思ったより奥深い、解釈が困難な作品 - 東京大学物語の感想

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東京大学物語

3.703.70
画力
4.00
ストーリー
3.50
キャラクター
4.00
設定
3.00
演出
4.00
感想数
1
読んだ人
1

思ったより奥深い、解釈が困難な作品

3.73.7
画力
4.0
ストーリー
3.5
キャラクター
4.0
設定
3.0
演出
4.0

目次

序盤は東大を目指す高校生の爽やかな青春物語

この作品は、主人公村上が現役で東大を受験する前の高校時代の話、一浪して早稲田大学で仮面浪人をする時期、東大に合格してからの時期ごとで全く物語の印象が異なる。

最初は、恋愛をしつつも勉強にはストイックな村上と、学力的にはとても東大に受かりそうもなかった彼女の遥の繰り広げるドタバタが面白かったり共感出来たり、東大を目指す高校生の青春として比較的爽やかに読める作品の印象が強い。

意地悪な友人佐野にはめられて遥がファーストキスを佐野に奪われてショックを受けた際も、海岸で特に言い訳をお互いがせずに、号泣して鼻水を垂らす顔を見ただけで仲直りし、手をつないで歩くシーンは印象的だ。後々二人が苦難にぶつかった時に、このシーンは何か象徴的になるかとも思われたが、全くそんなことはなく、少々肩透かしを食らった。

この物語が徐々に変容していくのは、村上が過剰に性欲に貪欲になりだしてからだと思うが、著者の江川氏があとがきに記している、妄想力の大切さのようなものを表現するのに、性欲が一番簡単な手法だったのか?と思ってしまう。

村上の傲慢さは東大というブランドを得る事でしか自分を表現できないという意味では、東京大学を主題にするのは無意味だとは思わないものの、入学すること自体がゴールになってしまい。その後は妄想力がひたすら性欲に向けられたことを思うと、別に東大を舞台にしなくても良かったのではという読後感がある。実際東大では、中高一貫の一流私立から入学してきた生徒と、地方の公立高校などから入学してきた生徒では、かなりその時点で格差があるという。村上は模試では全国的にもトップクラスだったようだが、中高一貫の私立から来た天才との関わり合いや、どうもその後理転して医学部を卒業するようだが、なぜ入学の時点では理科三類を選ばずに文科一類を選んだのかもよくわからない。

結局東大という舞台は、村上の自己満足の象徴で、著者は東大で村上が何かを得ることについてはあまり描くことに関心がなかったようにも感じる。

漫画としての表現は斬新

この作品は、狂気じみた表現などの漫画としての手法が非常に斬新だと思う。IQの高い村上が同時にいくつものことを考えながら遥と会話したりするシーンは、凡人にはよくわからないが、暗算の名人が一問目の難問を解きながら、すでに二問目に目を移して二問目も解き始めるという感覚なのかもしれない。

中でも秀逸なのは、村上が東大に現役では合格せず、落ちてしまったシーンだが、とにかくショックで走り回る村上と追いかける遥の周りが文字だらけで、内容は東大不合格から遥に一目ぼれしてしまった日までの後悔を、モノローグでひたすらびっしり書かれているというものだ。

村上の様な性格の人間は、失敗の原因について色々考えるだろうし、同時にその失敗を己のせいではなく人のせいに責任転嫁しがちである。モノローグもまさしくそんな感じだし、同時に計り知れない村上のショックが読者に伝わって非常に衝撃的だ。表現のくどくどしさも、村上の粘着質な性格を非常によく表している。

他にも、東大入学後に谷口さんという女の子と何度も議論をするが、相手の自尊心をくすぐる手法として吹き出しに工夫がされているのも大変ユニークである。最近は、漫画もデジタル化され、画面ばかりはかなり綺麗になったが、いわゆる斬新な手法で主人公の持ち味を表現している作品は少ないのではないだろうか。漫画家を目指す人は、一度読んでおいて損はない作品だ。

