時代劇と呼んではいけない これは武士道漫画である
「死狂ひ」たちの御前試合
現在、月刊誌『チャンピオンRED』上で『衛府の七忍』を連載している漫画家・山口貴由。連載一年未満ですでに数多くの方面から注目を集めている本作品の以前にも、すでに山口貴由の名を世に知らしめた作品がある。
それが南條範夫の時代小説『駿河城御前試合』の第一話「無明逆流れ」を原作とする漫画『シグルイ』である。掲載誌は『衛府の七忍』と同じく『チャンピオンRED』。宝島社が毎年特集する「このマンガがすごい!」で、何度も上位に輝いている作品だ。
「シグルイ」とは、武士道を体現したと言われる書物『葉隠』の一節、「武士道は死狂ひなり。一人の殺害を数十人して仕かぬるもの」に由来するという。
時代小説を原典としていることもあり、『シグルイ』は時代劇漫画というカテゴリに属されることが多いが、今作品はそのような埃っぽい枠にとらわれるような漫画ではない。
怨念のような人の情と、煙るような汗と血、常人には触れられぬ気高き志によって構成された、唯一無二の武士道漫画である。世には、時にカテゴライズすることが愚かに思える漫画がある。『シグルイ』も、その一作に入ると筆者は断言する。
魂のこもった作画に引き込まれる
漫画というのは不思議なものだ。ストーリー、構成、作画、キャラクター、全てに全力を注がなければ、作品は成り立たない。
しかし、作者や編集者がこれぞというのもを出しても、必ずしも評価されるとは限らない。多くの漫画が溢れかえるこの時代、漫画好きは漫画を見る目が厳しい。例えるなら、ラーメンのようなものだ。誰もが「それ」を愛しながら、好みは千差万別。不味いものには容赦せず、再訪(再読)することなく批評する…。
だが、時に漫画作品のなかには、夢中で読み進めるホンモノの作品がある。『シグルイ』はその一つだった。
ストーリー、構成、作画、キャラクター、全てが完璧。いや、完璧という言い方には語弊がある。
それらの要素が、『シグルイ』という作品のなかで調和し合い、読者はまるで舞台を見ているような引き込まれ方をするのだ。
迫力のある画ながら、読みやすい構図。キャラクターの書き分けも文句なしで、特に醜男の個性付けが良い。復讐劇というありふれたストーリーのはずなのに、無口な藤木や伊良子の野望、いくと三重の情念が、物語の彫りを深め、全く薄っぺらいとは思せないのだから不思議だ。
鬼気迫る剣豪同士の戦いはスピード線や効果線に乏しいはずなのに、表情一つ、動き一つが詳細に描かれているせいか、一コマ一コマ真剣に見入ってしまい、鈍重さを感じさせない。むしろ、手練れ同士の肉薄した真剣勝負を垣間見た気になって、一勝負を見終えるととても充足感に満ち溢れてしまうのである。
語彙が乏しく、理知的な分析の出来ない筆者であるが、この作品を読んだ感動は声を大きくして何度も伝えたい。
『シグルイ』は、魂ごと引き込まれる漫画だ、と。
なぜ三重は命を断ったのか
しかし、『シグルイ』で唯一納得のいかない部分がある。
それは、物語の結末。藤木が宿敵伊良子を破った後、三重が自害するシーンだ。
これは多くの『シグルイ』ファンの論争のもととなっている。伊良子と決着をつけたあと、藤木と三重は結ばれる約束をしていた。それなのに、藤木になんの言葉も告げることなく、三重が死亡した理由が見いだせないのだ(作中では、一切理由について補完されていない)。
これについて『シグルイ』ファンの間で多くの考察がなされているが、おおむね二つの意見の声が大きい。
一つは、仇でありかつての婚約者である伊良子への情愛が大きかったため、伊良子の死を目の当たりにして死を選んだ可能性。
もう一つは、三重が未来の良人である藤木がやはり傀儡であったことに絶望し、死を選んだ可能性である。
後者についてはやや説明が必要だ。伊良子が死んだあと、「三重の心にあった想い(おそらくは、伊良子への恨みと愛情)は消えた」とある。その表情は晴れやかなものであった。これは実質的なエンディングのような爽快感と達成感に満ち溢れたシーンだった。
しかし、その後藤木は徳川忠長の命を受け、伊良子の首を落としている。決着がついたはずの勝負に、後味の悪いもう一仕事が待っていたのだ。上意を受け、藤木が首を落とすまでの一連の流れは、まるでホラー映画のエピローグのような暗雲立ち込める薄気味の悪い展開であった。
最後の仕事を終え、藤木が三重を振り返ると、三重は自らの刀ですでにこと切れていた。
伊良子が死んだ瞬間は「想いは消え去った」はずの三重が、藤木が伊良子の首を落とした後では、まるで手のひらを返すように自死していた。やはり要因は、「藤木が上意によって伊良子の首を落とした」ことに由来するのではないか。
もともと、三重は上の者には逆らえない男社会を「男はみな傀儡」と呼んで絶望していた。伊良子が死に、仇討ちの全てがリセットされた状況で、残ったのは藤木と自分のみだ。「傀儡」であるとたった今証明された良人と、添い遂げ、家名を残すことに絶望しても不思議ではない…。
以上のことから筆者も後者の説を推している。が、理解するのと納得するのは別だ。
これではあまりに藤木が不憫すぎるではないか。藤木がこの後どうなったかは語られていないが、おそらく長くは生きないであろう。仇討ちを果たし、片腕を失い、想い人さえ失った男がどんな顛末を向かえるのか、想像は容易だ。本来ならば虎眼流の良き指導者となっていたはずの彼の人生がこれで終わってしまうとは、あまりに哀れで報われない。
もう終わった物語にあれこれ言うのは野暮な話だが、山口貴由によって補完されたエピローグが読みたいものである…。
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