深い話になるかと思いきや単純にホラー - シェルターの感想

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深い話になるかと思いきや単純にホラー

3.53.5
映像
3.5
脚本
3.5
キャスト
3.5
音楽
3.5
演出
3.0

目次

多重人格の否定

精神科医のカーラは、多重人格障害を認めていない医師の1人。犯罪者が演じている多重人格は嘘であり、それは証明できると考えている人物だった。そんな彼女のもとに、カーラの父親のハーディング博士から依頼がやってくる。患者は多重人格者でとても興味深い人物であると。その患者デヴィットを引き受けたところから、カーラは多重人格に潜む恐怖の実態に飲み込まれていく。

この始まり方では、おそらく多重人格者の病気を解き明かす方向、あるいは、サイコパス的な犯罪者が作り出した多重人格という状態であると断言する方向、そのどちらかだろうなと考えていた。ところが、物語が進むほどに、デヴィッドの中に眠る人格があまりにも多いこと、そしてその一人一人がすでに死んでしまった人物であることがわかってくる。もはやサスペンスドラマのように、単純な犯人探しができるレベルじゃないとわかってきて、カーラはどんどん怖くなってくる。それでも逃げないカーラは、もはや意地のみで動いているというか。自分が信じてきたものを覆さなければならないことに怯え、それが人間の力ではない、全く別次元のものによってもたらされていることを薄々感じて恐れる。そしてそれが自分の大切な娘に影響を与え始めていることを悟る。

この物語では、もはやだれがどのタイミングで出会おうと、デヴィッドたちによる魂の抜き取りは起こったと思うんだよ。だから、カーラもサミーもかわいそうに…としか言えないんだよね。多重人格は確かに人によってもたらされたかもしれないが、それはシェルターという不可解な入れ物に閉じ込められた、スピリチュアルな問題が絡んでいた。

時間軸と設定がかみ合わず

多くの人が疑問視しているのが、このような人の魂を奪う行為を繰り返し行っていたムーア牧師が、すでに100年以上も前の人物である、という点。そんなに前からムーア牧師が人の魂を自分の中に取り入れ続けてきたというなら、国民のほとんどがもはやムーア牧師によって魂を奪い取られていたはずだ。1日3人くらいずつ奪い取ったとして、それなのに、取り込まれた魂の人格はそれほど昔じゃない。デヴィットは25年前くらいに抜き取られた様子だが、アダムはごく最近。チャールズやハーディングさんなんてついさっきまで生きてたよね…?っていうレベル。こんな立て続けに人の命が奪われてしまうなんて…もはや神の存在を認めずにはいられないのである。

一方で、ムーア牧師の行動が一貫したものであると言える可能性もある。100年くらい前までは、おそらく神様への崇拝と信仰はまだ深く根付いていたんだと思う。だから、「神の存在を信じない者の魂を抜き取る」というルールの上では、該当者が昔は多くなかった。しかし、現代においては神を信じない人間が増え、いかなる事象も科学で解き明かせると言い、神様の存在を信じない人が増えてしまったのだ。ムーア牧師は毎日忙しく飛び回り、魂を奪い去ることになるだろう。それがちょうど今のデヴィット、アダム、チャールズ、ついにはスティーヴン、ハーディング、サミー…と、周囲の人々のほとんどが魂を奪われることとなった。いったいシェルターの許容はどれくらいなんだろうね…

魂を抜いた老婆の恐怖

っていうか、そもそも事の発端は、大昔にムーア牧師が村人を騙してインフルエンザの流行を無視したことにあった。娘には予防接種を受けさせて、貧しい他の民たちはそれを知らないから死んでいくしかない。そこで信仰によって治療できると説き、黙らせようとした、ムーア牧師はひどい奴だ。呪われても仕方ない。でも、グラニーが魂を抜き取り、ムーア牧師を人の魂を奪う怪物へと変化させて、いったい何がしたかったんだろうね?っていう疑問が残る。死ぬことのないループへと巻き込んだところで、その入れ物はムーア牧師の体でありながら、彼ではない。永遠にシェルターに閉じ込められた、悲しい魂。ムーア牧師がシェルターそのものとなり、魂を喰らっていくのは、誰にも利益がないよね。老婆ですら、止めることはできないというその呪い。やる意味あったの?確かに死よりも重いものかもしれないけれど、そのせいで善良な命が奪われていくなら、むしろこの老婆こそ裁かれなくてはならない人物なのではないの?そもそも、そのシェルター機能の背景と、老婆のやっている人の魂の抜き取り作業は、何のために繰り返し行われているのか?背景を知らずして、納得できるものでもないだろう。

とりあえず、老婆グラニーは見た目がホラーだし、人間じゃないんだろうなって気はしている。もしかしたら、ムーア牧師と同じように魂の入れ物として生き続けている存在なのかもね。だから、魂を抜き取ることもできる…的な。ホラーだろうと、やはりそのあたりの背景がわからないと納得できなくてモヤモヤする。

ハーディングさんどうした

そもそも、デヴィットをカーラに紹介したのは、カーラの父親であるハーディング博士。彼は、デヴィットの中にアダムという人格がいて、アダムを呼ぶと骨格までもが変化し完全に別の人格へと変わると知らせた。骨格が変わるって言ってたけど、背骨だけだけどね…顔はずっとムーア牧師じゃん。いろいろと雑なんだよね、どうせなら全部変わってくれればびっくりするわ。

ハーディングさんがカーラにデヴィットを紹介したのに、終盤にくるまでハーディングさんは魂を抜かれることなく過ごせている。神を信じないと発言したタイミングが後からだったのかもしれないが、終盤にかけて畳みかけるように魂が抜かれまくっていくので怖い。娘にデヴィットを紹介したはいいが、自分でその治療を試みようとか、研究してみようとか、どうにか過去を探ってみようとかもせず、全部娘のカーラに投げ出して、最終的に魂を抜かれて殺された彼は、実に残念な人物だ。恐ろしさを際立たせるのには一役買ってくれたが、彼はデヴィットとアダムをただ遠ざけたかっただけだろう?魂の抜かれ具合もぬるすぎる。

連鎖する恐怖

最終的に、サミーの魂まで奪ってしまったムーア牧師。カーラがサミーの人格になったところをぶち殺して魂を解放するが、すでに時遅し。今度はサミーの肉体をシェルターとして、すべての魂が引き継がれてしまったのだった…という終わり。ホラーらしく、恐怖のままにラストを締めくくっている。

サスペンスをにおわせておいて、実は完全にホラーだったこの映画。解決する術はなく、ただ耐えるしかなさそうだ。サミーを取り返すためにカーラが体張って殺したムーア牧師の肉体。でも入れ物が変わっただけで、救いようがないなんてひどすぎる。それじゃーこれから世界は神を信じる者たちは生き、信じない者たちはみんなサミーに取り込まれて、母親のカーラは死ぬまでサミーのお世話をし続けるような…そんな感じになるの?この後の状況がまったく想像ができない終わり方をされたので、残念としか言えないんだよね。確かに怖いし、かわいそうだし、もうどうしようもないホラーなんだけど、話に深さはないと思う。グラニーという存在も謎すぎる。何もかもが納得いかない存在ばかりで、「信仰」をテーマとして魂の奪い合いが起こっている割には、キーポイントになる言葉や状況が薄っぺらすぎる。神を信じているか信じていないかなんて、そんな曖昧なポイントで判断されても困るでしょ?信じたいときもあれば、信じたくないときだってあるのにさ。

これはもう深さなんて考えず、ホラーを楽しむってことでいいと思う。それ以上を求める映画ではないだろう。

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