模範生は幸せか
「読書」という概念がない
本を読む。紙に触れ、ページをめくるという行為がない。すべてが高速。広告だって同じように。
本は禁忌のものである。
本を燃やす職業が存在し、本というそのものを世界から排除している。個人の思想の自由なんてものは存在しない。管理された社会。そんな社会で、本を焼いて、漫然と生きていた主人公の思考が徐々に変わっていくのが醍醐味である。本に価値を見いだしている人が圧倒的少数で異端児である社会において、本は禁断の果実そのものであった。そもそも読書という行為は何か。人の頭の中をのぞき見る行為だろうか。新たな価値観を発見する行為だろうか。自分そのものをみつけることだろうか。そういったことを問いかけられている。電子化していくことが良いとされる世界で、SF作家の大家であるブラットベリが投げかけたかったのは、すべてが制御可能な社会になっていくことによる個人の思想への制限だったのではないか。
「幸せ」とはなにか
クラリスの問いかけがじわじわとモンターグを浸食する。模範的なファイアマンであったはずが、「本」に興味を持ち、禁断の果実に触れてしまったことで、彼の世界は一変する。同僚から追われ、自身のコミュニティから迫害され。自ら意図を持ち、価値を見いだした書物を焼き払っても、彼は「幸福」を追求していくのだ。
禁断の果実を口にした者の末路
果たして、モンターグは幸せになれたのだろうか。管理されきった社会の異質さに気づき。過去の遺産を頭に刻みつけ。私はそうだといいたいが、違うと考える。知りすぎは不幸である。世の中知らなければ良かったと思うことのなんと多いことか。しかし、無知の知という言葉ある。知らないことを知っていることの方が、知っていると思う者より優れているというソクラテスの言葉だが、「華氏451度」の世界ではそのことさえ存在しないように思う。要するに、思考自体がないのだ。自ら考え、思い、感情を揺るがせる。そんな当たり前が、欠如してしまった社会において、知っている者は幸福だろうか。
幸福である
モンターグは永遠に自身に問いかけ、言い聞かせこれから生きていくのだ。それは今を生きる私たちにも、ブラックベリが書いた当時も変わることがない。彼が想像したようなロボットに支配される社会には幸運なことにまだなっていない。しかし、人間の特権である、考えることや、考えたことを伝えることを捨て去ってしまったら、私たちの未来は思考をなくしていってしまうのかもしれない。
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