映像的な描写とスリリングな展開に引き込まれる大作
「シャイニング」の続編
この物語は「シャイニング」の続編にあたるものである。それを知った時私は「シャイニング」を読んでいなかった(映画だけは観たけれど、それほどその恐怖が理解できなかったことを覚えている)ので、ストーリーがわからなかったらどうしようと少し残念に思った。だけれどもそれを読んでいなくとも十分話は理解できたし、この「ドクター・スリープ」は、全く新しい展開になっているので何も問題はなかった。
メインの登場人物は「シャイニング」当時は少年だったダンが36年を経て大人になっている。彼が主人公なのだけど、年をとるにつれ強力になってくる能力「輝き」に悩まされ続け、アルコール中毒のくたびれた大人に成り果てている。物語はここから始まる。
スティーブン・キングの作品には時々このようなアルコール中毒の人物が登場する。上手にお酒に付き合っているという描写はあまりなく、お酒好きな人物は大体がAAのお世話になっている(アルコールで身を崩している描写が多いのは「図書館警察」だろうか)。この極端な設定はアメリカならではのものなのかもしれないが、日本ではそれほど馴染みがないのでAAにいくレベルはどれほどのものなのかというのは想像の域を超えない。ダンはその能力を封じ込めるために酒に溺れたのだけど、いつものように泥酔したときに後々引きずる後悔の元になる母子に出会う。この二人はそれからずっとダンを悩ませるのだけれど、その子供の不憫さの描写(キャンニィ)は小さい子供を持っている親なら読み通すのがつらくなるものだと思う。ダンも元々は心優しい人間だからこそ、その子供を放置した事を忘れられなくて余計お酒に頼ってしまう悪循環になってしまっていた。この気持ちもわかりすぎるほどわかる上、もしダンが「輝き」さえ持っていなかったらはまることのなかった泥沼なだけに、深く同情してしまった。
いくつかの漫画や映画を思い出させる様々な場面
ダンがディックからもらった金庫を悪霊たちを閉じ込めるために頭の中で作り出す場面がある。その実在の金庫をありとあらゆる方向から眺め、匂いをかぎ、中の手触りから何から自分のものにして、全く同じ堅固なものを頭の中にいくつも作り出すところは、冨樫義博の「Hunter×Hunter」のクラピカが鎖を具現化した場面を彷彿とさせる。それはとてもワクワクしたところだ。
また「真結族」の者たちが能力者の「命気」を吸って生きているところは、篠原千絵の「蒼の封印」を思い出す。リーダーの女性が飛びぬけた美人であることもよく似ている。もちろんヴァンパイアしかりそのような話はたくさんあるのだけど、自分の知っている作品作品が共通点があったりすると、ちょっと雑学が増えたような、ちょっと賢くなったような(俗に言うと“通”になったようなと言うべきかもしれない)気がしてうれしい。
もっと言えば様々な能力を持っている「真結族」自体、ドラマ「HEROES」のようで面白くないはずがない。しかしこのような設定はややもすると子供っぽくなったり陳腐になってしまったりという危険性を孕んでいる。なのだけどそこは巨匠スティーブン・キングだからこそなのか、大人向けの上質なサスペンスに仕上がっているというのはさすがと言うところだと思う。
少し違和感のある言葉の数々に馴染むとき
これは翻訳本だからどうしようもないことなのだけど、読み始めていくとどうしても日本語としては不自然、というよりはちょっとした違和感を感じる言葉が時々出てくる。まずここで言っておきたいのは、この「ドクター・スリープ」を翻訳しているのは白石朗氏で、彼はたくさんのキング作品を翻訳している。それは他の訳者が翻訳したどれよりも自然で臨場感があり、彼の翻訳でキングを読むのが個人的には一番だと思っている(2番目は中編になるけれど、池田真紀子氏が好みだ)。だから彼の責任とかではなく、キング特有の造語を日本語にマッチさせるのが困難極まるのだろうということだと思う。
例えば「命気」「命気頭」「転じる」「回生」など、なかなかイメージしにくい言葉が多々でてくる。そしてどういう意味だろうかと一瞬頭が物語から離れてしまう。それがあまりにも続くと(言葉の意味だけでなく文章の意味もわからないとそうなってしまう)、その本自身に興味がなくなってしまう危険もある。
