漫画らしくない、人間のリアル
「いるいる」リアルなキャラクター
東京の歌舞伎町が舞台ということで、(土地柄なのか)深夜だけの営業というとあまりいい印象がないのは私だけでしょうか。タイトルの「深夜食堂」という名前からすると、思っていた内容とは全く違う漫画でした。何よりも、キャラクターの個性が強い!私は安倍先生の描く女性が特に好きです。マリリンや小寿々さん(?)は水商売の女性ですが、決して美人のキャラではありません。特にマリリンは少し安室○美恵に似ていますが、どことなく「少しブサイク」な女性であることが可愛らしいキャラクターと思ってしまうのです。付き合う男によって好みが変わる女って、いますよね~。作中で学生時代、マリリンは友達がいなかったというような表現もありましたが、そういう女って大体同性から嫌われるもんです。けどなぜか次々すぐに男ができて、案外幸せになったりするんです。また、誇張しすぎない顔の特徴の表現も好きです。まゆみちゃんみたいにぽっちゃりしている女性はほっぺたが盛り上がっていて、どうしても大きい顔の印象になりがちです。改めて見てみれば、「こんな人いないよ!」という顔の人って、深夜食堂に出てきません。年を取ってできた皺や、忠さんのようにいやらしくニヤッと笑う唇。自分の知っている誰かに似ているなと思ってしまうような画風が、よりストーリーに引き込まれる要因ではないかと思います。こういう、「いるいる」というキャラクターばかりが集うめしやですから、リアルな人間関係を違和感なく受け止められるのかもしれません。
美談にできない、きんぴらごぼうの回
私がキャラクターの中で一番好きなのはゲンちゃんです。初回で読んだきんぴらごぼうの話では、スマホを片手に小一時間ほどゲンちゃんのその後を考えてしまいました。竜ちゃんとの初登場のシーンでは「いかにもチンピラ!」という感じでいい味出してるキャラクターだな~くらいに思っていました。何より、チンピラ顔というのでしょうか。竜ちゃんほど見た目の迫力がない、エラのはった爬虫類のような顔にとても好感が持てます。やくざ映画では、ほぼほぼセリフがないエキストラのような顔と言ってもいいかもしれません。それがあんなに切ない話に巻き込まれるとは、登場シーンでは全く予想しませんでした。偏見ですが、きっとゲンちゃんは、彼女がいないんじゃないかと思います。あまりモテそうなタイプでも無さそうですし、先生と話している感じを見ると女性と話すのも苦手な印象です。ただ、ずっと市川先生が好きだったのかというとそうでもない気がします。子供の頃というのは、先生に憧れを抱くことは誰でも経験があることではないでしょうか。今回はたまたま高校時代?の恩師が相手でした。中高生まで成長すれば男女の恋愛感情もわかってきている大人ではありますが、学校はそれ以上に楽しいこと・面白いことが溢れています。ゲンちゃんもその時好きな子がいたと思いますし、きっと市川先生にも恋人がいたのではないでしょうか。あくまでも「美人の先生」に対しての憧れで、ゲンちゃんの友達と「いいよな」と話のネタになるレベルではなかったのかと思っています。それが今回めしやで再開して恋心に変わったのは、2人の別れ際に出てきたきんぴらごぼうの印象が相当に強かったの事と、たまたまその時ゲンちゃんに彼女がいなかったことが原因ではないかと感じました。ゲンちゃんも人間なので、寂しいことはあります。竜ちゃんに(いい意味でも悪い意味でも/笑)可愛がってもらっているゲンちゃん。小寿々さんのようなゲイではない限り、女性との触れ合いが必要ないと思っているわけではありません。併せて、ヤクザという仕事柄、将来に対する不安や人生に対して色々考えることも多かった時期だったのです。特に夜は、人間の思考がマイナスに向かう時間らしいです。それでたまたま恩師に会って、青春時代のいい思い出だけが蘇って、感情が変化したのは現実でもよくあることです。だから、当時の憧れの感情が何十倍にも膨れ上がり、「ずっと好きだった」と錯覚してしまったのではないかと考えているのです。今回は市川先生が亡くなってしまって漫画らしい美談で終わってしまいましたが、ゲンちゃんの今の精神状態・タイミングがたまたま合致したこと産んだ話だったと思います。もちろん単純に「ゲンちゃんがかわいそう」とも思いましたし、「結ばれれば良かったのに」とも思いました。でも、「好きって思わなかったら傷つかなかったのに」とも思ってしまいました。その後ゲンちゃんはちゃんと立ち直って新しい恋人を見つけることができたのかわかりませんが、様々な人が集う歌舞伎町ではよくあることなのかもしれません。ヤクザのお仕事もしっかりしながら、幸せになってくれることを願います。
マスターとは何か
きんぴらごぼうのゲンちゃんに限らず、深夜食堂は人間の弱さをよく表している作品です。実は私自身夜の世界で働いていたことがありますが、本当に「あるある!」という状況がめしやではよく起こっています。漫画なので、ストーリーが進みやすいように過去にお世話になった人や生き別れの人が出てきたりしますが、初対面なのにいきなり恋愛に発展したり喧嘩から親友になったりは現実世界でもよくあることなのです。特に歌舞伎町のゴールデン街。舞台が舞台だけに、「こんなことありえないよ!」とも言い切れない微妙なシチュエーションが他の漫画よりも心がムズムズしてしまいます。ノンフィクションと言ってしまっては言い過ぎですが、ありえない設定の恋愛漫画に比べたらとてもリアルで漫画の世界に引き込まれるような魅力があります。例えば、落ち込んでいるときに優しくされてその人に対しての印象がいいように変わってしまうというのは誰でも経験があると思います。そんな偶然が毎回出てくるのがめしやです。経験している本人からしたらそれが運命の出会いに感じるかもしれませんが、案外外から見ている周りからすれば残念な結末が見えてしまっているということもあるのです。人間の嫌な部分があからさまに目の前で繰り広げられるわけなので、マスターは正直嫌にならないのかな?と思うことがあります。マスター自身謎のキャラですし、目の傷の過去も全く出てきません。毎回の事件を何とも思わないくらい、壮絶な過去があるのでしょうか。みんなめしやをきっかけに何かが起きるのに、対して愛想のよくないマスターに正直に自分の相談をしている印象です。何がそんなに人を引き付けるのか。どうして話がしたくなるのか。もちろんめしやのご飯がおいしいのが理由だと思いますが、その何とも言えないマスターが、また私の心をムズムズさせます。特に誰が相談してもマスターは余計なことを言わずただタバコを吸うだけですからね。もしかしたらマスターは、料理を作るのが好きなのではなくめしやでの人間模様が見たくてあのお店を経営しているのではないでしょうか。めしやを通して、まるで食材から料理になるように人間関係が変化していく不思議な環境を作っているのはマスターです。漫画では主人公の位置にいるマスターですが、物語の裏番長というか、語り手というか。まるで世にも奇妙な物語のタモさんのような、前途も悪とも取れない位置にマスターはいるのです。そういった色々な役割を果たしているのがマスターです。もしこんなハードボイルドなマスターとお話をする機会があったら、マスター自身の過去の話をじっくり聞いてみたいものです。
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