共感できる新感覚の超能力作品
少女漫画ではあまりない超能力モノ
超立!!桃の木高校は、少女漫画ではあまりない「超能力」を扱った漫画だが、少女漫画に必須の「恋愛」の要素も盛り込んでいるせいか、超能力の扱いが少年漫画とは若干異なっている。
少年漫画では、超能力を持った人間が怖れられたり、何かしらの権力を持つようになったり、いじめの仕返しなどコンプレックスや敗北感を解消するために超能力を利用するということが多い。しかし、この作品では、「超能力を持っていることによって変人扱いをされるのが嫌」という設定になっており、超能力が主人公森まりをはじめ、同じく超能力を持つ仲間にもなにかと悩みの種になっていたりする。
能力が違うとはいえ、超能力を悲観せずに何か役立つことに使おうではないかということで仲間が意気投合し、そのグループの中で恋が生まれていくが、実際自分がこんな能力を持っていたら、自慢するどころか悩むかもしれないという現実味を帯びた設定が非常に共感しやすい。また、いつでも念力が発動するわけではなく、調子が悪かったりコントロールがいまいちだというところも、まるで我慢していたくしゃみやおならがうっかり出てしまうような気恥ずかしさに似て、特殊能力を身近に感じられるきっかけになっている。
陰のある人物を明るい登場人物が変えていく過程が秀逸
アルコ作品には、時折両親が死亡している、もしくは両親が共稼ぎで不在がちなど、両親の影が薄いキャラクターが出てくることがある。もしくは、両親がいても自分の価値観を全く理解してくれなかったり、親が病気で自分の気持ちを親に思い切ってぶつけたことがないなど、学生ながらに家庭に問題がある人物もよく出てくる。そういう登場人物に限って、寡黙であったりクールであったり、自分の感情の発露に乏しいところがあるのも特徴だ。この作品でいうと、主人公森まりの思い人城幹太がそのタイプであり、大金持ちであるにもかかわらず親が仕事で不在で、爺やさんに育てられている。
一人で過ごすことが多いためか、過去に一度は信じた彼女に裏切られたせいなのか、城はなかなか自分の気持ちを表に出そうとしないが、明るい家庭で天真爛漫、はつらつと育った森まりの明るさ、超能力を通じ「私たちは仲間」と皆に言われることで、徐々に素直な少年になっていく。
アルコ作品の魅力の一つである、「他人なのに家族のような仲間意識がある関係」がこの作品にもある。もめごとがあってもより強いきずなで結びついていく様は、読んでいて心が温まる。
ハッピーエンドがうれしい
アルコ作品は最終的に登場人物が自分の行き方にある結論を見出してハッピーエンドを迎える結末の作品が多いが、超立!!桃の木高校も例外ではない。仲間と大喧嘩をしたり様々なハプニングを乗り越えながらも、作品序盤に抱えていた悩みを受け止めて、自分が今後どうあるべきかを仲間と一緒に模索し答えを出す様は、とてもすがすがしい。こんな仲間に恵まれたい、主人公のように生きたいと、理想の青春として感じ入ることができる作品だ。
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