弱くなったケンシロウ!?
冒頭のエピローグ
テレビ放送された「北斗の拳」では、有名なナレーションがあります。
「199X年、地球は核の炎に包まれた。しかし人類は死滅してはいなかった」で知られる有名な冒頭部分が、「新・北斗の拳」では被爆被害を克明に描写されています。何故ここまで克明に描くのか理解できない部分でしたが、OVA本編を観て納得できました。最初に観た印象は、原爆被害を描いた「はだしのゲン」を思い浮かべました。そして、「北斗の拳」というアニメ作品に求めているのは、そういうことじゃない、という印象が強かったです。
しかし、改めて考えてみると、「水」という存在の貴重さを強調したかったのでしょう。
「水」という存在が、生きていく上で必要不可欠なものとして描かれていました。そして、豊かさや権力の象徴としても描かれていたように思います。「新・北斗の拳」の物語内容において、その根幹にあるものは「水」の存在なのではないでしょうか。主人公のケンシロウや北斗神拳の存在より、「水」が強調されていたように感じました。
過激な北斗神拳
テレビ放送されていた「北斗の拳」では、悪役が「ひでぶ」する際、シルエット描写で柔らかくされていました。
しかし、OVA作品というだけあって、「新・北斗の拳」では、「ひでぶ」する場面はダイレクト描写されていました。描写の仕方が違うだけなのに、北斗神拳そのものが過激になった印象があります。元々の原作漫画のイメージはダイレクト描写に近いので、「新・北斗の拳」が正しい描写なのでしょう。
しかし、アニメーションとして映像になると、改めて過激だと感じました。
「ひでぶ」場面は重要ではないので、そこに拘らなくても良かったように思います。むしろ、アニメ放送されていた時のように、シルエット描写でも良かったのではないでしょうか。
もし、「新・北斗の拳」を観ながら食事をしていたなら、食欲は一気に減退することは間違いないように思います。脳みそや内臓が飛び出る描写は、気持ち悪い印象以外に何も残らないように感じました。
そして、アニメ放送されていた「北斗の拳」からOVA作品「新・北斗の拳」になり、シンプルになってしまった描写もあります。
それは、ケンシロウが怒りに打ち震え、筋肉が膨張することで着ている服を破いてしまう場面です。この場面は、ケンシロウの数少ない感情表現がされる重要なものだと思うのです。しかし、サッと服が破れてしまう映像は残念な印象でした。アニメ放送されていた「北斗の拳」の方が、アニメーションとして優れているように思います。逆に、制作スタッフは、アニメ放送されていた「北斗の拳」のイメージから脱却したかったのかもしれませんが、失敗しているようにしか思えません。
せっかく映像時術は進んでおり、凄く綺麗な画なのに、映像作りに活かされていないのであれば、勿体ない話なのではないでしょうか。「猫に小判」「豚に真珠」だと指摘せずにはいられません。
弱くなったケンシロウ
最強の存在であるケンシロウが弱くなったように感じたのは、二つの場面の存在です。
一つ目は、トビーの弟、ビスタに手をかけるサンガを許してしまっている点です。ケンシロウの圧倒的な強さがあれば、サンガに苦戦することもなく瞬殺できるはずです。それをしなかったケンシロウの甘さは、「弱さ」だと思います。ケンシロウがサンガを瞬殺していれば、ビスタは命の危険に晒されることがなかったと思うのです。
そして、サンガを瞬殺しなかったことは置いておいても、サンガの行動を阻止できなかったケンシロウに「弱さ」を感じてしまいます。あの場面を観る限り、被害者はたまたまビスタであっただけで、トビーやサーラが標的になっていても不思議ではないのです。ケンシロウの予見の甘さと、非情さに欠いていることを露呈しているのではないでしょうか。
二つ目は、ケンシロウが鉄格子に閉じ込められ、自力で脱出できなかった点です。
ケンシロウの力であれば、岩で覆われた壁を破壊することも容易なはずです。また、あの程度の鉄格子なら、腕力でひん曲げてしまうことも可能だと思います。
「北斗の拳」の物語冒頭、リンとバットに出会う場面では、リンはジードという悪役に殺されそうになります。リンを助ける為にケンシロウは鉄格子を腕力でこじ開け脱出、ジードを倒し、リンを救出しています。
以上、二つのことからケンシロウは弱くなった印象をもってしまいます。
サンガの存在について
第一巻で、早々にケンシロウに倒されたサンガの存在に違和感があります。
物語の最後では、実は良い人物だったという結末で締め括られました。しかし、OVA本編での描かれ方は、明らかに悪役そのものでした。もし、このような結末を描くのであれば、第一巻の時点で布石を打っておくべきだったように思います。
サンガの扱いの手の平返しが強すぎて、物語の結末に納得がいかないのです。
そのことから予想できることは、この物語の脚本を書いた方は、書き始めた時点でこの結末を考えていなかったのだと思います。全体像を全て考えた上で、書き始めたのではないのだと考えられます。もし、物語の結末を考えていたのなら、サンガのキャラクター性は違うものになったように思えてならないのです。
「新・北斗の拳」の結末は、後付けで締め括られているようにしか感じられないのです。
そこも含めて、「北斗の拳」らしいといえば、らしいのかもしれないです(笑
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