紺碧の映画『Diva』、その美しさの隠し味 - ディーバの感想

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紺碧の映画『Diva』、その美しさの隠し味

4.54.5
映像
5.0
脚本
4.0
キャスト
4.5
音楽
5.0
演出
3.0

目次

本作は『Betty Blue』で知られる Jean-Jacques Beineix 監督の最初の長編作品です。この映画を象徴する「青」が音楽やパリの街並みと溶け込んで美しい恋物語を奏でている一方で、サスペンスの要素もあり、それらが見事に収束していくのが本作の見所です。今回は各登場人物と彼らの音楽趣味、作中での立ち位置について掘り下げつつ、この作品の美しさを引き立てている「隠し味」を探究したいと思います。

謎のギリシア人 Gorodish

この役を演じた Richard Bohringer が本作で一番有名な俳優さんです。それもそのはず、この映画の原作は Delacorta (スイスの作家、Daniel Odier のペンネーム)の小説で、『Diva』は Gorodish と Alba の活躍を描いた連作の第2作にあたります。主人公であるはずの Jules が非力で、全くと言っていいほど事件解決に貢献しないのも、原作シリーズの主役がこの2人だからです。

Gorodish は波を止めることを夢見ており、バスタブで紫煙を燻らせ、パンにバターを塗る動きに「悟り」を見出している不思議な男ですが、彼の特徴のひとつひとつは私たちにとって何の意味もありません。「ギリシア人=哲人」のイメージと日本の哲学である「禅」とを結びつけてはいますが、Gorodish の言動はギリシア哲学やの仏教の教えとは何の関係もありませんし、そこにはただ彼にしかわからない、彼だけの哲学が広がっているのみです。彼は部屋でジグソーパズルを解いていただけなのに、まるで神様の視点から総てを見ていたかのように事件を解決していく「超人」ですから、とにかく理解されない人物でなければいけないのです。

そんな彼の部屋で流れているのは環境音楽。禅に集中するのには良いのかもしれませんね。

 ベトナム人少女 Alba

 実は、原作小説と映画には大きな違いがあります。原作では Alba はフランス人の少女、コンサートの録音テープを狙っているのは日本コロムビアのミハラという男なのです。この変更点は Jean-Jacques Beineix 監督にとって重大な意味を持つものであり、彼の映画になくてはならない要素だったと考えていいでしょう。では何故 Gorodish の相方はベトナム人少女でなければならなかったのでしょうか。

 これは推測に過ぎませんが、この映画が公開されたのは1981年、その前に監督はベトナム戦争から逃れてパリへ移住してきたベトナム人たちをきっと見ています。彼の中でエキゾチックで神秘的な存在として「ベトナム人少女」を登場させることはごく自然なことだったのではないでしょうか。いずれにせよ Alba のその東洋的神秘を放つ外見は芸術作品に必要だったことは間違いありません。そして更に面白いのが、彼女がベトナム人であることと、彼女の趣味・ファッション・生き方は全く関係ないというところです。作中で彼女は当時流行っていた建物の写真がプリントされたスカート(今でもパリのファッションブランド agnès b. からはよく都市風景をプリントしたお洋服が出ています)を穿いており、好きな音楽はジャズだと言います。このミスマッチが彼女の魅力であり、Cynthia の言葉を借りるなら「似合わないところが逆にいいわ」といったところでしょうか。 

因みにベトナムからの難民がパリに移住するようになったのは、ベトナムの旧宗主国がフランスであったためです。本作で登場した売春組織もかつてフランスが統治していたアフリカとのパイプになっていたように、植民地支配に端を発する根深い問題がパリでは常態化しています。しかしそれもあくまでパリの一風景としてしか扱わず、社会的メッセージを一切排除したのは見事としか言い様がありません。逆に、パリ郊外の移民スラムを描いた Mathieu Kassovitz 監督の『憎しみ』(1995)は社会問題に真っ向から挑んだ作品なので、所謂フランス映画が好きな方は見てみるとまた違った発見があるかもしれません。

クラシックおたく Jules と歌姫 Cynthia

最後は主役のこの2人です。 Jules は郵便配達員として仕事をこなしていますが、まだ18歳の若者です。彼は育ちの良い坊ちゃんというわけではなさそうですし、この年齢ならヒットチャートを愛聴していそうなものです(因みに当時のフランスでは国内の音楽の他にブリティッシュロックの Queen や Pink Floyd のようなプログレ、Olivia Newton-John 等が流行していました)。しかし彼はティーンエイジャーでありながらクラシックに造詣が深く、作中で Cynthia が「アフリカの女王」と称されたのに対し、オペラ『魔笛』を捩って「いや、夜の女王さ」なんて返してしまう程。

余談ですが、「クラシック好きの青年」で思い出すのが Stanley Kubrick 監督作品『時計じかけのオレンジ』(1962)の極悪主人公 Alex です。彼は15歳と若い上に悪逆無道で、全くクラシックに似つかわしくない人物ですが、第9を敬愛しています。パンクやロックに傾倒している Alex なんて何の魅力もないでしょうから(私は決してパンクやロックを貶しているのではありません)、この不良少年とクラシックとの組み合わせは本当に天才的だと思います。

さて本作の Jules はクラシック好きというより「クラシックおたく」と言った方が良いかもしれません。ですから『Diva』をおたくが高嶺の花と恋に落ちる話だと、型に嵌めて捉えてしまうこともできそうなのですが、これは決してそんな陳套な物語ではございません。なぜなら彼の起こす行動は常に常軌を逸しており、更に有り得ないことに Cynthia がまるで聖母のような気高さと包容力を持ち合わせているからです。おたくが憧れの人の声を盗み、衣装を盗み、宿泊先のホテルを突然訪問し、窃盗を告白したら赦されたどころか気に入ってもらえたなんて話、私は他作品で見たことがありません。

ここから先は完全に私の仮説ですが、彼らの恋愛が常識や一般的な価値観にとらわれていないのは、この映画において2人が「美の世界の住人」だからです。美の世界とは芸術の世界であり、愛の世界でもあります。それと対立するのが売春組織や台湾系レコード会社であり、彼らは「死と暴力の表象」です。相容れない2つの世界が Jules の行動をきっかけに邂逅してしまったのです。では Gorodish たちはどの立場にいるのかというと、このどちらにも属していません。美の世界と悪の世界が形而下のものだとするならば、Gorodish たちは形而上の世界にいます。そんな人間離れした仙人のような存在を味方につけてこられたら、当然勝ち目がありません。

 「商業が芸術に合わせるべきであってその反対はありません」

これは Cynthia の作中での発言ですが、この言葉がそのまま本作の主題となっています。私の仮説に則ってこのテーマを考えますと、悟りを開き真理に到達した Gorodish が Jules たちの手助けをしたのですから、「商業」と「芸術」との対立においてはこの Cynthia の主張こそが真理であるということになります。勧善懲悪だとか、道徳だとか、そんな次元の話ではありません。芸術に合わせた商業は成り立っても、商業に合わせた芸術はその時点で芸術ではなくなってしまうという、ただそれだけのことなのです。

但し、この映画は徹底して芸術作品であり、雰囲気で楽しませることに主眼を置いているので、「映画の主題=監督が伝えたいこと」というつもりではないはずです。先述の通り、寧ろメッセージが間違っても表出しないように作られています。この「主張の無さ」こそが本作の隠し味だというのが私の結論です。尤も、無いものを隠すことは出来ないのですが......。

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