何をもって「人間」なのか考えさせらえるSFマンガです。
サイボーグ技術が発達した遠い未来の話。命がとても軽く扱われている。
舞台は遠い未来の地球の「クズ鉄町」。サイボーグ技術が発達したその世界では人は簡単に体を失い、脳さえ残っていれば、全身を機械にすることもたやすく、簡単に失った体を機械に置き換え、完全な生身の人間のほうが少ないような世界。
そんな世界だからか、命というものがとても軽く扱われています。日常に犯罪があり、日常に殺しがある。まるで、現実の世界の貧困のスラムを描いているような世界観です。
また興味深いのが、ザレム人という高位に属する人種の住む街には「エンドジョイ(公衆自殺機)」というものが街に設置されており、死は市民にとっての権利であり、誰もが選択できるものとして認められています。
脳がチップに変わっていることは、生きていると言えるのか?
作中で、ザレム人(高位に位置する人種)は、成人の儀式として知らずの間に脳を取り出され、その情報を完全にコピーした機械のチップにすり替わっていることが判明するシーンがあります。
その事実を知ったザレム人は発狂するわけですが、果たしてそれは「死」と言えるのか?
脳が無くなっているわけだから本人としては死んでいるようにも感じますが、人格や記憶が以前のままなので、周囲からは全く変わらないその「人」と接することができます。では何が人間にとって死なのでしょうか?
作中に「肉体や脳が機械と交換可能であるならば人間を人間たらしめているのは「人格」と「記憶」という情報だけですこれらの情報が揮発したならばこれを「死」と定義するのが妥当でしょう」
ただ、元の自分(脳)はすり替わってしまっているわけで、一度死んでいるともいえる非常にややこしく深い問題を投げかけているように感じます。
同一人物がコピーされるというパラドックス
脳の情報をコピーしてチップ化できるということは、同じ人間を量産することができるのじゃないか?
そう、実際できてしまっています。作中でもノヴァ博士というマッドサイエンティストが、自信の脳がチップなことを知ったうえで、量産できる体制を作ってしまっています。
それは次の章の「銃夢 LastOrder」でさらに顕著になります。
クローンどころじゃないこの問題、実際に起こってしまったらどうなるのか?
これはガンツという漫画でも主人公が複製されてしまったことで起こっていますね。
こうった世界観を前面に押し出したSF漫画。きれいごとなどは全く存在しないところに引き込まれました。
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