世界から私が消えたなら - 世界からボクが消えたならの感想

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小説レビュー数 3,368件

世界からボクが消えたなら

3.553.55
文章力
4.00
ストーリー
3.50
キャラクター
3.50
設定
3.50
演出
3.50
感想数
2
読んだ人
3

世界から私が消えたなら

5.05.0
文章力
5.0
ストーリー
5.0
キャラクター
5.0
設定
5.0
演出
5.0

目次

モノローグ

「窓の外を眺めながら物思いにふけりたい時、お腹がいっぱいで単純に眠い時。そういう時は、お気に入りのチェアにゆったりと身を沈めて静かな時間を楽しみたいじゃないか。」出だしから、のんびりした気持ちになった。ご主人さまの朝食、コーヒーとトースト、それに目玉焼き。美味しそうでたまらなくなる。(笑)なんだか、ポカポカしている。

月曜日 悪魔

映画版でこの物語を観てからは、小説を読んでも 佐藤健さん、宮崎あおいさんが演じている時のイメージで 物語は再現され 進んでいった。当たり前と言えば、当たり前なのだが。始めの方でキャベツが、ご主人さまのことを「人間のオス」といっているのが、何だか可愛らしい。ご主人さまの歯ブラシの音を「シャコシャコ」と聞いている所の この「シャコシャコ」。このフレーズで初めて歯ブラシの音の鳴り方を聞いた。もう、歯ブラシの音は、「シャコシャコ」にしか聞こえない(笑)言葉を知り聞こえてくる音もあるらしい。ということは、言葉を知って、見えてくるものもたくさんあるんだろう。最後に電話をかける相手である『彼女』、この『彼女』という表現は、この小説だと私の中では、とても温かいイメージを持っている言葉の響きだった。普段、みんなが使う「彼女」という言葉とは違う気がする。本当に大切な時にだけ使う『彼女』という言葉のような気がするんだ。彼女と主人公を繋ぐかけらの1つである「メトロポリス」、私はまだ観ていないが、この映画を観た時、もう一度 この物語を読みたくなるんだろうな、と思う。

火曜日 電話

キャベツが悪魔の肩に乗った時に、「首筋から氷に活けられた花みたいな冷たい香りがする。」という場面。氷に活けられた花、、、私もゾッとした。『彼女』については、ワイワイするタイプではなくて 必要以上の言葉は話さない。だからこそ、伝わる何かがあるのかな?と思ったりした。電話が消えたら、電話はもちろん消える。だけど、それを取り巻いていた見えないものまで消えてしまう。この世界は、今にしか、いられないし、全てがいくつもの歯車のようにカチッと収まって回っているような感じもするし、、考えても頭がぐるぐるしてしまいそうだ(笑)この世界から、私が消えたなら、、、考えるだけで何だか、涙が溢れてきそう。消える、、か。

水曜日 映画

この小説のこの「世界から映画が消えたなら」のシーンで私は映画が今よりもっと好きになった。私の中の映画のイメージに、この小説の映画が持つニュアンスみたいなものが追加されたからだ。ご主人さまとツタヤの関係。口に出してコミュニケーションするだけでなく、DVDのやりとりをする、この行動もコミュニケーションなんだよな、と当たり前のことを改めて思った。ご主人さまとツタヤのやりとりを見ると、私もレンタルビデオショップに行ってDVDを借りたくなる。「ずっと...、あいつの観る映画を選ぶのは俺の役目だったんだ。それなのに見つからないんだ。さっきから探しているのに、どうしても見つからない。無いんだよ、どこにも。最後の一本が見つからないんだ」このシーンは、鳥肌がたった。どうして見つからないのか。どうして無いのか。理論的に考えるよりも、このツタヤのフレーズを読んで、感じていきたい。響いた言葉、「一方通行の想い出は、想い出じゃない。誰かと共有できない思い出には、何の意味もありはしないんだ」。ノートに書き留めておきたいフレーズである。

