面白半分で心霊スポットを訪れる人たちへの警告 - 墓場レストランの感想

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墓場レストラン

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面白半分で心霊スポットを訪れる人たちへの警告

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目次

現代では迷信として語られている真実?

墓場にまつわる逸話はたくさんあります。しかし科学が進んだ現代ではそれは「迷信」とか、「気にせい」として扱われているものが多いのではないでしょうか?この「墓場レストラン」では、本当に「迷信」「気のせい」として扱ってよいものなのだろうかと考えさせられるような話が、オムニバスになっていると思います。

人間の欲深さ・罪深さを考えさせられる怪談

「墓地にでた魔物」は人間の欲深さを、「かべにかざられた手」「墓守のむかしがたり」は罪深さを考えさせられます。「墓地にでた魔物」で、女性がきもだめしで手に入れた千円の代償となったものは、かけがえのない我が子でした。普段であれば自分の首に手をあてたり髪の毛を引っ張るのはおぶっている我が子だと認識できるのでしょうが、「墓地」という場所とその「墓地」からお金を持ってくるという行為、また子どもたちのきもだめしにじゃんけんで勝ったとはいえ、割り込んだという行為が罪悪感となって魔物を見せたのかもしれません。結局この女性が見たのは自分の中にある「強欲」という魔物だったのでしょう。

「かべにかざられた手」「墓守のむかしがたり」は生きている時に犯した罪の深さに応じた罰が、訪れることを物語っています。どちらもその罪を犯しているときには、それほど悪いことをしている認識はないのでしょう。しかし、自分があまり悪いと思わずにした中にも「かべにかざられた手」のように死んでからもなお許されない罪があり、「墓守のむかしがたり」のように決して逃れることのできない罪があるのではと考えさせられます。

全世界に共通する戦争の悲劇

土地にまつわる怪談がある場合、その場所は現在墓地としては存在していなくても、戦争で多くの人が犠牲になったり埋葬されていたりという話がのこっていることがあります。身元がわかる人は家族のもとに遺体がもどされるのでしょうが、身元がわからない人たちは家族のもとにもどることもできないため、まとめて埋葬されてしまっていたのでしょう。そんな家族のもとにもどりたくてももどれない霊たちのもどかしさが、心霊現象となって現れているのかもしれません。「墓場レストラン」はそのような霊たちのなぐさめになればという思いも込められて、建てられているようです。

「花嫁衣装」は戦死した若者と交通事故死した女性があの世で結婚するという話です。戦死した独身男性のために、その時代・地域によって棺に花嫁人形や同時期に亡くなった女性と結婚させて一緒に埋葬するという風習があったようです。若くして戦死した兵士たちに対し、せめてあの世では結婚して幸せになってほしいという思いからはじまった風習ではないでしょうか。

逝ってもなお続く子どもに対する親の愛情

子どもより親が先立つのは自然の成り行きでしょう。しかし「子どもは何歳になっても子ども」といわれるように、親の子どもに対する心配の種はいつまでたっても尽きることがありません。生きているときでも心配なのですから、死んでからもその種が途絶えることはありません。ましてや遺していった子どもが幼ければ幼いほどその心配の種は大きくなることはあっても、小さくなることはないでしょう。「ショキン ショキンと音がして」はまさにそういった親の心情を表している怪談です。毎晩一人で寝ている我が子に寂しい思いをさせたくないという思いが、娘のところに通わせていたのでしょう。霊体には実体がないといわれています。それをふまえると娘の髪の毛を切るという現象は不可能なことではないかと思われますが、娘のために一生懸命してくれている夫への思いも合わさり、髪の毛を切ってやるという行為ができたのかもしれません。

最後の「一枚の写真」も幸せそうな写真を見せることで、まるで息子に「自分は大丈夫だと」伝えているかのようです。子どもに心配をかけたくないという親心だったのではないでしょうか?

「きもだめし」

冒頭にも述べたように、現代では科学の発展とともに「迷信」「言い伝え」が軽んじられている傾向があるように思えます。それが興味本意の「きもだめし」として夜中に墓地、あるいは心霊スポットに行くという行為としてあらわれています。確かに「迷信」「言い伝え」と言われるものの中には現代では当てはまらなくなったものも多くあるでしょう。しかしそれだからといってすべての「迷信」「言い伝え」が当てはまらないわけではありません。「霊の通り道」にもあるように、霊にたいして敬意をはらわなければならない場所もあります。墓地や心霊スポットと言われる場所もそうでしょう。この「きもだめし」でも実際の霊に遭遇しています。そういった場所に訪れる場合には、霊に遭遇するかもしれないことを念頭におきながら、たとえ遭遇しなかったとしてもそういった存在があることを認識しながら敬意をはらって訪れなければならないのではないでしょうか?

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