一人から二人へ
護霊の世界と現世
本作は転生待ちの幽霊が、修行として現世に生きる人の守護霊をするという話である。この発想だけ描かれたマンガは少なくない。その内容がコメディであったり、恋愛ものであったり、悲哀な物語だったりと内容は様々だろう。しかし本作の主人公は2011年の内閣総理大臣で、作品のメインとなるのは政治と福島原発の話となっている。東日本大震災及び福島原発事故は我々日本人にとって近年最もショッキングな事件で、被災後の政治と生活が見直される事となった。報道などを介し、個人と政治との関係性について改めてその複雑さを目の当たりにした者も多いと思う。
本作をはじめて読んだ時は、守護霊の少女が「ガン爺(ガンジー)」とオセロをしていたり、あの世に学校があって輪廻転生について勉強する場があったり、守護霊として憑く相手が内閣総理大臣だったりと、コメディ色の強いマンガかと思ったが、読み進めていく内に重い内容であることがわかる。孤独な戦いを強いられる内閣総理大臣の姿と、政界にはびこる醜悪な環境が突如描かれ、読者はまさに天国から地獄へ突き落とされることになる。死後の世界の話が絡む事や人の心に住む「魔」を見て、スカイハイの独特の死生観を彷彿とさせた。自身は単行本で本作を読んだが、掲載されていた雑誌「ヤングジャンプ」を手にした人たちには衝撃的な作品であっただろう事が予想できる。
本作を読むに連れ、おそらくは「政治マンガ?原発問題?説教や平和論を強要されるのなんてまっぴらだぜ!」と思っていた読者も虜にされたことだろう。その作品の力・魅力について考察したいと思う。
政治マンガの立ち位置
本作の魅力について考察する前に、一度「政治マンガ」について考えたい。政治とは簡単に言うと、国民の生活をより良く豊かに発展させるためにするために、代表者がルールを作り予算を割り当てていくことである。これ非常に大事なことであり、代表者たちの行動や意見が有権者達の注目を集める。故に今も昔も「政治」とは国民にとっては興味の尽きない事象であり、これについて語り合うと必然的に白熱した議論となる。酒の肴として政治を持ち出したら、酒がうまくなるかどうかはともかく一晩だって飽きずに語り合えると言ったものだ。政治と言うのは、言葉は悪いが「面白い素材」なのだ。何千人、何万人の生活や命がかかった行事を「面白い素材」というと不謹慎かもしれないが、奥が深く、自身の生活がかかっているからこそ、真剣に学び、真剣に意見を持てるものであるのだろう。
例えば「サッカー」でも「鉄道」でも「アイドル」でも、人を夢中にさせるものと言うのは、えてしてマンガにもしやすく人気も出やすい。しかし、この政治マンガと言うジャンルは、その特性と国民性によって非常に敬遠される存在なのだ。「誰もが夢中になれる題材なのに敬遠されるの?」という矛盾であるが、これが何故かと言うと「政治を語ると思想の誘導や洗脳をすすめられた」「作者が妄信的な右翼・左翼である」といった悪い印象になることや、自身意見が否定されることに嫌悪感を抱く読者が多いジャンルであるからだ。特に「誰がやっても同じ」という政治に投げやりな若者にその傾向は多く見られ、マンガ・アニメ・映画といった作品を見る客層がこれに当たるのも不人気の理由だろう。政治に興味がない若者ついて深掘りすると長くなるので割愛するが、作者も出版社もそういった意味で手を出しにくいテーマなのだ。こういったことをまず前提として置きたいと思う。
本作を震災復興や原発問題のマンガと思っていないだろうか
本作は2011年の日本を舞台としている。この年の3/11に東日本大震災があり、福島原発事故は日本だけでなく世界に大きなショックを与えた。主人公である総理大臣は「無能総理大臣」「内閣支持率9.6%」「そろそろすげ替える時期」「早く消えてくれ」という「魔」を指してくる人々に囲まれ、味方のいない孤独な存在として描かれている。彼の守護霊になる少女は、「総理って日本一のいじめられっ子なんか……」と言っているのが非常にシュールである。シュールではあるのだが、当時の日本では笑えない話で、現実社会においても小泉内閣以降、日本の首相はとにかく2年と持たずに入れ替わる時代である。2011年から2013年にかけて連載されたマンガなので、見ようによっては、マンガというメディアを使った「政府批判」のような受け取られ方をされるタイミングである。この時期は「頑張ろう日本」というスローガンと、世界の人々から「頑張れ日本」というエールを送られていた時期であり、多くの作家陣もそのような日本の姿をマンガ・小説・ドラマとあらゆるメディアで取り上げ、日本復興のために動いていた。また、この時期に「脱原発」を訴えるメディアや政党も目立ってきており、一見すると本作も、その時流にのって生まれた一つの作品だと受け止められてしまうかもしれない。
勿論作者としても、このような悲劇を忘れてはいけない、人は忘れてしまう生き物だから、ヒトリからフタリへ想いを伝えていかなければならない。というメッセージを込めたことだろう。
だが、本作の根幹はそこではない気がする。本作を読んだ読者は、本作をただの原発反対マンガと見ただろうか。本作のタイトルである「ヒトヒトリフタリ」という言葉もこの原発問題のエピソードで消化されてしまったのだが、実はこの時点でLife49(49話)である。単行本、全8巻中、5巻目でのエピソードなのだ。ここからは非常に難しい考察になってしまうのであるが、以降のお話が必要だったのかどうか?ということが問題となるのだ。これは本作が作者の意図によってこの構成になったのか、それとも編集のテコ入れにより話の構成を考えたのか?ということである。
例えば本作には見せるべきものがいくつかある。
