かっこいい奴、悪い奴、わからない奴
ダサい男、萬
萬は見た目からしてイケてない。性格もだらしなくて自立もしていないし、メンタルが弱いくせに栄光の座さえ望もうとする困ったくんだ。そんな萬は麻雀も弱く、師匠であるケンに教えを請うたりご飯やら何やらたかったりしているが、初めて行った雀荘で天和見逃しデビューしてリーヅモのみをアガるというファンタジスタ。これはピエロの才能と言っていい。人格と能力に釣り合っていない運を与えられ、スポットライトを浴びて一芸を期待される(ほんとは期待されていない)。といった主人公像はフィクションに多々見られるが、見た目のダサさなら類を見ない。
かっこつけの男をカッコつけて演出
ホクトのケン、赤い彗星の西。俺って強いだろう?どっちが強い?どうだ、うまく打っただろう?ケンは本物の雀力を持つ(運も大きいけど)実力者で、ライバルの西も同様だ。ところがどこか自己顕示欲が漂い、俺つえーの自覚が好きだと言える。そんなある意味男くさい内面を押し出すのが本作の特徴だ。そんな実力者たちの実に映える打ち回しを、本そういちの流麗な画力は実にかっこよく演出してくれる。最高にぐっときたのは、ケンのダブリーをかけるシーンである。俺はホクトのケンだぜ?と心でかっこつけて俺だぜ俺をするケンを描くときの作者の筆は、ダイレクトに男の美意識に迫る流線を描いている。
未だかつてない、敵キャラのよくわからなさ
この漫画の人物の面白さは「対象」として見る面白さかもしれない。「感情移入」となるとまた違ってくるかもしれない。兄弟のウィルと猿、この何かが幼稚で何か箔のあるキャラは、なかなか見られるものじゃない。そしてダサい主人公とかっこいい男たちとよくわからないライバルたちが、作者独特のオカルティックな、しかし高度な麻雀を繰り広げ、最後のたった一半荘の中に屈指の名バトルを組み上げたところに、この作品が名作と言って恥じない所以がある。
これでもいいよの肯定力
弱さにはフォローがあり、ミスには補償があり、個性には受け入れがあり、歪んだ強さにはたゆまぬ尊敬がある。萬という漫画にある心地いい甘さの感覚は、趣味の道(あくまでフリー雀荘の最強伝説)に入れあげて真っ当な人生を生きないような一般的でない人間に感じる、色んな奴いるよね、という人の振り幅。麻雀というルールで勝つものを尊敬しよう、たとえ運でもいいじゃないか、麻雀に愛されてるんだ、という麻雀至上主義をちょっと曲げた、こんな生き方でもいいよ、という包容力かもしれない。
方向性としてバランスが良かった
以上、感情移入しにくい弱者・萬、かっこつけのケンと西、奇妙なライバルウィルと猿、という面々が織り成す色々架空の麻雀ワールドは、硬さと柔らかさのバランスが取れていて、当初目指したレクチャー漫画の方向性が程よく折れて(あまり現代向けじゃなかった)、作者の持つ包容力のある美意識が闘牌と演出に結実した結果、珠玉の名勝負が生まれたというのが、他作品にはない、この作品の美味なところだろうと思う。
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