木曜日 時計

ご主人さまがキャベツの背中をなでる時の、フーカフーカした感触。こっちまで、フーカフーカした感触に気持ちよくなりそうだ(笑)。「日差しは柔らかで、ボクの背中をあたたかな風がなでる。」この小説は言葉の表現から、ものすごく立体的にいろんなことが伝わってくる。もしくは、イメージさせる。心地よくて眠くなりそうである(笑)。ご主人さまの、「ずっと気づかずにいたよ。僕はずっと、目の前のことだけに必死になって、ほんとうに大切なものを無視し続けていたのかもしれない。当たり前に生えているから、毎年春になれば見られると思って、僕は、道端に生えているタンポポをちゃんと見たことがなかった。何年も何年も、タンポポを楽しむことを忘れていたんだ」。きっと、私も毎日の忙しさに、あっという間に過ぎていく時間に、大切なことを見逃しているのではないか。当たり前な今日、当たり前にくるだろう明日、振り返る時間を少しでも取ること、空を見上げる時間、夕日を見る時間を作ることが必要だろう。当たり前ではないと思うと、不安になってしまうこともあるが、それに押しつぶされないように目の前のことを1つ1つ大事にしなければ、見えてこない何かがあるはず。あと、1つだけ羨ましいことがある。キャベツの感性である。歯磨きの「シャコシャコ」もそうだが、「冬の朝日が、ボクの瞳をぎゅっと縮めた。」や、「ご主人さまの瞳が乾いていく。」本当にリアルにいろんなことを感じさせられた。今まで感じたことのなかった、気持ちも。

金曜日 猫

もしも世界から猫が消えたなら、、、ご主人さまとご主人さまの家族、、ああ また頭の中が混乱しそうである。関係まで消えてしまうんだよね。「世界はいろんな、それこそ無限に近いような多くのモノからできている。そして、それほどたくさんのモノが溢れているのに、そのうちの一つでも欠けると、世界は姿を変えてしまうのだ。一つでも欠けてしまうと、ボクはボクではなくなる。この世界に、一人きりなんてありえないのだ。」確かに、この世界はたくさんのモノで溢れている。私は、いらないものができたら、すぐに捨てる。だけど、それを見た時に思い出す記憶も一緒に「さよなら」するということなんだなと思う。まあ、捨てないわけにもいかないけど(笑)。この世界から、一つでも欠けてしまうと、私は私ではなくなる。じゃあ、昔起きた戦争も事故も起きなかったら、私は私ではなくなるの?。いろんなことを考えてしまった。

土曜日 ボク

『生きてやる』。やはり、この小説で一番印象に残ったのはここである。あっさりと読んでしまった場面だったが、心にしみるまで何度だって読み返したい。「世界はすごくやわらかい」もしも私の家族が死んでしまっても、世界は何も変わらないのか。何もなかったかのように過ぎ去っていくのか。もしも私の家族が死んでしまったら、私から見える世界は姿を変えるだろう。死んでしまった後の方が、一緒に過ごした記憶が、重くのしかかってくるだろう。もしも私が死んでしまったら、世界は変わるのだろうか。私と一緒に過ごした記憶は、誰かに重くのしかかるのだろうか。それは、分からない。だけど、私は、生きていきたい。

日曜日 さよならこの世界

「本当は僕は気づいていたんです。父さん。カメラを持つあなたの手が、ずっと震えていたことに。僕と母さんとキャベツ。家族がそろったあの瞬間に、こみ上げてくる涙を、あなたがぐっと堪えていたのだということに。」ご主人さまが紡いだ言葉が、素敵である。心にしみる。「死ぬ」ことと「消える」ことは違う。ぜんぜん違うのだ。だけど、考えれば、考えるほど、死ぬことは怖くなる。不安になっても仕方がないのだが。死ぬことが怖くなった時に、別にどうしてくれるわけでもないのだが、もう一度この本を開きたいと思う。「死ぬ」ことと「消える」ことは違うんだ。

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視点だけでなく物語の内容自体が違う本

「世界から猫が消えたなら」とは別の物語と考えた方が良い「世界からボクが消えたなら」(以後、本書)は「世界から猫が消えたなら」(以後、前書)に登場する飼い猫『キャベツ』に視点を置き換えて執筆されている作品です。どちらの本も原作は川村元気ですが、こちらの本は涌井学著になっています。ということは、もちろんのこと文体が違います。川村元気の文体は非常にシンプルで一文が短いです。その分、1ページの中でも余白部分が多く感じられます。まるで絵コンテを見させられているような文体で、読み手に情景を上手に想像させてくれます。さすが映画プロデューサーといったところです。イメージを伝えるのが非常に上手いです。一方、涌井学はというと一般的な作家の文体と呼べるのではないでしょうか。もちろん原作が川村元気なのでなるべく川村元気に寄せている感じは匂ってきますが違うのが丸分かりです。一文一文の長さの違いや情景や心象の描写の...この感想を読む

2.12.1
  • migisukemigisuke
  • 287view
  • 2013文字
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