小川哲『ユートロニカのこちら側』レビュー - ユートロニカのこちら側の感想

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ユートロニカのこちら側

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小川哲『ユートロニカのこちら側』レビュー

4.54.5
文章力
4.0
ストーリー
5.0
キャラクター
3.5
設定
5.0
演出
5.0

目次

ユートロニカとは

当たり前のことではあるが、本を手に取るとき真っ先に目に飛び込んでくるものの一つがタイトルである。この本のタイトルには、多くの人が「何だろう」と興味をかき立てられるであろう言葉が使われている。それが「ユートロニカ」。この言葉は何を意味するのだろう。

全六章からなるこの物語では、それぞれの章で異なる人物を通して「アガスティアリゾート」と呼ばれる特別地区の姿が描かれる。アガスティアリゾートは、住民が自分の視覚聴覚情報を含むすべての個人情報を提供する代わりに、働かずに暮らしていけるだけの基礎保険を受け取ることができる都市だ。

働かなくていい夢のような世界! となると、ユートロニカの「ユート」は「ユートピア」のことに違いない。そして、このユートピアは実のところ、常にマイン社(アガスティアリゾートの産みの親)に監視・管理されるディストピアなのだ――そんな風に決めつけてかかりたくなるが、そう一筋縄ではいかないのがこの『ユートロニカのこちら側』。読んでいくうちに、思わぬ深みに捕らえられる。

アガスティアリゾート、いかがですか?

その深みとは、一言で言えば「良いのか悪いのか分からない」深みである。アガスティアリゾート、あるいは住民のあらゆる情報を元に犯罪者予備軍を見つけ出す「BAP」システム、それを利用して犯罪を未然に防ぐ警察機関「ABM」、そして人々が選択に迷わないよう適切なアドバイスを与える情報管理AI「サーヴァント」。そういった、やや乱暴に括ってしまえば「ディストピア物で悪者とされる集団やシステム」が必ずしも悪いものだとは思えない、かといって良いとも言い切れない、曖昧で落ち着かない立場に私たちは立たされる。

なぜ言い切れないのか。冷静になって考えてみよう。「現実にアガスティアリゾートが存在したら、そこに住みたいだろうか」と。物語中では、入居には審査が必要で倍率もものすごく高いのだが、それは置いておくとして、移住したいかしたくないか。

嫌に決まっている、という人がおそらく多いのではないだろうか。いくら寝室とトイレと浴室は除外されるとはいえ(ただし第四章以降は寝室も監視の対象になる)、自分の行動すべてがカメラとマイクに見張られているなんて真っ平ごめんだ。

しかし、である。見張っているのは機械なのだ。私のデータが犯罪予測や商品開発に使われるとしても、それに携わる人たちは私の知り合いでも何でもない。彼らが興味を持つのはデータだけで、いちいち私という個人を詮索したりはしないだろう。普通に暮らしているかぎり、危害を加えられるわけでもない。監視されていることなんて、忘れてしまえばいいのでは?

物語中でも、様々な登場人物がこのシステムのメリットに目を向ける。働かなくていいこと、犯罪が未然に防がれること。アガスティアリゾートやマイン社の支持者として印象的な人物は、第一章の主人公夫婦の妻ジェシカと、第三章・第四章に登場するABMの刑事ライルくらいだが、全章を通じて、背景には常にアガスティアリゾートを受け入れる圧倒的多数の人々の存在が感じられる。現実にアガスティアリゾートのような社会システムが生まれたとき、私たちの多くがそれに賛同するというのは、いかにも「ありそうなこと」に思えるのだ。

戻れない過去

さらに、マイン社が善か悪かという問いを複雑にしているのが、第二章の存在である。

全六章からなる物語の中で、この第二章はやや異質な雰囲気を感じさせる。まず、他の章がサンフランシスコのアガスティアリゾート内部や周辺で起こることを描いているのに対し、この章の舞台はリゾートから遠く離れた東京の八王子にあるマイン社ラボである。また、他の章ではリゾートに関わる組織や技術(ABMやBAP、サーヴァント)が繰り返し登場して重要な役割を果たすが、第二章で主に描かれるのはマイン社の開発した過去再体験サービス「ユアーズ」であり、これは他の章では一切登場しない。なぜなら、第二章の冒頭に置かれたニュース記事らしき文章から明らかなように、ユアーズは運用開始が無期限延期となったからである。

そんなわけで第二章は、他の五章が見せる「アガスティアリゾート発展の歴史」とでもいうような流れから、何となくポツンと浮いているような印象を与える。ハリケーンによる土砂災害で生まれ育った村を失った主人公リードは、自分の故郷がアガスティアリゾート建設のためのテスターとして、村ぐるみでマイン社に生活情報を提供していたことを知る。ショックを受け憤りながらも、リードはまだ一般には使用されていない(そしてこの本の中ではついに実用化されない)ユアーズを使って過去を再体験するのだ。それは、父がマイン社に売り渡した家族の個人情報によって構成された、バーチャルリアリティの過去である。

知らない間に自分の生活圏の情報が売られるのは確かにおぞましいことだ。監視され、また子供たちにそのことを悟られないよう暮らしていた大人たちの二重の息苦しさも想像するだけで憂鬱になる。だが一方で、村がマイン社に情報を売っていたおかげで、リードは既に土砂に埋まった故郷に、実家に、両親に再会できるのだ。他ならぬ情報の買い手であるマイン社が開発した、ユアーズによって。

