交錯する子供たち - コープスパーティー Tortured Souls 暴虐された魂の呪叫の感想

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コープスパーティー Tortured Souls 暴虐された魂の呪叫

3.503.50
映像
3.50
ストーリー
4.00
キャラクター
3.50
声優
3.50
音楽
3.00
感想数
1
観た人
1

交錯する子供たち

3.53.5
映像
3.5
ストーリー
4.0
キャラクター
3.5
声優
3.5
音楽
3.0

目次

アァイ!待ってました!

まさか自分のハンドルネームの由来にもなったアニメのレビューを書くことになるとは思いませんでした。嬉しさあいまって、おっかなびっくりで書き進めています。サイコパスだらけのスプラッタゲームアニメ「コープスパーティ」、それを見るきっかけとなったのは杉田さんのせいですいつもありがとうございますアァイ!自分の好きな声優さんの名前が出るだけに、興奮のあまりテンションが高くなっておりますが、(開き直って)このまま考察に入っていきたいと思います。

ただの杉田

刻命は末っ子?確か兄姉弟がいたはず、そして兄姉弟があまり好きじゃないとか、それで従順な年下の妹が欲しいと思うように(後で調べてみれば、弟さんはいないようですね、「幼少時代、優秀な姉と兄から厳しい指導を受けていた。」とピクシブ百科事典に書いておりました)。しかし「従順な」というところがやはり気にかかります。どう考えても、世の中の妹全てが従順であるわけがない。俺の妹がこんなに可愛いわけがないしかり。(これは突っ込むところではなかったかもしれないと、書いてから思いました)

刻む命。杉田…じゃなかった、刻命もナイフでサクサク…サクサク…と刻むことが好きなようです。その「刻む」という言葉、ナイフで刻む、言葉を刻む、愛を刻みつける、想いを刻む、そして命を刻むなど、刻命の名前には様々な意味が込められていると、私は考えています。名が人を作ると、私はそう思っています。刻命の両親はどのような意味を込めて、刻命と名付けたのでしょうか。妥当に考えて、(自分の)命を(世に)刻んでいってほしい、といった意味でしょうね。刻命はちょっとズレた意味で刻んでしまってるようですが。自分の子供に名付けるときには、親の固定観念を子供に押し付けすぎないよう、大事にしてもらいたいものです。

ゲーム版では、ナイフで由香の服を破いて終わっておりました。アニメではとにかくひたすら暴走しておりましたね、理性は消え失せておりました。ゲームとアニメ、どちらが人間のそのときの行動に近いか、なんて考え出したりする私ですが、どちらかというとゲームの方が人間的に、キャラの行動があり得るのではないかと思いますね。しかしアニメではサイコパス的な人間を、忠実に描いていると思います。サイコパスな人は私たちとは全く違う答えを出すようですからね。刻命も、どっちの自分であっても喜びそうですし、由香と接することができてれば良いのでしょう。

作画

刻命がいかつい気がします。特に人体模型のときはあそこまで筋肉ムキムキじゃないと思いますし、顔も大人びすぎていて、もう少し幼くしてもらいたかったです。いえ、きざみは高校生でも、大人びた高校生ではあるのですが、少し過ぎたかなという感じがしました。由香もアニメによる、動かしやすいバランス重視顔にされていますので、こちらも少し幼さが消えているような気がします。大体あのような絵柄は、原作の方が目が大きい傾向にあると思われます。リアルでは子供は大人よりも目鼻口が顔の中心によっていることが多くあります。しかし、大きい目のまま360度回転することもあるキャラを動かすには技術がないと無理なアニメでは、目と、そして輪郭も自然と広がるため、幼さがどんどん失われるのでしょう。

