現代に生きる伝説のパンク・ロッカー、パティ・スミスの言葉の奔流 - 無垢の予兆の感想

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無垢の予兆

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現代に生きる伝説のパンク・ロッカー、パティ・スミスの言葉の奔流

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目次

~無垢の予兆~

英米詩の伝統を正統な後継者としてのニューヨーク・パンク。

パティ・スミスと言えば、音楽好きならば誰もが知っているようなパンクのイコン、ロックスターである。

しかし彼女を始めとするニューヨーク・パンクのアーティスト達には、共通しているある特徴がある。

それは、<文学>という存在を正統な形で受け継いでいるということだ。一見、パンクと文学とは相反しているように聞こえるのだが。決してそんなことはない。

ネオン・ボーイズのリチャード・ヘルしかり、テレビジョンのトム・ヴァーレインしかり。

時代はビート文学隆盛の真っ只中。

パンク・ファッションに身を包んだ彼ら彼女らは、ニューヨークのダウンタウンの街路を詩集を片手に歩き回り、ライブハウスの喧騒の中で文学談議に花を咲かせる。実はそんなインテリジェンスな集団でもあったのだ。

パティ・スミスがこの自身の詩集に冠したタイトルは「無垢の予兆」。かのイギリスの天才詩人ウィリアム・ブレイクの詩のタイトルである。

ウィリアム・ブレイクとは、英米詩の歴史を紐解くうえで、見逃すことのできない重要な人物。

その幻想的で夢想的な世界はそれ以降の英米詩人の多くに影響を与え、今でも多くの人々を魅了し続けている。

パティ・スミスの「無垢の予兆」を読み解くことで、読者たちは「ウィリアム・ブレイク」へ繋がる文学の扉をも見出すだろう。

この本に連なる彼女の言葉のひとつひとつには、幻想的な英米詩のムードが充満しており、音楽ファンのみならず、文学ファンをも惹きつける魅力をたたえていることは間違いないであろうと思われる。

~生を受けたものへの賛歌~

生を受けたもの、そしてその生を閉じていくもの。

パティ・スミスの歴史には、多くの別れがあった。

恋人であった写真家ロバート・メイプルソープとの別れ、弟であるトッド・スミスとの別れ、そして最愛の夫であるフレッド・ソニック・スミスとの別れ。

そんな突然の別れは彼女の身に突然に降りかかり、そして次々に彼女の上を、数珠つなぎのように繋がっていった。

時にはそんな別れに打ちひしがれて、絶望のふちに迷い込んでしまった時期もあるはずだ。

gone、again

しかし彼女は言葉の力、詩のパワーによって、その失ってしまった生に息を吹き込むことを始める。それこそが彼女の詩人としての詩人の詩人たる所以でもあるのだ。

彼女の祈りの数珠のような詩の言葉、言葉は、様々なイメージを終結し、かつての愛すべき人たちの顔を描き出す。そして眼前に蘇るのだ。

この詩集が神秘的な荘厳さに満ちているのは、そんな祈りのイメージによるのだろうと思われる。

そこにあるのは哀しみではない。

あまりに大きな哀しみを知った上で、その哀しみを昇華させるべく空を見上げるひたむきな想いである。

彼女の人生における出会いと別れについて、あまりに多くのことを知っている読者たちには、この祈りの言葉からあふれ出す想いがあまりに真摯であまりに切迫しているため、時には喉につまる嗚咽を隠すことが出来ない。

~パンクロッカーから普遍的アーティストへの変遷~

かつてのパティ・スミスの詩と言えば、「バベル」にもあるように、パンキッシュでアナーキーな一種独特のリズムのあるパワフルな作風だった。

ビートの元祖アレン・ギンズバーグからの影響もあったであろう。

一種独特な疾走感によって、時代を駆け抜ける生き急ぐ魂があった。

しかしこの「無垢の予兆」では一貫して、「聖者のような静謐なイメージ」に徹している。

ここでは彼女は走っていない。ステージを走り抜けるパティはここにはいないのだ。

まるで山に籠る聖者のような装いで、聖なる森の奥深くで、ひとり静かに瞑想しているかのようなイメージである。

なぜこのように作風が変わったのだろうか。

彼女は長い人生を経て、次第に「パンク」だけではない、どのジャンルにもとらわれない「普遍的アーティスト」へと変遷して行ったのだ。

いち「パンク・ロッカー」から、このように多くの人々の支持を得る「アーティスト」になることが出来る者はそうそういない。それにはその人の芸術的素養の真価が問われるのである。

「無垢の予兆」では、詩の作風も英米詩の伝統的な手法に則っている。

かなりの文学的経験を積んでいるのであることは間違いない。

この文学調の詩集は、かつてのパンク調よりもインパクトは少ないかもしれない。

しかしそこに息づくのは、やはり変わらぬパティ・スミスという一人の女性の圧倒的に純粋な心臓の鼓動であり、言葉や音楽に「god」を見出そうとする哲学する人間のストラグルの結晶であることには変わりないのだ。

英米詩の口調が苦手な向きもあろう。しかし訳者である東玲子さんこそは、パティ・スミスと同じように自身の魂をアートに捧げた芸術家のひとりである。女性であり、アーティストである東玲子さんにしか訳せない言葉でもってパティの詩を日本語として奏でている。

ひとりの女性の柔らかで優しい視線。

そして闘うことを経験してしまった魂の記録。

この詩集には、彼女の本当の姿があるのだと思う。虚飾を排して、時代という化粧を落とした、素顔のパティ・スミスという女性が。

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