元祖ガンアクション漫画の魅力、トライガン・マキシマム
イカしたキャラたちのスタイリッシュ・ガンアクション
この漫画が流行ったのはどのくらい前だろうか。筆者が中学生くらいのころにはレンタルビデオ屋の棚にOVAが並んでいたのを覚えているから、かれこれ15年前にはなるだろうか。かなり前の作品なのだが今見返しても色あせないストーリーとキャラクターの魅力が冴えている。キャラクターデザイン、セリフ、ポージング、設定等々…。トライガン・マキシマムは掲載紙の都合でトライガンから繋がっているので実質全巻16巻と多いかもしれないが、揃える価値は十二分にあった。
特技:早撃ち、根無し稼業、主人公は実は人間じゃない
主人公のヴァッシュの正体はプラントである。プラント…人類が作った生産機能を持つ生体装置のような物で、惑星ノーマンズランドに不時着した人類はプラントに縋って生きているのだが、欲を言えば作中でもう少しは詳細を明かして欲しかった。作中の断片的な情報からの個人的な推測だと、人間の女性を被験者にしてプラントが出来、物資を生産出来る様だが…。SF西部劇の詳細をあまり掘り返すと楽しくないかもしれない。
そしてヴァッシュの特技は早撃ちである。GUNーHOーGUNSのE・G・マインを打倒した時は左腕が無かったのに右腕だけで、しかもその右腕で荷物の紐を握っていたのに一瞬手を離して銃を撃ってまた荷物の紐を握りなおすという、なんともケレン味のあるガンアクション。カッコ良すぎる。トライガン・マキシマムではGUNーHOーGUNSの雷泥と日本刀と銃でチャンバラしたりもした、ひょっとしたら創作作品で人気がありそうなハンドガンによる近接戦闘描写の起源かもしれない。
ちなみに著者の内藤康弘先生は後年、PS2のゲームソフト:ガングレイブ2を作った時にハリウッドのウルトラヴァイオレットのUZIのマガジンに刀身が生えていたのを褒めていたので、ガンアクションを描く漫画家は皆こういうのが好きなのかもしれない。ガン=カタとか特に。
皆揃ってシブい、トライガンの悪役
トライガンの悪役にはナイブズが従えているGUNーHOーGUNS、そしてミカエルの眼からはマスターチャペル、リヴィオ、ラズロ、ナイブズの側近のレガートがいる。ヴァッシュは相棒のウルフウッドと共にこれらの敵を打倒し乗り越えていくのだが、何というか、「よく死ななかったね」というカンジである。皆銃を使っているワケだから、現実には1発食らったらアウトだろうに。
プラントと言ってもヴァッシュは体の構造自体は人間と変わりないし、ウルフウッドはミカエルの眼の殺し屋なので治癒能力が人間を超えているし、アンプルを投薬して一時的に治癒能力を上げている描写が散見されるのだが、現実にはアレをやると腹が減って仕方が無いことになりそうだ。
そんな彼ら主人公2人を追い詰めた敵たちだが、ミッドバレイとガントレット以降の敵がとりわけ印象に残る。というか強過ぎる。ちょうどヴァッシュの正体が明らかになり、しかもGUNーHOーGUNSのロストナンバーのエレンディラも登場する。その後もミカエルの眼からマスターチャペル、リヴィオが登場し、しかもリヴィオは二重人格でラズロという人格を持っていて、さらにラズロはパニッシャーを3丁使うという有様。これら内藤先生の設定は、読者の予想を裏切るどころか突き破り続けたのではないだろうか。
「殺さず」を貫く主人公は好き?
ヴァッシュは銃を使うが人を殺さなかった。我々日本人には銃という武器は馴染みがないだろうが、拳銃弾でもレンガを砕く威力がある。これが人間に当たったら…と思うと正常な神経の人間なら恐ろしくなるだろう。作中でメリルが初めて人を初めて撃った時に吐いて失語症になったという話があったと思うが、ああいった話は現実にも考えられる話だ。これに類似した話で、スナイパーが初めて人を撃った時に「初めてスコープ越しに撃った相手だけはいつまでも顔を覚えている」という話がある。それこそイケメンだったのか、あるいはブサイクだったのかをいつまでもいつまでも覚えているそうだ。それ以降に撃った相手はすぐに忘れてしまうものらしい。ヴァッシュはマーロンが登場した街の保安官と揉めた時に、マンターゲットの両肩と右腕だけを打ち抜き続ける練習をしていた。殺すための武器で殺さない練習を。ヴァッシュが殺すことになった唯一の例外はレガートだけだった。
ネットでスレの意見を見たりすると、「殺さず」を貫く主人公が嫌いな人間というのは多い。彼らが嫌うのは「るろうに剣心」の緋村剣心、「機動戦士ガンダムSEED」のキラ・ヤマトなど作品の主人公だ。緋村剣心にいたってはコラ画像で「鉄の棒で人の頭をガンガン叩いて『殺さず』とかバカじゃねーの」とすら言われている。
実は私はこういう意見を目にするとまったく反論出来ない。スレの住人の意見の方が正しく感じるからだ。「他人を傷つけて主人公が無事にいられるというのがおかしい」というのが彼らの意見ではないだろうか。人類共通の認識かどうかは分からないが、他人にしたことというのは返ってくるのだ。良いことをすれば自分に良いことが返ってくるし、逆も然りだ。仏教では「縁起の法則」と言うらしい。そういう意味ではガンアクションやピカレスクの主人公というのは最後は誰かに撃たれて死ぬのが相応の最期になるということだろうか。
作品を楽しむ時に、日本の漫画やアニメ、ハリウッドのガンアクションはフィクションだからこそ楽しめるということを忘れないで欲しい。他人を傷つけるというのは、自分を傷つけるために相手を強くしていることと同じだからだ。武術やガンシューティングは本来は残酷なものだ。だからこそ他人に説明したり表現するときにはそれらを芸術に昇華させることが必要なのだ。本作品は漫画の芸術の表現としてのガンアクションを体現していると言えるだろう。
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