しかしながらあまり気にせずに読み進めていくと、これ以上ない言葉に思えてくるから不思議だ。命が気体になり体から抜け出ていく様が「命気」には感じられるし、能力を持つ者の命という特別感も感じられる。「真結族」の者が死にかける時に見せる透明になったり元にもどったりする様はまさに「転じる」がぴったりだと思うし、元々普通の人間だったものを「真結族」の者とするのは「回生」という言葉がしっくりとはまる。
数々のこういった言葉たちに馴染んだとき、完全に物語に引き込まれてキングの世界を理解できたときだと思った。
キングの表現力の素晴らしさ
アブラとローズが入れ替わった場面がある。それぞれが相手の頭の中に入って、相手の目から外を見るという複雑な場面だ(ちょうど「フェイス/オフ」でアーチャーとキャスターが入れ替わった挙句、鏡の部屋で相手と対峙する場面のような)。それが、まずアブラがローズの頭に入って見た風景の描写で一旦終わり、ちょっとわかりにくいなと思った時場面が変わり、今度はアブラの頭に入ったローズが見た風景が描写される。この二つの場面を緻密に書いてくれることで、二人の今いる立ち位置も理解できたし、二人がお互い相手の頭に入ったのだということも理解できた。そしてそれはお互いの現在地を相手に知られることとなったことも同時に理解できた。この同時に起こる色々な情報を映像でなく文章で表現するというのは、とても難しいことだと思う。しかしスティーブン・キングの小説には時々そのようなことがある。だからこそ彼の文章の表現力は群を抜いているし、だからこそ彼の文章は映像的なのだと思う。そういったところは他にもあるのだけど、特にこの場面がそれを実感したところだ。
そして後半のアブラとローズの対決にもそのような表現は多く見られる。それはとても臨場感を感じられるところでもある。
アブラとローズの対決
ダンとビリーに助けられながらも圧倒的な力を見せ付けるアブラの戦い方は、前述したキングの卓越した描写の力によってスリリングに描かれる。アブラが2箇所に存在するため多少は難解な場面だったが、それでも早く読み進めたくて仕方のないくらいの(映画だったら「これは映画だぞ」と自分に言い聞かせないといけないくらいの)のめり込み様だった。
ただ少し残念だったのは、ローズがそれほど強くなかったところかもしれない。「真結族」のリーダーとして君臨するからには相当の力がないとと想像していただけに、アブラの能力の前では「いいところまでいった」くらいのレベルだったのが残念だった。もっとギリギリまでの勝負になってもよかったかもしれない。しかしそれは、アブラには協力者がいたけれど、ローズにはいなかったことも(いたにはいたけれど主力メンバーは殺されてしまったことも)敗因だったのだろう。
ローズにダンが力で押されかけたとき、助けたのは父親だったという設定も鳥肌がたった。映画ではただただ恐ろしかったダンの父親も悪霊に体を乗っ取られただけで、性質は悪い人間ではないということ(癇癪もちだったことは疑いの余地はないけれど)なのだろう。だからこそダンが最後まで父親を愛せたのだと思う。この本を読んだ後おおまかなことは後々忘れても、ここは忘れないと思えたような名場面だった。
穏やかなラスト
対決を終え年月を経て尚、アブラとダンの友情は続いている。同じ能力を持つものだからこそのアブラの苦悩をダンは誰よりも理解できる。ティーンエイジャーのアブラは思春期らしい反抗を見せながらも、彼ほどの先生はいないことはわかっている。だからこそダンの戒めは母親のそれよりも効くのだろう、真剣な話なのだけれどどこか微笑ましく感じた。
また、あれほど憎らしかったカーリングの最期を見守るダンの微笑みは、ダン自身も何段階も成長した証なのかもしれない。
この小説は「シャイニング」の舞台を何度か絡めながら、新たな世界を作り出した名作だと思う。贅沢を言えば、前作「シャイニング」を読んでから読んだほうがもっと面白かっただろうとは思う。しかし今からでも遅くない、数あるキング作品の中でも次読む作品が決まったことはうれしい限りだ。
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