社会の問題点を鋭く大事に描いた作品集 - 朝がまたくるからの感想

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朝がまたくるから

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画力
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ストーリー
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キャラクター
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設定
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演出
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社会の問題点を鋭く大事に描いた作品集

3.53.5
画力
3.5
ストーリー
4.0
キャラクター
3.5
設定
3.0
演出
3.5

目次

地獄の終わりだと思ったのが地獄の始まりだった

この朝がまたくるからには、葦の穂綿、半夏生、冬霞の3つの短編集が収録されています。朝がまたくるからという表題の漫画はありません。漫画の本にしては、珍しいパターンかもしれません。大体表題の1つが収録されているパターンは何度も見ましたが、3つの短編に共通した表題と考えていいと思います。

「葦の穂綿」とは、葦の穂の綿のように見える細毛(デジタル大辞泉)ということでした。季節は秋。この物語は冬から秋にかけて1年間の季節を描いてあります。人をひとり殺してしまった孝要。いじめの末のことだったけど、これで終わったと思ったのに、それがさらに苦しみの地獄の始まりだった。妹と両親は自殺。この世界にひとりぼっちで生きていくことを余儀なくされた。彼はずっとひとりで生きていくことを決意している人です。結婚して子どもが生まれという幸せを17歳で手放した人です。それが人生において、どんなに厳しいことなのかと思います。叔父と叔母がいるけど、一度は受け入れてもらえたけど、周囲の人の視線は厳しい。殺人者が身内にいるというと、人は白い目で叔父、叔母のことまで見るようになります。乃南アサさんの小説「波紋」を思い出しました。それは被害者側のお話でしたが、波紋は広がり、何年たってもその波が消えないというお話でした。加害者だけではなく、被害者も報道陣がそっとしておいてくれない。そんな状況を書いてありました。読んでいてつらかったです。きっと孝要が殺してしまった彼の家もそんな状況ではなかったのでしょうか。彼に対しての償いは、一生ひとりで生きていくこと。自分で命を絶ったりしないこと。それがどんな謝罪よりも重い気がします。最初孝要は被害者側だったけど、それが加害者になってしまった。その状況がいつ逆転してもおかしくないことがわかります。

みんな影響しあって生きている

「半夏生」ドレスをデザインすることが趣味の男の子。その趣味が高じて自分が女装することに向かっていった15歳。写真を撮りたいけど、自分がどんな写真を撮りたいのかがわからない24歳の女性の出会いを描いた作品です。美しい被写体、それを撮りたいと思うようになるリオ。発表したいけど、発表できない。被写体を変えることも友人に提案されたけど、それもできない。小さな展覧会に出された彼女の写真には「そこには現実の俺がいた」という珪碁の胸のつぶやきと「半化粧」というタイトルから、内容とタイトルとの言葉が違っていますが、両方にかけた言葉だと思います。化粧をした珪碁も美しいのだけど、この現実の俺がいたというところの写真の彼が一番美しく描かれています。そのショットを美しいと思わせるような構図。彼女の夢がここに集約されています。半夏生の時期に出会った男の子との半年間。この半年間は、忘れたいけど忘れられない時間になり、二人は影響しあってリオは写真をやめて実家に帰る。珪碁は服飾を目指すことになる。夢をこれから叶える人と夢を叶えるために抗った。だけど叶わなかった人、男性と女性、子どもと大人、どこまでも対称的な二人を描いてあります。お父さんの後継ぎとしての弁護士ではなく、服飾の道を選ぶことができたのは、リオに出会ったから。リオに出会わなかったら、彼はどの道を選んだのでしょう。親がいうことを聞いて弁護士を目指していたのでしょうか。リオもため息をつきながら仕事をしていたのを辞めます。その辞めるということにも勇気がいります。夢をどの辺で諦めるのかがひとりひとりに求められます。死ぬまで諦めないという人も入れば、途中で区切ってしまう人もいます。その現実。趣味としてリオがいい顔をして、写真を撮っている姿。嫌になって全部をやめたのではなく、プロとしての腕は諦めたけど、趣味として自然を撮っている姿。地域の新聞にも時々撮っている仕事があるということがわかります。そうやって続けている彼女はどこかほっとした顔をしています。夢を全部諦めるのではなく、自分の納得のいく方法で叶える方法もあるのだなと思いました。リオと珪碁、対照的なふたりですが、人は影響しあって生きている姿というのを作者は捕らえたかったのではないでしょうか。

連れ出してくれたお兄さんは天使だった

「冬霞」、児童虐待をされて、出生届も出されなかった双子とそのお兄さんのお話。お兄さんは麻薬を売りさばく売人、自分の両親を殺すために家に入った。そこにいたのは、双子の弟と妹だった。遠い日の自分と重なり、両親を殺さずに双子を連れ出して逃げる。体がきれいになったら、何か食べれるというときに、チカは瞳を輝かせて「たまごかけごはんたべたい」と言います。双子にとって一番のごちそうが卵かけごはんだった。山崎製パンのランチパックという菓子パンも「これなに?」と聞いているので、パンも見たことがなかったと想像できます。コンビニに行くと、必ずと言っていいほど、見たことがあるパンです。それを見たことがない。外の世界を知らない。自分の年齢も字も知らない。夏なのにお父さんとお母さんに怒られるから、窓を開けない。死と隣り合わせの世界です。それを連れ出してくれたお兄さんが天使に見えてもおかしくないです。本当のお兄さんだったわけですが、ずっと感情をこらえていたリキが最後に泣き出す姿が自分ではチカを守れないから、チカを守ってほしいから泣く姿が悲しかったです。自分を守ってほしいからではなく、妹を守ってほしいから泣く。自分のためにもっと感情を出して、自分を守ってもいいのに彼がどれだけ妹を支えに生きてきたかがわかるシーンです。「ちか」と名前を書くシーンでも、この頃の子どもがよく鏡文字を書きます。それはそれは器用に書きます。それをちゃんとわかっていて、チカが初めて名前を書くシーンでは鏡文字で、逆だよとリキに指摘されても「むずかしいの」と言って直せません。秋には、難しくて書けなかった鏡文字も冬近くなると書けるようになります。その期間の彼らの時間は、文字を書くことに当てられていたというのがわかります。鏡文字がなくなるまで繰り返し繰り返し書いたというのがわかります。

この漫画には、いろいろな問題定義がいっぱいで、たくさん悩んでしまいました。でも、羅川真理茂先生の思いが伝わってきます。今の社会、それでいいのだろうか?という問いを投げかけられている気がします。

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