夫への究極の愛、自分への足りない愛
ラース・フォン・トリアーの作品で初めて観たのが、
この「奇跡の海」だ。
苦しくて苦しくて、こんな展開耐えられない、と思った。
と同時に、すごく辛過ぎるモノっていうのは
誰の心にもある暗闇の中にズカズカ入ってきて
中毒性のある香りを残すのだ、と知った。
こんなにも苦しいのに何度も観てしまった。
観終わっても、暗い淵にしかいけないって分かってるのに
すっきりしないし、晴れやかな気持ちにもなれないのに
悔しくて、哀しくて、居てもたってもいられなくなる。
ベスのしたことは、究極の愛なのだろうか。
この映画を観た当時の私は、若くて、これが極めつけの愛なんだって
ベス、カッコいいと思う部分もあった。
ちょっと足りないベスだからこそ
すべての言葉を信じて
ある意味自分が正しいと思うことを
徹底的に貫いた。
でも、決してココロが喜ぶことでは無い。
やっぱり、それでは、ダメなんだって今は思う。
泣きながら、夫が喜ぶからって、知らない男に身をゆだねる姿が
何年たっても忘れられない。
誰かが言ったから、とか、そうした方が上手くいきそうだから、とか
誰かの言うまま、他人に判断をゆだねた行動なんかじゃ
自分のココロは喜ばない。
本当は、自分が何を望んでいるのかを忘れずに、
それに基づいて行動していれば
不幸な出来事の連鎖からは解放されるはず。
ベスは、夫を究極に愛しているようで、自分自身を愛してはいなかった。
今の私は、なんだか、そんな風に思っている。
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