山に魅せられた男のリアル
小説よりもよりリアリティを
私はこの漫画が小説から始まった「加藤文太郎」という物語出会ったとは知らなかったのだが、漫画だけでもそのインパクトはすごかった。なんかこう…これだ…!っていうものに出会うまでの悶々とした状態から、出会ったとたんにそれは勢いよく始まって、動き出したら止まらなくて…生きてるって思えるだけの何かを探す人間って、心底めんどくさいし、心底すげーと思わせてくれる。
小説版では、主人公の森文太郎はどちらかというとヒーローのような立場。だけど漫画では、ヒーローなんかじゃない、ただの森文太郎がいて、苦しんで苦しんで、山の頂をただ目指す気持ち・渇望がずしんとくる。人と関わるたび傷ついて、歩み寄れたと思ったら離れて…いったい何人死ぬんだよってくらい山で人は死ぬ。そうまでして登りたいと願う気持ち、上った人でなければわからない気持ちがそこにはあるんだろうけど、山登りに興味がなくたって何かに情熱を傾けるということがまさに山登りで同じなんだということがヒシヒシと伝わってくると思う。
一人が好きだったわけじゃない。人と関わることが怖くて、そこには悲しみしかないから、敢えて背を向けて生きるか死ぬかの道を歩みたい。そんな彼の心を溶かしてくれた加藤花という人物。ありのままを受け止めてくれて、戻ってくるのを待っている人がいるっていうのは、孤高であることの最も妨げになること?一人で挑み、一人で生きようとしても、どこかで誰かに守られて生きている。苦しんで抗って逃げて、1つの山を制してもまた次を目指し、必ずそこにはライバルがいたり、見守ってくれる人がいる。男のロマンというか、成し遂げようとするオスの習性みたいなものと、粋がってももたらされるのは自己満足だけかもしれないというリアルな結果が、とても赤裸々だ。
ボルダリングから登山家へ
はじめの流れからいくと、ボルダリング競技でてっぺんを目指しちゃうのかと思っていた。だけど、いつの間にか「本物の山を一人で踏破する」という部分に進路変更されたように思う。それも雪山。いや、高い山ほど雪山になるのは仕方ないんだろうが…凍傷になろうが、仲間を捨てていこうが、捨てられようが、てっぺんに行きたいと願うクライマーたち。
森文太郎が親友の自殺を止められなかったこと、やりたいことがないからつるんでいたのに、先にやりたいことを見つけてしまったこと…そういう後悔をどう払しょくするのか、どう仲間を得ていくのかが焦点になるように思えたのに、結局彼はいつまでも一人で。そこがすごい胸が苦しいんだよね。でも彼と同じようにソロを愛する人・ソロを理解できる人は、決して彼を責めたりしない。自分でも、きっとそうするって思えるんだろう。
文太郎は、成長するごとに山を知り、山を知ることで人を知っていったよね。そこに至ろうとする人間が俺以外にもいる。そして協力するってわけでもなく、ただみんな、そこに至りたいのだと。何かを達成したいのだと。称賛が欲しいんじゃない。人じゃなくて山に愛されたい。本当の意味で、自分自身が自分を認めたい…。孤独を感じた人ほど、山を求めるのかもしれないね。幸せを感じられなかった人ほど、共感できると思う。自分の体一つで挑める世界なんぞ、そうそう多くない。
一人でいたいと思う人間だっている
友だちは多い方が幸せだ。子どもも多い方が幸せだ。恋愛経験だって多いほうがいい。服だってなんだって、たくさん持っておいたほうがいい。仕事の経験もたくさんするべきだ…本当に?
1つのことに、どれだけ時間をかけて、どれだけ考えて、どれだけお金をかけたか。成し遂げるために積み重ね、確かな結果をもたらせたか?誰が何を言おうと、貫き通せるものをブレずに貫き通していたのか?そこに誰かが必要でないとしたら、一人で生きることは寂しいことなんかじゃない。寂しいと決めるのは、他人じゃない。決めるのは自分自身なんだよね。だからこそ、一人でいたいんだ。この気持ち、打ちひしがれて悩んだことがある人ほど沁みると思う。
「孤高の人」は、「バガボンド」によく似ている。自分を愛してくれる人も、自分が愛することができる人も確実にいるのに、煩悩と生きる意味、孤独であることの意味を死ぬまでずっと考えている。強くなるってどういうこと?最強って、どうすればなれる?答えがそこに転がっているわけじゃなくて、感情と理性を切り離すことができなくて、1つのものであることを受け入れるまでに膨大な時間を使って悩む。決して誰も答えを教えてくれないから、間違っていたと思うのか、正しかったと思うのかもわからない。道に名前をつけられるのは、自分だけだ。生きているうちに叶えられるなら儲けもの。悔いなく生きて、死ねばいい。一人だろうが二人だろうが、いつか死ぬ。そこに後悔があるかないかだ。
一人では得られないものもあると知る
結局ね、誰かと紡ぐ時間、誰かを愛して生まれる命は、確かに自分がそこにいたという証明でもある。一人でわかることもあるし、二人でわかることもあるし、三人でわかることもある。知っているほうが偉いってわけじゃなくて、知っているからできたこともあったと思うし、失ったものもあると思う。それは時間かもしれないし、お金かもしれないし、自分の情熱や愛情、信念かもしれない。森文太郎は加藤文太郎となり、幸せだったことに間違いはない。だから、どんな人の人生も、比べようがないんだと思うんだ。
孤高の人は、助け合わない。でも誰かが関わってくることは避けられなくて、関わって学ぶこともあった。自分でザイルを切りたくないと願ったこともある。失いたくないと。目の前で消えていった命もある。知らないところで助けてくれようとして消えた命もある。本人じゃないからわからない気持ちもある。何が真実かもわからない。一人でたどり着きたいと願ったのに、一人では無理だったんだと知るんだ。山に登れたのは、バイトして貯めたお金があったから。バイトさせてくれた会社があったから。一人で登っている気になって、もう一人がいなかったら気づけなかったルートがあった。ライバルがいたから、もっと上へ行きたいと願ったし、山を下りたいと思ったのは、待ってくれている人がいると気づいたからだった。読めば読むほど深いし、泣きそうになる物語に仕上がっている。
何か一つに情熱をそそぐということ
何もかも忘れて、何の評価もいらないから、それだけに時間を注ぐ勇気が持てたら…最高の人生だと思うんだ。もちろん、誰かを傷つけることではなくてね。何かを我慢するんじゃない。自分の中で決めたことが一つあるから、それ以外はどうだっていいんだ。誰かを喜ばせるためじゃないし、自分が何より喜びたいからだ。生きているって、感じたいからだ。山登りにどれだけの人が挑み、どれだけの人が死んだだろう。毎年、行楽シーズンには山で誰かが遭難し、死んだり、生きて帰ってきたり。知らないところで死ぬ人もいるんだろう。それくらい、山って人を惹きつけるらしい。
命が消えてもいいからやりたいんだ、と思う人間って、動物からしたらすげーバカなのかな…。ただ生きて、子孫残す以外にやることなんかあんのかいって。めんどくさいのに、考え抜いて、死にきれない。自分という自我は、ほんの数十年で終わりなんだ。何にもかえられないものなんだよね。一気に読み切って、彼の人生と、自分の人生を重ねたくなることだろう。そして、山に登りたくなる。
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