場面が多かったことも印象に残っている。
また反タリバン政権の村を守るという名目で派遣されたドイツ兵たちを、現地人が諸手をあげて歓迎するわけではないという、当たり前のことを感じさせてくれた。
ハルーンの「君たちはどうせ去っていく人間だ」という言葉の重みは、「助けてあげる」という上から目線になりがちな支援国こそ、理解しないといけないものだと思う。

余計な音楽がないことの効果

この映画の良さは、そのストーリーのリアルさもあるけれど、なんといっても余計な音楽が一切ないところだ。余計な音楽はなくても、風の音、バイクの音、ページをめくる音など、日々は音であふれている。そういう日常の音を音楽などで過剰に演出されると、見るものは感情を煽られているような気がする。また感動を操作されているようで、どうしても反発してしまい、素に戻ってしまう。そういう理由で、余計な音楽は映画の邪魔でしかない。この映画はそういう余計なものを一切入れないからこそ、痛いほどのリアリティにあふれていた。
いまだに過剰な音楽を挿入している映画は多い。もちろんアクション映画はなどはそれでいいのかもしれない。それでも先日見たマーク・ウォールバーグ主演の「アンダーカヴァー」などは、カーチェイス場面でさえ音楽がなかった。音といえば、追われて逃げる男性の息遣いとギアチェンジの音のみ。その結果その場面への感情移入の程度は、音楽や効果音の大きい映画の比ではなかった。
私のような気持ちを持つ人間は少なくないと思う。だからこそ、いまだに大きな効果音や余計な音楽を入れる映画を観ると、まだこんな演出しているのかという時代遅れ感さえ感じてしまう。
この映画は戦争映画に関わらず、そんな不満を一切感じさせない映画だった。

カメラ割り、カメラワークの素晴らしさ

この映画の素晴らしさのひとつに、カメラ割りのセンスの良さがある。だいたいカメラが登場人物に近すぎると、どうしても「近い!」となってしまって、あまりストーリーに入れ込めない。この映画は大事なところでも非常に遠くから撮っていることが多い。そして決してクローズアップせず、遠いまま事件は起こる。その遠さと静けさこそこの映画の肝であり、見どころでもあると思う。
この映画は、タイトル「クロッシング・ウォー」の通り、踏み切りがよく映る。この映画のキーワードでもあり象徴でもあるのだけど、そこでも変なアップやカメラ割りなどなく、ただ淡々と映す。例えばそこを渡るタリクを映すのではなく、バイクに乗るタリクの後ろから映す。それがこちらの不安をかきたてる効果があり、余計画面から目が離せなかった。
そのようなカメラ割りの素晴らしさを感じる映画は、久しぶりだった。
昔見た映画でその巧みさを覚えているのは、今思い出せるもので「ギルバート・グレイプ」や「バグダッド・カフェ」だろうか。遠くから映すアーニーの混乱や、給水塔の周りで飛ばすブーメランの動きなどが、まるでひとつの絵画のように心に残っている。
もうひとつ、最近の映画に多いのが、臨場感を出すためか、わざと手ブレのようなブレ感を出す映像だ。
そのような無駄な演出が一切ないのも、この映画「クロッシング・ウォー」の良さだと思う。

ワンカットの長さに感じる緊張感とリアリティ

余計な音楽がないことや、カメラ割りの素晴らしさもさることながら、ワンカットが長いシーンが多いことも、この映画の特徴だ。
ワンカットが長いと、どうしてもこちらは見入ってしまう。ワンカットが短いとそれはそれで迫力を感じることがあるけれど、やはりこの映画のように静かなシーンが多いと、ワンカットを長くすることで緩急が生まれると思う。
特に印象的なのは、ハルーンがタリクに家族はいるかと聞いたシーンだ。反タリバン側といえど、おいそれと近づけない雰囲気を持つハルーンがタリクにそう聞いた時、かなり間を開けてタリクが妹がいると答えるのだけど、その間がとても効いて、なんでもないシーンなのに目が離せなかった。その他にも、どうということのない場面をそのワンカットの長さと、カメラワークの良さだけで見せるということが多くあった。
この映画のストーリーのどこが良いというわけではないのにここまで見入ってしまったのは、前述した理由が大きいと思う。

厳しいラストシーン

反タリバン側の通訳として働くことで、タリクはさまざまな迫害を受けてきた。そのたびイェスパーが親身になって働いてきたからこそ、彼ら二人の間には国籍を超えた友情が生まれていた。それは始めこそ相容れなかった、反タリバン側の人々にも言える。
ハリウッド映画のようなはっきりした勧善懲悪の映画ではないし、誰もヒーローにはならない。そしてはっきりとしたハッピーエンドに向かうというわけではなかったけれど、それでもストーリーはなんとなく良い方向に向かっていた。だからこそ、タリクが踏み切りで撃たれて終わるラストは衝撃的過ぎて、しばらく動けないほどだった。
それまでタリクが受けた迫害の中には妹への襲撃がある。彼女は銃で撃たれて重傷を受けながらもなんとか生きながらえることができた。それもイェスパーの尽力のおかげだ。だからこそストーリーは上向きになりつつあっところに、このラストはかなり凹まされた。
また踏み切りで止まったタリクのバイクの横に車が横付けされた時のタリクの表情も一見の価値があった。ついにきたかというようなあきらめと恐怖がないまぜになったような、それでも生への執着を隠せないような、そんな表情だった。
そして見る側も、あの車が横に止まったときのタリクの恐怖が手に取るように感じられて、静かなのに切れるほどの怖さがそこにあった。
この映画は事実を基に(あるいはインスパイアされて)作られた映画だ。だからこそのリアリティがこの映画全体にあふれている。
派手な戦争映画を求める人には退屈極まりない映画かもしれない。私もここまで静かな戦争映画を観たのは初めてだ。だけど何かしらを心に残す、重く強い映画だったことは間違いない。
この映画の監督は女性だ。戦争を女性の目で見て感じた重さと残酷さを、できるだけの無駄を排除して現実のみを伝えようとした彼女の気持ちがよくわかる。
この映画はそういうことを感じさせてくれる、見ごたえのある映画だった。

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