愛は、相手を喜ばせたり、楽しませたりする行為そのものである。
あらすじ
主人公は、モテない27歳の男。ある人に出会い、恋愛工学を学ぶことで人生が一転する。恋愛プレイヤーになった主人公だが、「愛」とは何なのか?について葛藤する。
接客業と恋愛工学
モテ=ヒットレシオ×試行回数
ヒットレシオとは、その試行がうまくいく確率
成功=ヒットレシオ×試行回数
この方程式に、飲食店の接客業を当てはめてみた。
来店者数の向上=ヒットレシオ×接客の試行回数
この場合のヒットレシオとは、お客様の機嫌等にもよる。もちろん、ヒットレシオを最大限に高める接客の仕方は存在する。
接客の試行回数を増やすことで、ヒットレシオを最大限に高める接客を習得する事ができる。
商い→あきない→飽きない といわれるのは、このためだろう。
「非モテコミットというのは、お前みたいな欲求不満の男がちょっとやさしくしてくれた女を簡単に好きになり、もうこの女しかいないと思いつめて、その女のことばかり考え、その女に好かれようと必死にアプローチすることだ。」
「でも、それはその女の人のことを愛しているということじゃないんですか?」
「そうかもしれない。どっちにしろ結果は同じだがな。女はこういう男をキモいと思うか、うまく利用して搾取しようとするかのどっちかしかしないんだよ。
お客様で考えた場合、ペコペコしている店員は、お客様に なめられる可能性が高い。
お客様と店員といっても、ベールを剥がせば 人と人の関係である。
お客様と店員は、対等な立場でなければならない。対等な立場で接客をする。だからこそ信頼を得られるのだ。
「恋愛工学の戦略はすべて統計的なアプローチである。そして、それを意識するかどうかは別にして、実際のところすべての恋愛は確率論なのだ。恋愛は、確率論なんかじゃないって言うやつがいたら、そいつは独裁者か強姦魔だろう。恋愛工学を知らない者は、単にギャンブルをする。知っているものは、計算されたリスクを取る。知らない者は、割りに合わない投資をやめられない。知っている者は、割りに合わないと判断すればストップロスをする。ビジネスでも投資でも、損切りできない人間から先に破産していく。恋愛も同じだ。恋愛工学では、勝率が高く、コストが安い戦略を、同時に多数実行していく。
お客様の中には、そもそも性格が悪い人もいる。オーダー確認をしただけで、イライラしながら早くしろよと言わんばかりの表情。レシートを渡せば、ひったくられる。
こういうお客様の機嫌を取ろうとする必要はない。ストップロスをするのだ。
店員のメンタル面を考えると、こういうお客様の行動で 傷つけられる事により、贔屓にしてくださるお客様に最善を尽くす事ができなくなってしまう。仕事をするのが嫌になってしまう。
自分自身の接客を常に振り返り、改善することは必要。しかし、「お客様は神様だ」と なんでも言うことを聞いてはならない。
「だから、ときには売らないという選択をしなければいけないときだってある。俺たちは商品だからこそ、絶対に自分を安売りしない。」
お客様に、心を傷つけられてはいけない。傷つけさせない。踏み込ませない。
店員だって、お客様を選ぶのだ。
「セックスは、男が女から奪うものではなく、お互いに分かち合うものだ。」
この「お互いに分かち合うもの」という言葉が、接客業と繋がった。
お客様と店員は、お金と労働力等を対等に物々交換している。だから、そこには信頼が生まれる。
信頼を分かち合えばいい。
店員の立場になると、お客様に 怯えてしまったりする。つい下から目線で見上げてしまう。しかし、そんなことをする必要はないのだ。お互いに対等な物々交換。あるはずのものは、信頼なのだ。
信頼がないということは、対等な物々交換ではないということである。
愛は、気持ちではなく 相手を喜ばせたり楽しませたりする行為そのものである。
「僕自身は、本質的には昔と何も変わっていない、いや、昔の非モテ時代の僕のほうが、むしろ彼女たちにとっては都合がよかったはずです。決して裏切らず誠実に一人の女に尽くすことしか知らないわけですから。じつは、僕は恋愛工学を学びはじめたころ。ずいぶんと悩んでいたんですよ。なぜ、昔の僕を、彼女たちは愛してくれなかったのだろう、と。そして、恋愛をゲームのように考えるようになった僕を、彼女たちはなぜ愛するのだろう、と。」
「それは恋愛工学を学ぶものが通らなければいけない道だ。お前は、昔ながらの愛を捨て、恋愛プレイヤーになることを選んだんだ。恋愛工学は、ある意味で、愛を再定義したんだ。」
愛は、相手を喜ばせたり 楽しませたりする行為そのものである。
愛は、一瞬のものであって、それを積み重ねることが愛するということである。
永遠に愛するということは、一瞬のものを努力して、積み重ねていくということ。
今この瞬間に、相手を喜ばせたり、楽しませたりしたら、もうそれは、恋人同士でなくても、
「愛」である。
非モテコミットをしてくる人は、相手を想っていると言いながら、自分のことしか考えていない。相手を愛してはいないのだ。
最後に、大きな発見をした。「恋愛とは受動的なもの」という発想が、いつの間にか無くなっていたのだ。
フロムの「愛するということ」を思い出した。
「恋愛は能動的なもの」だ。愛するということは、能動的なものだ。
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