歴史的大作の名作マンガ
あなどれないマンガの力
高校のときによく回し読みで回ってきていたマンガは、時代がマンガ黄金期というのもあり名作ぞろいだったけれども、この作品もその例にもれず一気にその世界にとりこまれてしまう力があった。元々「源氏物語」というあまりにも文学史上名作中の名作をマンガ化するということに、作者大和和紀のその苦労が偲ばれる。当時は高校生。難しい原書など読めるはずもない。こういう名作をマンガ化してくれるということは単純にありがたかった。「あさきゆめみし」で出てくる言葉や人物、その人となりなどはテストにでることさえあった(もちろん「源氏物語」からの出題として)。マンガで読むと教科書では入ってこない知識さえもわかりやすく、脳内に取り込んでくれると気づいたのはこの作品からだったと思う。その力はただの娯楽ではなく、高校生の幼い知的好奇心さえも満足させてくれるものだった。ただ、この作者の絵はとてもきれいなのだけれど、登場人物の顔かたちが似すぎていて誰が誰だかわからなくなることがよくあった。それはもちろん数回読んだ時点のことであって何回も読み込んだ今ではそれはないのだけど、当時はそのことが小さなネックになっていたことを覚えている。
「源氏物語」の魅力
「源氏物語」に初めて触れたのはこの作品だったことは間違いない。そして大人になってから思い出して購入してからは、時々この雅な世界に触れたくなり取り出しては読んでいる。この時代の色彩の鮮やかさ、四季折々の美しさを大切に愛でる心、今はない「はかなさ」や「もののあはれ」。そういったものを大切に思えるようになったのは、大人になってからだと思う。そしてもう少し色々なものを読んでみたいと思い、現代語訳を読んだりもした(ちなみに田辺聖子の作品だった)。これもしっとりとしてよかったのだけど、文章から想像する人物像はどうしても「あさきゆめみし」で固定されてしまっているので、私の想像する光源氏や桐壺は、大和和紀の描いた絵になってしまう(末摘花の君でさえも)。それくらい私にとって、「源氏物語」にこの作品は大きな影響を与えたと思う。
きらめく姫君たちの美しさと奥ゆかしさ
「あさきゆめみし」ではなにより登場する姫君たちの美しさが細かに描写される。特に、御簾を通してしか声もかけない気位の高さと奥ゆかしさや、その近寄りがたい美しさがうまく描写されていると思う。マンガだと絵という直接的な媒体が使われるので、文章と違いその状況や姿形を想像したりすることがあまりないのだけど、この作品は(この作品だけでなく、なにか心にきれいなものや大事なものを与えてくれようとしていることを感じられる作品は)そのページをしばらく眺めた後にちょっと違うところに視線を外し、その世界を想像したり、どのような文化だったのかと思いを馳せたりする楽しみがある。もちろんそれは大和和紀の絵の美しさにもあるのだけど、その楽しみを感じさせてくれる作品はそれほど多くない。
また彼女たちの着物の模様の描きこみ様、源氏の君と頭中将の踊りの様やその飾り、紫の上との結婚の時に用意した亥の子餅の細やかさなど、見ていると飽きないくらいの描き方になっている。そういう繊細な美しさや、自らの気持ちをなにかに置き換えて歌にするその奥ゆかしさや様々な文化などは、ある程度の年齢を経ないと実感として理解できないのかもしれない。
源氏の女君たち
数々の女性と浮名を流す源氏の君だけども、ただ一人を除いて彼を恨んだりするものはいない。その一人はもちろん前述した六条御息所なのだけど、彼女も彼女が望んでそうなったわけでないところにその切なさがある。源氏を想って想って、でも年上で気位の高い彼女はそれを表立って表すことができないうちに、心の中で鬼が巣食うことになってしまったのは、そこまでいかなくても世の女性は誰しも理解できるところかもしれない。死んだのちさえも、源氏があまりにも不注意に言ってしまった彼女への軽口、それが許せなくて、迷いでてくるところなどはなかなか背筋がぞっとして、女を軽く見ているような源氏にはいい薬だったのかもしれない。
そもそも光源氏は悪い人間ではなく、見目麗しく女の扱いにも長けており魅力的な好人物ではあるのだけど、ひとつ違和感がついてまわるところがある。それは彼自身「もののあはれ」を重んじ、「はかない」ものなどを大切にし、その文化というかそういったものの一つのなかに女性が含まれているような気がする。女君も生きて、熱い血が流れ、想うところもあるのにそれを表立てて表現することは、彼の好みには決してあわない。そういうところが、いまひとつ彼を好きになれないところではある。
感情を抑えに抑えてしまった六条御息所と対照的なのが朧月夜の君か。奔放に生きようとする彼女ではあったけど、結局は更衣として帝にはべることになってしまうが、自分の生き方を決して曲げようとしないそのさまは、当時の女性からしたらかなり異質なものだったに違いない。
そして六条御息所を、鬼となって自ら無念を抱いていても尚愛しているに違いないその様子を、恐ろしいだけでなく美しく描いてくれたことを私はうれしく感じる。
紫の上の生き方
桐壺に心を残したまま女性遍歴を繰り返す源氏の最後の女性となるべく連れてこられたはずなのに、彼女には最後まで心おだやかに幸せな時期はなかったのかもしれない。須磨に流された源氏はそのような流刑地でさえ女性と知り合い子まで生す。そしてその子供を託され育てる立場になったときに、どれくらいの女性があのような境地にたてるのか。どうして相手を思いやれる気持ちになれるのか。こういう様々な試練にあう紫の上の表情は、マンガだからこそ鮮やかに目の前にはっきりと描かれる。文章でなく想像の余地がない分、こういう顔になるのかという感動と驚きがあり、そしてその表情に違和感のない描き方に、大和和紀自身が「源氏物語」をしっかりと自分のものにしている感じがうかがえる。また恋敵ともいえる明石の方との友情の描き方にも無理がなく、そして明石の方の魅力さえもきちんと描いてくれているので、読者は見当違いな気持ちを彼女に抱かなくとも済む。もちろんこういう展開すべてが「源氏物語」自身がもっている完璧性なのかもしれないけれど、それを踏まえても、わかりやすく読者に矛盾や違和感なく示そうという気持ちが随所に感じられる。
もう一人、紫の上を絶望においやった女三宮、彼女の人形のような空虚さや教養のなさは、あの絵だけですべて表現されているように思う。どうしても好きになれない登場人物だったけど、さほどの説明や描写もなく絵だけですべてを表すことのできる大和和紀の力を示すキャラクターにはなれたのかもしれない。
大和和紀の絵の魅力
登場人物の多い「源氏物語」だけあって、その顔かたちが似すぎているときはちょっと困ったけれども、その絵の細やかさや美しさはこれをマンガ化できる数少ないマンガ家だと思う。また前述した、様々なところの描きこみ具合も作者自身の「源氏物語」への思いいれを感じさせる。彼女の作品で有名なのは「はいからさんが通る」だと思うけど、これも服の模様は女性の美しさはその細いタッチで繊細に見事に描かれていた。いかんせんギャグ要素が強すぎて、そこはあまり好きではなかった。それ以外のところはいいのに変にふざけられると気持ちがストーリーから離れてしまうので、個人的にはそれほど名作とは思っていなかった。やはり大和和紀の作品は代表作としてこの「あさきゆめみし」が一番だと思う。
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