ユアーズの運用が開始されないことが初めに明かされているため、この第二章は、少なくともこの時点では切ない余韻を残すのみである。リードにとって、故郷の情報がマイン社に渡っていたことは結局幸福だったのか不幸だったのか、そんなことは曖昧なままでいい。リードのユアーズ体験は、ユアーズが一般に使用されることはないという前提の下、特殊で個人的な感傷の物語として一旦は幕を下ろす。

見られること=見ていてもらえること

しかし、第三章以降を読み進むにつれ、第二章で頭の隅に刻まれた「ユアーズ」という技術の存在が、じわじわと印象を強めてくる。

戻れない過去を持っているのはリードだけではない。友人を失い、その友人の妹である婚約者にも去られようとしている第三章のスティーヴンソン。投薬治療を拒否したため痴呆の進んだ祖父に、孫として認識されなくなった第五章のユキ。もちろん、この二人だけではない。『ユートロニカのこちら側』は、全体として様々な人物の、戻れない過去への思いに満ち満ちている。いや、そもそも物語として描かれようが描かれまいが、誰にでも過去があること、過去には戻れないことは当たり前の事実なのだ。そこへ、もしユアーズが実用化されたら。

考えてみれば、ユアーズの実用化は延期されたというだけで、中止になったとはどこにも書かれていない。マイン社とアガスティアリゾートがいろいろと問題を抱えつつも基本的には強大化しているのは明らかであり、ユアーズもこの本の物語の先、最後のページの向こうの未来で実用化されないとも限らない。そのとき、マイン社アンチの人々はどうするのだろう。内心苦々しく思いながらも懐かしさに負けて、失った故郷や別れた恋人に再び出会うためユアーズを利用するだろうか。あるいは、楽しく充実した日々のなかでふと、マイン社に情報を渡しておかなければ二度とこの幸福を追体験できないのだと気づき、葛藤するだろうか。

労働からの解放や犯罪抑止といったことは、マイン社に監視されるというデメリットを受け入れることで得られる、それを補って余りある(とアガスティアリゾートの支持者なら考えるだろう)メリットである。しかし、ユアーズによって過去を再体験できるということは、マイン社に見られることそれ自体が価値を持つということだ。デメリットがメリットと、「見られる」が「見ていてもらえる」と重なる。もう自分しか、あるいは誰も覚えていない過去の出来事も、マイン社が見ていてくれるおかげで残しておける。失わないで済む。

アガスティアリゾートがユートピアかディストピアかという問いは、この「見られること」が「見ていてもらえること」でもあるという点において、この物語世界の人々を、そして読者である私たちを、より一層深い迷いに引きずり込むように思われるのである。

永遠の「こちら側」

さて、結局ユートロニカとは何だったのか。物語中でこの言葉がどのような意味で用いられるのかは、第五章と第六章の間に挟まれた文章によって明らかになる。ちなみに、「アガスティア・プロジェクト」というベストセラー本の内容についてまとめたというこの文章、どこでどう書かれた設定なのかははっきりしない。ラフな雰囲気の文章から察するに、おそらく本を読んだ一般人のブログか何かではないかと思われるのだが。

ともかくここではっきりするのは、「ユートロニカ=人間が意識をなくした世界」であるということだ。アガスティア・プロジェクトの行き着く先はそのような世界であると、ベストセラー本の著者は主張しているらしい。(ちなみに、著者はアガスティア・プロジェクトの立ち上げ人の孫にあたる人物である。)なぜ人間が意識をなくすのか。簡単に言えば、それは人間が一生懸命頭を使って法律や道徳などを持ち出さなくても、BAPは犯罪者を見つけてくれるし、サーヴァントは的確な指示をくれるから。意識を発生させる「考えるというストレス」がかからなくなると、人間の意識は消滅するということだ。

しかしこのディストピア感あふれる「意識の消滅」という結末も、決して確かなものではない。何しろタイトルは『ユートロニカのこちら側』なのだ。むこう側ではなく。

ブログらしき文章の筆者も、「『意識』は本質的に内的で私的なもの」「そもそも『他人に意識が存在する』(あるいは『存在しない』)なんてことを素朴に主張できてしまう著者の鈍感さ」などと述べている。アガスティアリゾートの中でなくたって、今そこにいる他人に意識がある(状況に合った反応を示すだけのロボットではない)なんて誰にも確信できないのだ。それに、もし自分が意識をなくしたとして、その意識をなくした自分は「自分には意識がない」なんて考えるだろうか。意識がないのに? まさか。

つまり人間は、「とうとう我々は意識をなくし、ユートロニカに到達しました」などと自覚的に言うことは絶対にできない。『ユートロニカのこちら側』は永遠に「こちら側」であって、「むこう側」にはなりえない。

そして、この「永遠のこちら側」の物語は、私たち読者を惹きつける。通り過ぎ、歴史になってしまったことについては、「むこう側」からその善し悪しを判断して、「悲劇」だの「悪政」だの「平和」だの「黄金時代」だのと言うことができる。けれどユートロニカに「むこう側」はなく、人々はいつまでもユートピアともディストピアともつかない世界に生き続ける。

ユートピアともディストピアともつかない世界。それは何かに似ている。そう、私たちの生きる現実の、現在のこの世界だ。だからこそ、この本は胸を打つ。

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