救済の物語
このような映画が、かつてあっただろうか。
美しい。恐ろしい。狂っている。
どのような賞賛も、賛辞も、この圧倒的な映像体験の前には陳腐化し、意味をなさないだろう。「マッドマックス 怒りのデスロード」の魅力は枚挙にいとまが無い。車、スタント、美術、世界観、キャラクター造形、etc.
しかし本稿では、あまり取り上げられないマックスの精神病患者としての一面を掘り下げる。
精神を病んだ(マッドな)マックス
この映画の主人公であるマックスは、まずまちがいなく精神病を煩っている。
マックスは人と目を合わせない。おまけに口がうまくきけず、何か伝えようとする度に神経質そうに瞳が震え、うなる。言葉がうまく出てこないのだ。コミュニケーション障害を患っているのかもしれないし、長い間孤独で危険な旅を続けたせいで、「言葉の交わしかた」が思い出せないのかもしれない。しかし、彼の「うなり」はどんなセリフより雄弁に、彼の混乱した心中を物語る。
マックスの行動も印象的だ。この映画は必要な事をセリフ(言葉)では語らない。アクション(動き)で語る。
マックスの動きを見ていれば、決して彼が華麗に的を倒す騎士ではない事が判るだろう。彼はがに股で、足取りはぎこちない。彼が非常に強い恐怖を感じ、あせって冷静さを失っている事がよくわかる。
彼の猿ぐつわをヤスリで削り取ろうとする動きは特徴的だ。まるで何かに取り憑かれたかのように、機械のように、ストレスがたまった動物園の動物のように、反復運動をくりかえす。どこかチック症候群を思い出させる描写だ。
表情はどうだろう。彼はほとんどずっと困り顔だ。それは、追っ手を振り切れるかという不安もあるだろうが、それと同等かさらに重くのしかかるのは、狭い車内にいる「妻たち」だ。彼にとって恐怖の対象でしかない。映画の興行の為、美人をスクリーンにたくさん出したなどという品のない指摘は的外れだ。これは、マックスにとってこれ以上無い受難の空間なのだ。
マックスは妻たちから感情を隠す。その証拠に、妻たちがいない車上で、猿ぐつわが取れた時、顔は晴れやかになる。他にもスプレンディドが助かった瞬間彼は親指を上げ。顔をそむけ、スプレンディドから見えない角度になって始めて表情を和らげる。フュリオサが慟哭するとき、マックスは悲痛な表情で彼女を見つめるが、それは彼女から遠くは慣れた車内からだ。フュリオサからは見えない。
彼は、自分の感情を人に悟られる事を警戒しているのだ。人から見えない状態になって始めて、彼は感情を外に出せるのだ。
トム・ハーディーの極めて繊細な演技が実現させた、奇跡のようなキャラクター造形である。
忌まわしい記憶との戦い
しかし何と言っても、最も印象的なのはフラッシュバックだ。作中、説明的なシーンは無いが、マックスの過去が示唆される。そして、彼は今もその記憶と戦っている。
記憶がフラッシュバックする主人公はさして珍しくはない。ジェイソンボーンしかり、ダニエルクレイグ版のボンドしかりだ。しかしマックスのフラッシュバックの仕方には大きな特徴がある。
それは、彼が想像する限り最も困難な窮地に立たされているその瞬間にもやってくるという点だ。映画の冒頭、謎の白塗り軍団から逃れようと迷路のような洞窟を必死に疾走する時も、猛スピードで走る車上で戦闘しているさなかにも、忌まわしい記憶は容赦なくマックスの眼前へ飛び出す。それも前ぶれなく唐突に・・・。
この描写だけで、筆者内側からこみ上げる感動を押さえる事はできない。
PTSDやパニック障害など、いわゆる精神病は本人の思考や行動に影響与える。合理的ではない執着、めまぐるしく変わる気分、パニック、注意散漫・・・。かつてこれほどまでに、精神病(やそれに付随する)症状や葛藤を持ったヒーローがいただろうか。
過去に忘れたいのに忘れられない忌まわしい記憶を持つ者なら、皆後悔しているだろう。「こんな思いをするくらいなら、はじめからよせばかった。」と。
そして自分を苦しめる記憶と早く手を切りたくて苦しんでいる事だろう。しかし、何とこの映画には、忌まわしい記憶のお陰でマックスは命を救われるのである。自分を苦しめる記憶を、一刻も早く心の中から追い出したいと願う者にとって、このシーンが与える衝撃は大きい。
もしかしたらこれは、一度でも精神を煩った事のあるものにしか、理解できない感覚かもしれない。逆に言えば、心の病に苦しむ者は絶対に見るべき映画だ。
魂の救済
過去に苦しい思いをし、現在もptsd、フラッシュバックに悩まされる筆者にとって、これは魂の救済の映画である。
陳腐な同情も、美辞麗句につつまれたお情けも何の足しにもならない。こみ上げてくるのは怒りだけだ。それも押さえ難いほどに強烈な。
ただ、「自分以外にも、自分と同じ気持ちで苦しんでいる人間が存在する。それと戦っている人間がいる。」その事実だけで十分なのだ。自分は一人ではない!そう思えた時点で、心の中には明日を生きる活力が芽生えてくるのだ。
必要なのは解決策でも、処世術でもない。それは状況に応じて個々人が考える。そうではなく、自分と同じ類いの苦しみ戦う人間がいる。その事実が、人の心を勇気づけるのだ。
影が薄い主人公がもたらすもの
マックスは影が薄いと言われた。この映画の主役はフュリオサだと言われた。
その通りかもしれない。マックスは私たちの心からひっそりと去って行った。フュリオサの眼下で、消えていったように。
しかしマックスは、苦しみを抱える者たちの心に、種を植えて行った。その種は芽を出し、希望となるだろう。ダグが鉄馬の女から託された種のように。
そして、映画が終わった後も人生は続く。心に苦しみを抱える生きづらい人間たちは、自分の力ではどうにもできない大嵐に翻弄され、倒れるかもしれない。しかしどんなに砂に埋もれようと、私たちは立ち上がれるかもしれない。
マックスがそうしたように。
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