エロ以外の描写の方が興味深い

江川達也氏の著書は、青年誌だからそうなのかどうなのかわからないが、性的表現にかなり重きを置いた作品が多い。彼が描いた源氏物語は、原文の引用もされており原作に一見忠実なようだったが、解釈があまりにエロに傾倒しすぎていて、受験生の古典の資料にはならなかったろうと思う。

村上の年齢を考えると、性的なことに興味を持つのは仕方がない事だが、遥との性交渉というゴールに向かってひたすら代償行為を繰り返し、単なるセックス依存症になりさがった男という感じもして、この部分は妄想力の大事さを表現するにしても、結局は単なるスケベじゃないかという印象しか持てず、人間的な深みを村上が得たという感じを受けない。こんなことならAV男優かホストでもなり、プロとして女性にモテる技術なりを徹底的に極めればよいのにと思ったほどだ。

彼女の遥にしてもひたすら天然で、エキセントリックなので感情移入がしづらい。

しかし、上記高校時代の佐野の策略にはまって陥れられた二人が涙したシーンや、村上が遥が作ったサークルの大学を面白くする会の個性的なメンバーと卓球をするシーン、明治大学の高畠と恋愛などについて語るシーンなどは、エロ描写の何倍も味がある。

遥にしても、村上と別れてしまい、気持ちを引こうと努力をしたり、日記を見せて友人の由貴に相談するシーンなどは、特に女性読者は余りの切なさに涙してしまう人もいるのではないだろうか。

東大という場所は、最高の教育環境と刺激し合える優秀な友を得られる場所であると思う。

村上がその中で、激しく意識していたのは恋心を抱いた谷口さんと、恋のライバルの河野だったが、いわゆる自分の将来や、何を目指すかや、恋愛観にしても、東大にはもっともっと個性的で面白い人材がいて、村上と掛け合ったらかなり面白かったのではないかと思われるため、そういう舞台に東大という場所をうまく利用しきれなかったのはやや残念なような、もったいない気がする。

賛否両論の妄想落ち

夢落ちとか妄想落ちという終わり方は、本当に漫画としては賛否が分かれる。東京大学物語にいたっては、妄想落ちという手法が用いられているが、著者のあとがきや遥のモノローグで、妄想力というものがいかに大事かというが語られている。その理論を納得できる人は納得するだろうが、よくわからなかった人は納得できないだろうと思う。

妄想という言葉を価値観や思想という言葉に置き換えると少しは納得できる面もある。いわゆる時代が変われば価値観や思想も変わり、正義や倫理の基準も変わるので、普遍的な価値観などない中で、一つの思想にがんじがらめになって価値観を多様化できない人は損だと言いたいのだと思う。

戦争の時代は戦争が正しいと教育されていたから平和主義者など非国民だったが、今は戦争賛成の人の方がおかしいと言われるように、絶対はないのだから縛られずに生きたほうが良いということだ。

著者は思想や価値観を妄想という表現に変え、あとがきでも色々論じているし、村上や遥が妄想力に長けた子供なのだという落ちにしたかったのだと思う。

しかし、村上が知らない場所で、村上に届かぬ思いを抱いて泣いていた遥の苦しみや、遥に片思いをして辛い思いをしていた河野の優しさなど、登場人物すべての積み重ねた感情が全部妄想でしたというのは、若干虚しさを感じた。あの海岸で笑顔で分かり合えた感動シーンですら想像か、と思うと、読者としては何とも言えない「今までなんだったんだ」感はあるだろう。

東京大学側はどう思うのか

読者の中には単純に疑問として考えることもあるだろうと思うが、東京大学は実在の国立大学である。かなり激しいエロ描写が多いこの作品の題名として使われることに、大学側は特に何とも思わなかっただろうかと不思議になる。東大生を出演させているバラエティなども色々あるし、小説や漫画でも東大生をモチーフにした作品は多いので、最高レベルの大学としてはいちいち気にしていたら仕方がないし話題になるのも最高レベルの大学が故というおおらかさがあるのだろうか。

私立の特に女子大などは、大学名をテレビ出演で出す時には学校に許可がいるようなところもあると聞く。そういう意味では東京大学の器の大きさも感じさせる。

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