優れたゲームを忠実に再現するだけでなく、大胆な構成を活かし切ることで、今後の作品作りの「可能性」を強く示した一作
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「携帯以前」の空気を宿した「アマガミ」は「青春作品」であり、「ときメモ」のアンチテーゼ的性質を有していた
「アマガミ」の舞台となっているのは、一説によると九十年代半ば頃の高校だとされています。実際アマガミには、携帯メールで手軽に連絡を取ったり、ネットの匿名掲示板で愚痴ったりといった描写は基本的になく、そのことが三十代半ば以上の人たちにとっての「あの頃の俺たち」と相通じる雰囲気を作中に滲ませる理由になっています。確かに、九十年代半ば、管理教育や不良たちで荒れた学校といった状況を脱し、「ゆとり教育」に向かう時代の雰囲気は生徒同士の恋愛に重きを置いたギャルゲーの舞台にするにはふさわしい点が数多くあるように思えます。しかし私は、単なる郷愁や最適化だけではなくもう一つの大きな意味があったと推測しています。
九十年代半ばというのは後に伝説となったギャルゲー「ときめきメモリアル」が誕生した時期でもありました。そして「ときメモ」が描いていたのは「当時における今の学園生活」、つまりアマガミと同じ九十年代半ばの高校生たちです。「ときメモ」の主人公は誰であっても感情移入しやすいようにといった配慮からか特徴が薄く、対して攻略対象の女の子たちは外見から尖っています。青やピンクといった現実ではまずあり得ない髪の色やキャラ付けがなされているだけでなく、主人公が自分を磨いて能力を一定以上にしておかなければ、鼻もひっかけられないといった面もありました。こうしたキャラ付けとシビアさはユーザーに支持されたこともあって、以後ギャルゲーの定番と化していきます。
一方の「アマガミ」においては、ヒロイン候補の女の子たちも対象外のキャラも、それぞれ個性豊かで魅力的ではあるものの、非現実的と言えるほどの尖り方はなく、髪色も現実に有り得る範囲を外してはいません。主人公の橘 純一君は見た目は爽やかなのですが、とにかくエロかったりとんでもないリアクションを取ったりと極めて個性が強く、「能力」の加減ではなく純一の行動と内心によって相手との関係を構築していくことになります。つまり「アマガミ」は、偉大な先達である「ときメモ」とは似ているようで真逆な世界を構築したアンチテーゼ的作品でもあり、だからこそ九十年代を舞台にした意味があった、とも取れるのではないかと思います。
「情の世界」にふさわしい「各ルート順次成立」の成功によって成立した、誰も奪い合わず傷付くことのない優しさを帯びた世界は視聴者にもフレンドリー
そしてその原作ゲームの世界を忠実に再現した「アマガミSS」においても、その世界観はいかんなく生かされています。元々、この種のゲームをアニメ化、漫画化するとなるとなかなか難しい問題に直面することが少なくありませんでした。ゲームにおいてはユーザーが好きな相手を攻略対象として何度でもプレイできるのに対して、漫画や小説などにおいては一つの結末を、つまり主人公が誰とくっつくかを決める必要があるからです。当然その過程では真摯な好意が実らなかった大勢のキャラが登場し、場合によっては板挟み、奪い合いといったシビアな描写が必要になってくることもあります。そうなるとどうしても後味は悪くなりますし、読者や視聴者にとっても、お気に入りのキャラが不遇な目に遭うという不満が残っていきます。かと言っていつまでも結論を出さないと、主人公はウジウジした優柔不断となり、これまた具合が良くありません。
しかし本作ではこの難題を、「数話ごとに各ヒロインのルートとして区切り、恋が成就した次の回からはまた一からやり直す」ストーリー構成にすることで解決させています。これによって本作は一つの「結論」に縛られる必要がなくなり、ヒロインがフラれることも、不毛な修羅場が展開されることも、不自然に目移りする主人公にすることもせずに済んでいるわけです。これは、「情の世界」にふさわしい優しさでもありますが、視聴者側にとっても不要なストレスが少なく、気になるルートの頭から見始めればいいということで途中からの視聴がしやすいというメリットもあり、まさしく三方得の構成だったと言えるでしょう。実際、この「アマガミSS」で取られた形式は、後継の「アマガミSS+」や「セイレン」でも踏襲され、ギャルゲー原作のアニメの「新たなる定番」として受け入れられた感があります。原作を忠実に再現し、原作でも人気だったエピソードをふんだんに取り入れている本作ですが、単なる焼き直し増補版ではなく、アニメのみならず作品作りにおいて新たな可能性を示している点で極めて有意義だったと言えるでしょう。
挑戦的な手法を成功に導いた最大の功労者は「橘兄妹」!? ソーシャルゲームに負けない作品作りのカギとは
もっとも、いかにこの「新定番」が作品の破綻を減らし、視聴者や読者のストレス軽減に効果があるとは言え、安易に真似しても成功はおぼつきません。「ルート並列提示」の手法を取った作品を視聴者が通しで観る場合、世界の繰り返し、やり直しを延々と迫られることになるわけで、外面的な変化が乏しい事態を強いられるからです。ストーリーの筋が不快だったりすると、たちまち退屈感は増大し、「もういいよ」ということにもなってしまいかねません。
そのため、あらゆるルートで主軸となるもう一方の主人公と、彼に極めて近しいキャラクターのリアクションや好感度が作品の成否を大きく分けることになりますが、本作の「橘 純一」君と「橘 美也」ちゃんの兄妹は、その点を実にうまくクリアしていました。純一君はムッツリスケベで過激なほどのリアクションマンですがそこに不快感はなく、むしろ相手によって様々に、しかも無意識に変わっていきます。犬を飼いたい森島先輩に対しては忠実で面白く頼りがいのある「ワンちゃん」になり、自分の殻を破れない後輩の中多さんに対しては(暴走して)「教官」としての役割をいかんなく果たしていきます。これだけの振れ幅があるのですから画一的な対応になるわけがなく、視聴者を飽きさせることもありません。一方の美也ちゃんは主人公の妹ですから基本的に「攻略」の対象にはなりませんが、笑ったり喜んだりスネたりと感情の動きが多彩で、猫のような魅力をブレずに持っています。つまり、ルートによって変化する純一とは真逆の立ち位置ですが、だからこそ安定感があり、見ていて飽きることもありません。この橘兄妹が異なる立ち位置から魅力を発揮していたことが、本作の挑戦的な手法が成功した一因ではないかと思っています。
本作で示されたのは、リプレイ性の高いゲーム的手法の有効な活用でもありましたし、登場人物をどう活かしていくかという点だと思いますが、それは同時にアニメなどの既存ジャンルが、ゲームという日々進化を続ける新たな勢力にいかに対応していくかという可能性でもあったように思います。その点から考えると、本作が放映されたのが、スマホとソーシャルゲームが全盛を迎える頃だったという点にも意味があるように思えてなりません。いずれにしても、「アマガミSS」は、とても魅力的で個性的なキャラが色々な名場面を動きながら再演してくれる、優秀なゲームの優秀なアニメ化ですが、それだけで済ませるにはあまりにも惜しい、画期的な部分をいくつも含んだ作品だと言えるでしょう。
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