・福島原発の問題
・政治家のあり方
・主人公の家族(息子の養子)
・敵となった霊能力者
・その片棒を担いだ二世政治家
・守護霊の少女との縁
本作を「脱原発」というプラカードを持ったデモだと感じていた読者にとっては、以降の話は、ただの伏線回収・消化試合に見えたのではないだろうか?本作のクライマックスは国民の民意を高めるシーンにすべきだった!と思うかもしれない。確かに本作で最も印象的なシーンである、【総理が使用済み核燃料プールの水を飲んだ】というシーンをラストに持ってくることも出来ただろう。このエピソードを早期に持ってきたのは、週刊連載という「ナマモノ」を扱うにあたって、打ち切りに合う前に一番いいたことを言ってしまえ!という事情だったのかもしれないが、それは違うと考えるものである。
「ヒトヒトリフタリ」には複数の意味があるが、これは「ヒトリからフタリへ想いを伝える」ということだけではなく、一心同体のパートナーの存在を指す、極めて単純な意味も含まれているように感じるのだ。
この作者のマンガを見たことがある者は理解できただろうが、作者の描く主人公たちは「ロック」な生き様を見せてくれている。ロックンロールのロックだ。ビシっとキメて泥臭くもかっこよく生きてやんよ!みたいな世界観がある。これは本作者の一貫した魅せ方であり、読者もまた、そこに陶酔していると言ってもいいだろう。だから安っぽい言い方になるかもしれないが「内閣総理大臣ロック!」がやりたかったのではないだろうか。そのように思うのだ。
つまり「原発問題=困難」「政治家問題=クソッタレな連中」「息子と養子=ファミリー」「敵=ラブアンドピース」「二世政治家=魂の継承」「守護霊の少女=相棒」と、そのまんま熱唱できそうなテーマに、裸で突っ込んでいく【主人公の生き様】が本当は見せたかった作品なのではないかと思うのだ。誰もが本作の最も大きなテーマとして上げる原発問題は、主人公が奏でた曲の一つであって、訴えたいことは山ほどあるが、お硬い職業のオッサンがロックしてやったぜ!という方が案外素直に腹に落ちるのだが、どうだろうか。
物語の展開と現実の展開
本作「ヒトヒトリフタリ」が掲載された2011年49号~2013年35号の期間と、その前後の現実社会と作品の相互性を【ざっくり】と見ていきたい。余談だがこのような濃い作品が、全84話、たったの1年と9ヶ月弱?で生み出されたことに改めて驚く。
週刊誌の号数で49号と言うと10月前後になるだろうか。日本の政界では2011年8月に菅直人首相が退陣。野田佳彦氏が民主党代表となり、9月に野田内閣発足する。つまり作者が本作を書き始めた頃から連載開始までに、すでに内閣が変わっていることになる。しかもその後、民主党からはバンバン議員が離党し、新党を結成したり、解体したり、合体したりと、大混乱状態へ。そうこうする内に、2012年12月に第二次安倍晋三内閣成立となっている。つまり連載中に二度も首相が変わっているのだ。現実とはままならないものである。したがって本作の主人公の様なリーダーを国民が渇望するのも無理はない。なお、その後、民主党は民進党になり野党第一党として「2030年原発ゼロ」を目指すが民進党の支持率は今やヒトケタに落ち、この目標も断念したと発表された。(2017年5月現在)民進党は本作で掲げられた「原発廃止」を掲げた党であるが、今や見るも無残な状態となっているのだ。
また本作、作中で面白い台詞がある。単行本第二巻にて、昔、首相をしていたが隠居しているという登場人物が「国を動かすのは支持率を上げてからだ。歴代の総理だって、みな世論を味方につけたかった。だができないんだよ……それが。基本、モテない政治バカは、人の心の掴み方なんてわからねぇんだ」と首相の有り様を語っている。この元首相であるが、どう見てもモデルが小泉元首相である。その小泉元首相が、本作の連載終了から2年後の2015年12月の文芸春秋のインタビューで、「今、総理が原発ゼロを決断すれば、自民党も経済産業省も反対できない。国民の70%もついてくる(のに、その時期を逃してしまったな)」と辛辣なコメントをよせている。まさに事実はマンガよりも奇なりである。これは作者がよく政治家を見て理解していたという事なのだろう。
メディア化について考えてみる
政治マンガについての人気とリスクは前述のとおりである。よっぽどのコメディでない限り、政治系の映像メディア化は敬遠される傾向にある。例えば年月が経てば「歴史」の一環として映像化されることはあるだろうが、本作は未だ傷の言えない東日本大震災の「原発」を扱っているため世論を騒がせることは、どの出版社も自粛したいところではないだろうかとも思う。
難しいテーマを描いた作者にも興味が出て、少し調べた所、本作者の高橋ツトム氏の師匠が、かわぐちかいじ氏ということを知った。かわぐちかいじ氏と言えば、政治や歴史マンガを得意とする作家で、現在は「いぶき」という領土問題をテーマにした、ガチガチの時事問題をマンガにしている作者だ。本作について師匠は弟子に何かコメントを出したのだろうか。とても気になるところであるが、残念ながら見つからなかった。勝手な想像ではあるが「お前もなかなかやるじゃないか」とお褒めの言葉が出たのではないかと、そうであってほしいと思うのである。
以上が本作について思ったことであるが、全8巻に込められた内容は実に濃い。キャラクターについては他のレビューにも載っているだろうから省いたが、とりあえず選挙ゲームやら、ヘイトスピーチやらで目立つことばかり考えている腐った政治家に、本書を叩きつけてあげたい。そんな作品であった。
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