圧倒される世界の中でも動機はシンプル
砂の海の上を漂う泥クジラ
この漫画のすごいところは、なんといってもこの練りに練られた世界観。泥クジラの存在が何とも異質で、外の世界に何があるのかに恋い焦がれながら、隔絶された場所の中で彼らは彼らなりの“幸せの時間”をつむいできた。物語が進行するにつれ、それがわかるから…苦しいんだよね。知らなければよかったかもしれない。でも、真実を知ったからこそつかむものもあるかもしれない…。ヌースに支配されることなく、人が強く生きていくことのできる道が…。
小さな島で暮らす住人はたったの500人ほど。それでも、100年近くもの時間孤立し漂流してきた中で、確実に子孫を増やしてきたんだよね。本当はもっと少ない人数だったかもしれない。印の者たちは若くして死ぬけれど、早いうちに子を設けたりしたんだろう。無印の者たちもまた、島の人々のささやかな日々を、ずっと見守ってきたんだと思う。
島の外には何が広がっているんだろう。違う島にはどんな人が住んでいる?オウニも、チャクロも、みな恋い焦がれた外の世界。隔絶されていたほうがずっと幸せだったということを知ってしまう悲しみ。人を殺すためになど使ったことがなかった情念動。期待が絶望に変わり、安住の地などないことを知ってしまう苦しみ。どれもが痛々しく、かわいらしい絵とは裏腹な現実に心が痛みまくる。ただそれがすごくリアルで、切実で、心を揺さぶってくるし、動き出すのはいつでも子どもたちなのであると知る。チャクロという、泥クジラの歴史を詳細に書き綴ってくれた人がいなかったら誰にも触れられることなかった真実。巻頭などで成長したチャクロらしき人物が、誰かにその話をしているシーンが出てくるから、おそらくは彼は生き延びて、真実を伝えるポジションにあるはず。早くも結末が気になって仕方がない。
ナウシカ的な
チャクロ、オウニ、スオウなどなど、名前はナウシカ的な響きがあるよね。そして、世界の感じもどことなくジブリの世界に近いものを感じる。「風の谷のナウシカ」を描いた作者さんが描いた別の作品に近い、柔らかなタッチで描いていることはとても切実…っていうパターンによく似ている。唯一瘴気の影響の少ない、風に守られた小国…戦争にのまれ、命を落とす者もいれば、守ろうと奔走する者もいる。
ナウシカと違うところは、おそらくは人と自然とが共存できる道にはならなそうってところ。ナウシカの場合は、人と自然とが共存するための道を模索することになるけれど、「クジラの子らは砂上に歌う」では、いまのこの情念動を使う状態、ヌース・ファレナに命を吸われ短命で朽ちていかなくてはならない状況から脱するために、おそらく理をひっくり返す勢いになってくると思う。オルカはその方向で動いているし、チャクロとオウニもそちら側の動きになるのではないだろうか。もちろん、仲間を殺したオルカと共闘することはないだろうし、使う手段は全く別になる気がするけど、泥クジラで生きそして朽ちてきた家族たちのことを考えると、因縁をぶちのめして新たな生き方へと歩み出すと思うんだよね。その時オルカは存在しなかったとしても。
アロギニアに安住の場所はなさそうだから、ロハリトと一緒にどうにか新しい国を創ってくれないかなーって思う。
少しずつ明らかになる井の中の蛙
全容を明らかにするのはとてもゆっくり。そして丁寧。10巻越えてきて、ようやくこの世界の状態がだいたい明らかになったよね。泥クジラは93年前に人間の世界のある国から流刑をくらった人々の島。ずーっと漂流する中で生き延びてきたということ。そして彼らなりに人としての幸せな生き方を模索してきたということ。オウニの存在を軸に、今だからこそその因縁を断ち切るところにあるということもよくわかる。そして、オルカたちのように、感情と引き換えにヌースから力を得ることが果たして正しいのか、人として生きていく道はどうあるべきなのかを問われているということもわかってきたね。
オルカはファレナの憎き敵でありながら、もしかしたら救世主かもしれないという実に複雑な立場にあるし、世界の行く末を見つめるとき、オルニもまた生き延びてくれているかどうか…不安なところではある。泥クジラで生まれ、泥クジラで育ってきた子たちが、殺戮の先に見つめるもの。それが汚れなく人のためであり、感情豊かなものであることがまた胸がしめつけられる演出だ。人に蔑まれ、見捨てられた人たちだったからこそ、子どもたちには汚れのないものだけを見つめさせ、大切に、幸せに育ててきた。それもまた1つの生き方なんだろうし、責めるべきものではないと思う。ただ、それに反発し、自分たちのルーツを知りたがったり、なぜ当たり前の事のように人が死ぬのかに疑問を持ち、どうにかできないかと悩んで、いつかは真実にたどり着いてしまう。遅かれ早かれ、チャクロたちのような若者たちが、泥クジラの真実にたどり着くことはあったんだと思うよ。囲われていようとも、人にはものすごい想像力と、行動力があるってことが伝わってくる。
オルカのやりたいこと
虫一匹すら殺せなかったはずのオルカの決意。そしてオリヴィニスが代償もなしに“カギ”を渡すことを決めた理由が何なのか?この星の根源のような存在が、オルカに託したとも言えるその行動。それがチャクロたちとどのように交わり、1つの答えにたどり着くのだろうね。
できれば、彼らには何らかの形で共闘してほしいと願うけれど、オルカが最後に生き延びているかは非常に怪しい。彼は、妹とともにすべての罪と代償を背負ってしまう気がする…彼の持つ強力すぎる悪魔のような情念動に、オルニや自警団元団長などの強力な力が加わるのか、反発するのか…ワクワクしまくっているところだ。
そしてチャクロ。彼は記録をする存在でありながら、情念動も隠し持っている何かがあるみたい。彼が中和役となり、感情も、ちからも、すべてをうまく緩和させてくれないだろうか。誰よりも感情豊かで、感情を奪われた人形兵士にはない情動を持ち、だからこそ強い力を発揮できるチャクロ。オルカのやりたいことを、理解しようと思いつつ、サミを奪った彼とどう対峙するのか。人の命を簡単に奪うことがオルカの自分に課した罰であり、強大な力と引き換えに与えられた痛みのはず。選ぶ道が違う者同士の演出がすごくうまいね。話が少し難しいから、大人が読むほうが適しているだろう。
人と人ならざるものとの争いとなるかどうか
オリヴィニスのように、人を試すような存在もあるのだから、全部の人ならざる存在が人を否定しているわけではないと思う。ただ、どうしても人は間違うことがあって、感情があって、どうしようもなく人を愛すことも、傷つけてしまうこともある生き物…そこにどのような共存の仕方を示すのか、クジラの子たちが笑って生きる世界はいったいどんな世界なのか…うまく事態に収拾つけられればいいけど、途中で打ち切りとかやられたら本当に泣きそう。楽しみにしているので、どうにか彼らの行く末を包み隠さず語ってもらいたい。
最後には、主要人物であろうとぶっ殺す可能性があるし、もしかしたら、随所で登場するチャクロの存在も生きているわけではないのかもしれないけれど、どうか幸せな未来がつむげていることを願いたい。サミの分も、家族の分も、先に亡くなった人たちみんなの想いと記憶をのせて、泥クジラには進み続けてもらいたい。
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