何気にあのような、ちょっと大人すぎる刻命も嫌いではなかったのですが(骨格や筋肉自体の作画はとても良いものでした)、美少年な猟奇が、やはり刻命としてのアイデンティティなるものだと思っていますので。
あと刻命はオバサンキラーの気があると思います。暴走することがなければ、あの穏やかさと爽やかさ、そしてミステリアスな雰囲気も、ウケが良さそうです。そのミステリアスはただのロリコンからなるものなんでしょうが…もし暴走せずに、願望よりも理性の方が強い刻命だったら、ただひたすら頭の中で幼女とのパラダイスを想像するだけのムッツリキャラ、それもありだと思うのですがいかがでしょう?私に聞くなと言われそうです。

声優

ゲームの方が演技が面白いと思いました。悪いとは言いませんが、いえむしろアニメとしては良いのでしょう。しかしどうしても、ゲームよりは絵の動きに演技が引っ張られるといいますか、狂った人間というものも、とても難しい役なのだと思う作品でした。叫び声も多いですし、ジャンルがホラーですから当たり前でしょうか?ゲームよりも声の色の種類が多いので、ファンには嬉しい要素もあったと思われます。アニメということもありますから、音楽なんかも(もちろん良い意味で)うるさかったからか、小学校から腕だけになって帰ってきた男の子と女の子二人の無言シーンは、その分ヒューっと寒くなりますね。血の気が引くとはこのことを言うのでしょうか。とても良かったです。

グロアニメとして、忠実な声作りがされています。体が傷ついたとき、アニメというものでは、こんな声であるようにといった、分かりやすくこちらに伝わる演技で、声があてられています。常識に縛られている、という言葉は使う必要ないです。これがいいのです。それでこそ、コープスパーティの醍醐味、このようなアニメのお約束、みたいに思います。ですが支持するはカナン、リャン・チーの方が好きです。

コンプレックス

欲しかった妹の可愛い顔から目をくりぬいて?しまうんですね。なぜか内蔵を取り出すならいいと思う私。それに、目を取り出すとしても、もう少しだけうまく取ってほかったです(あれじゃ少しも傷つけずに取れたとは思えない)。取り出したのではなく潰していたのかもしれませんが、なんであれ、由香の眼球を傷つけないでいただきたい(色々と根本的に間違っていますが、人として)。

個人的な、私個人の価値観の話になりますが、眼球は傷つけることなく、ホルマリンに入れるなり、愛でるなりするのがいいと私は思いましたし、刻命もあれだけ好きなら、もっともったいないとか思わないのかと考えました。逆に考えるならば、あの環境ですから、刻命はもう時間がないことを悟って、楽しめるだけ楽しんでしまおうと由香の体を傷つけた、ということもあるかもしれませんがね。

死体の写真が好きな少年、他人の不幸を見ることで優越感を味わっているんですね。死んだ人を嘲笑えるほど、自分は安全な場所にいると、平和であると。しかし、そういう行いをすることになっている(そういう状況にある)時点で、異常な状態であることを気づけないんです。繰り返してきたことで、心の感覚が麻痺してしまったんでしょうね。皆さまもお気をつけ下さい。日々を過ごすにつれ、慣れる、日常的になるということは、自分を高めると同時に、初心を忘れることと似ていますから。

そして(百合ではないらしい)友達同士の二人。親友が死んだら悲しいですよね、なんて言いますが、死なせないようにと体を抱きしめるあの必死さは、見ている者に哀れみをもたらすようで、焦りから友達を追い込みそうになっていたりしていましたから。冷静さを失い、ゲームでもアニメでも、結局は親友を助けられなかったあの子は、人間としての限られた自分の力の中で、ある意味正しい末路をたどっていたと言えます。死んだ方の女の子の人の良さといったら、いい子の中のいい子ではないでしょうか。おばさんぽいところがありますが、それもまたいい人キャラを引き立てている。ゲーム中のカレー作りの話では、もう大好きになりました。あれなぜ意識を取り戻せたんでしょうね、軽くなら刻命カレーを食べても大丈夫ということなんでしょうか。カレー、まだまだ発見がありそうな料理です。

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