高木さんといいキョーコちゃんといい深いよね
相変わらず音のない空間
山本崇一郎先生のお話は、じわじわ、じーんと響きますよね。この漫画の前に、「からかい上手の高木さん」を読んでいたので、あー似てるわーって思いました。キョーコちゃん、ちょっと大きくなった高木さんじゃん…。キョーコちゃんのほうが先に出版されていたとは!どちらも短編集のようなタッチで描かれ、女の子に一癖も二癖もあるお話。特徴的なのが、効果音とか背景情報がほとんどといっていいほどない事。無言もあるし、ドキッとするときも表情だけ。いまいち考えていることがわからないのはイライラもするけど、想像力を働かせて妄想してみると、これがけっこう楽しいんですよね。なんでこう思ったのかなーとか考えて読み進めていると、あーそういうことだったのか!って気づかされてばかりです。毎日の日比野さんのおかげで、とてもポジティブシンキングになれましたね。
また、「高木さん」と比べると、もっとわかりやすい物語だと思います。駆け引きとかじゃなくて、ケンジとキョーコという2人だけの兄妹の暮らし、キョンシーという特徴をもってしまったキョーコを守っていこうとする優しさが前面に押し出されている感じがします。高木さんのほうは、とにかく高木さんにヒーローは振り回されっぱなしで、時々かわいそうでしたけれど、キョーコはまだ人前で言えないだけで、ちゃんとお兄ちゃんを大事にしているのがわかります。ツンデレモードもデレッデレ甘えモードもどちらもかわいらしい。
ケンジはシスコン
ケンジは、俺はシスコンじゃない!と、断固として譲りません。しかし…その行動はすべてシスコンのなせる技。そしてその行動の目的もシスコンだからこそ、妹を守ろうとしての事でしょう。キョーコの吸血の餌食にならないように、という親切心というよりは、キョーコが他人様に迷惑をかけることになり、キョーコ自身が傷つくことを避けようとしている感じですよね。これについては、序盤から常に感じられました。
しかもその真面目さ…!テストで満点取れるくらいに優秀なのに、わざと赤点ギリギリの点数をとるよう調整しているという謎の行動。ヤンキーでなければ妹を守れないというわけでもないだろうに…むしろ頭が良くて、ケンカも強くて、誰も敵わないようなポジションを作り上げたほうが早かったんじゃないだろうか…どっちにしろ、近くにいなければ美少女に男は群がってくるわけだし、ヤンキーのシスコンだろうが、優等生のシスコンだろうが、どっちだってよかったのにね。
しかも、ただ頭がいいだけではなく、体もちゃんと鍛えているというその真面目さ…素敵。日比野さんに好かれたくてがんばっちゃっているその赤ら顔…がんばれ!お兄ちゃん!ケンジは本来のケンジでヒカリに好かれてもよかっただろうにな~…ただ、優等生のケンジだったとしても、日比野さんはケンジの魅力にきっと気づいてくれたと思うよ!主にシスコンに悪い男はいないでしょ、的な考えを持っているような人だしさ。
キョーコの気持ち
素直になれないけれど、お兄ちゃん、いつもありがとう。
キョーコがこんな状態になってしまったのに、かまってくれるのはお兄ちゃんだけだね…そんなちょっと危ない雰囲気も感じさせましたが、お互い一線を越えなかったことはよかったなーと思いました。ケンジはお兄ちゃんで、キョーコは妹。だからこそこの生活が成り立っているのだし、ケンジは心置きなくお兄ちゃんでいれるわけです。
ちゃんとヒカリというお友達もできました。お兄ちゃんがいなくたって、大丈夫だよ。キョーコは、今まで感謝はしてきたけれど、お兄ちゃんのいない暮らしを考えたことがなかった。そこから彼女なりに答えを見つけて…だけど、ケンジだっていろいろ考えてくれて、キョーコを妹のままにしてくれる。なんていい兄妹。きっとこれからも日比野さんも交えて素敵な関係が築けることでしょう。
リボンがとれると素直になっていつも言えないことが言えるキョーコ。なんて便利。欲望に自制がきかなくなるのは玉に瑕だけれど、素直な気持ちが言えるのもまた魅力。なんでリボンだったんですかね…確かに、ポニーテールのほうが気の強そうな雰囲気が出ますが。とにかく、ケンジはキョーコが本当は素直な奴だってわかっているから、どれだけツンデレなキョーコのことも許してあげてるんだよ?
そんなのわかってる!わかってるけど…恥ずかしいじゃない…という萌感がたまりません。兄・妹属性が好きな人はここにハマるのでしょう。
日比野さんいつもグッジョブ
ケンジの想い人日比野さん。シスコンのケンジがいいんだよ、なんて発現をしていたので、これはもしや腐女子なのか…?と思いきや全然違う。シスコンであるほどに優しい人で、ヤンキーだけれど素敵な人だってちゃんと見抜いてくれている、人格者だったのです…!メガネ女子で穏やかで、人当たりが良くて…ケンジは日ごろ(わざとだけど)嫌われキャラクターを演じているので、日比野さんはまじで天使だっただろうな…
作風的に、ケンジが誰かとお付き合いするイベントは起きないのでは…?と考えていたので、日比野さんとお付き合いが始まったことは意外でしたね~そのおかげで、キョーコは改めてお兄ちゃんの大事さを考えたり、ケンジもキョーコのことを考えたりできた。日比野さんはいつもドンと構えて支えてくれるし、悩んだときにあたたかな言葉をケンジにくれる。もうね、この兄妹の仲は日比野さんが仕上げてくれたと言っても過言ではありませんよ。女の裏の裏をみたり、推し量ったりして独断するところ、負の効果をもたらすことが多いとばかり考えてきましたけれど、この物語においては完全に正の効果を発揮してくれていました。
今更だけど設定の謎
今さらなんですが、設定の謎に迫ってみたいと思います。
まずケンジとキョーコの親。ちらっと親は生きているけどここにはいないということが出ましたよね。でもそれ以上語られることはありませんでした。この意味をだいぶ掘り下げてみると、まずキョーコは「キョンシー」であるという設定です。「キョンシー」ってなんだ?と思ってしまった私は早速ググったのですが、中国のなんか古い言い伝えで、一度死んでしまった人が生き返って吸血するようになる、というものみたいですね。すごくざっくり言うと。吸血するなら、なんで吸血鬼ではダメだったんだろう?って考えてみたんですが、大事なのは、一度「死んでから」という点なのかなーと思いました。何かをきっかけとして、キョーコは一度死んでいる。そして、何かがきっかけとなり、キョーコは生き返ってキョンシーになった。キョンシーは食べ物を食べず、吸血のみで生きていける存在。見た目も変わらず生きていける存在。絶対、何かを知っているのがケンジなんでしょうね。そしてその何らかの事件によって、親はキョーコを手元から手放している…意外とディープそう。本来の意味と違うのは、「関節が曲がらない」という設定はない、ということでしょうか。体が硬化しているからあれだけ体力テストの結果がすごいことになっているのかも。
そしてもう1つ。「札付き」の意味ですね。こちらは何となくわかるんですが、「札付きのワル」というように、レッテルを貼られているのがキョーコでしょうね。札はケンジであり、キョンシーであるという事実であり、自分の吸血の欲望を自制するリボンである。意外と練られていますよね。
そんなこんなで、未解決の部分を残しつつ終わりを迎えました。総じてケンジとキョーコのやり取りをゆるーく楽しむ物語なんですが、素直になれないキョーコが素直になっていく、そういう優しい物語と言えるでしょう。
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