グランド・ホテル形式でパニック映画の典型をみせる、超豪華なオールスター・キャストによる 「カサンドラ・クロス」 - カサンドラ・クロスの感想

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グランド・ホテル形式でパニック映画の典型をみせる、超豪華なオールスター・キャストによる 「カサンドラ・クロス」

4.04.0
映像
4.5
脚本
4.0
キャスト
5.0
音楽
4.0
演出
4.0

この「カサンドラ・クロス」のキャッチ・コピーは、「タワーリング・インフェルノとポセイドン・アドベンチャーを超特急列車に乗せて突っ走らせた映画」というものでした。

まさしくこの映画は、1970年代に大流行したパニック映画(本場のハリウッドではデザスター映画)の典型であり、またグランド・ホテル形式のオールスター映画に他ならず、その点で「タワーリング・インフェルノ」や「ポセイドン・アドベンチャー」や「大空港」などの先行ヒット作品の要素を細かく分析研究して、映画製作のプロフェッショナルたちが、そのエッセンスをかき集めたものに違いないのです。

ロバート・カッツ、トム・マンキーウイッツと共に自ら脚本も書いているジョルジュ・パン・コスマトス監督は、ギリシャ生まれで当時32歳の新進気鋭の若手監督でした。彼がこの自分の映画に対して、「これは『エアポート'75』式のアメリカ映画ではないし、『オリエント急行殺人事件』のような、えせクラシックでもないし、ましてデザスター・フィルムでもありません。そういう要素はありますが、これは、はっきり言って政治的な映画です。『大地震』や『エアポート'75』は重要な映画ではないが、この映画には、非常に政治的な重要性があります」と、かなり気負って力説するのは、パニックの原因が強大国アメリカの細菌を使った生物化学兵器研究所という現実的な暗部であり、また事件を闇から闇へ葬ってしまおうとする権力の"非情な意志"を描いたからでしょうが、そういう設定だけで真の政治映画が完成するわけでもありません。

ポーランドにあるカサンドラ・クロッシング(原題)は、ナチスの元強制収容所のあったヤーノフに通じる大鉄橋であり、かつてその収容所で妻子を殺されたユダヤ人の老人(アクターズ・スタジオの創設者でアメリカ演劇界の重鎮リー・ストラスバーグ)が、列車の客の一人として重要な役を果たすことも事実ですけれども、それはせいぜいスリル、サスペンス、アクションに徹したスペクタクルに、"政治"や"戦争"の影をある程度まで取り入れたことで、他のパニック映画に比べて多少の特色を出した、というくらいではないかと思います。

非常にヘリビジョンという航空撮影の多い映画ですが、まず雪山を超え湖を渡ってカメラは、ジュネーブの世界保健機構(WHO、映画ではIHO)のビルに近接します。そこに過激派ゲリラが侵入して爆薬を仕掛け、見つかって「危険」と書かれたアメリカの部屋に逃げ込んで撃たれます。

その時、瓶が割れて黄色い薬を浴び、一人はやがて死にますが、一人は逃げてしまいます。そして、この逃げた男はジュネーブからパリを経てストックホルムまで行く大陸横断の特急列車に紛れ込んでしまった、というのがパニックの発端です。この黄色い薬は、アメリカが秘かに開発培養していた、呼吸器に非常に感染力の強いバクテリアだったのです。このままでは、ヨーロッパ中が汚染されてしまう-------。

沈痛な表情でジュネーブに駆けつけて来るのが、アメリカ陸軍情報部のマッケンジー大佐(『山猫』『大列車作戦』の名優バート・ランカスター)、捕虜になったゲリラの不思議な病状を診察した女医(ベルイマン映画でお馴染みの名女優イングリッド・チューリン)。

そして、一等車のコンパートメントに乗っている客たちが、これまた実に豪華な配役なのです。高名な精神科医チェンバレン(『孤独の報酬』『ジャガーノート』の演技派リチャード・ハリス)と、彼を追いかけて来た妻のジェニファー(『ふたりの女』『ひまわり』のイタリアを代表する大女優のソフィア・ローレン)、武器製造業の大富豪の夫人(『裸足の伯爵夫人』など往年の大女優エヴァ・ガードナー)と、彼女の若いツバメで実は麻薬密輸の男(『地獄の黙示録』『ある戦慄』のマーティン・シーン)、新婚早々らしい夫婦(『ガラスの部屋』のレイモンド・ラヴロックとリチャード・ハリス夫人のアン・ターケル)、密輸男を追う黒人刑事(O・J・シンプソン)といった、超豪華な顔ぶれなので、もうあまりの素晴らしさに、ため息が出るくらいで、この"グランド・ホテル"形式でさまざまな人間模様が展開していきます。

降ってわいたこの大事件に対して、マッケンジー大佐の取った措置は、徹底した隠密作戦でした。乗客の中にチェンバレン博士がいることを知ると、無線電話で彼を呼び出して、ゲリラの発見を命じると共に、伝染病の発生を知らせ、千人の乗客を収容して検疫する場所を求めると称して、勝手に列車のポイントを切り替えさせて、列車をドイツからポーランドに向かわせます。

途中のニュールンベルクでは、防疫服を着た警備隊と医療班十数名を乗り込ませ、窓もドアも外から密封してしまいます。そして、外に出ようとする乗客はすぐ射殺しろ、と命じるのです。

次々と病人が出てくる列車内のパニックも老若男女と多様です。その救急作業と闘いの間で、チェンバレンとジェニファーの元夫婦がまた関係を見直していくドラマもあるわけです。そして、普通のパニック映画だと、少なくともそこに居合わせる人々は、とにかくその船とかビルとかから脱出しようという目的では一致協力するわけですが、この映画ではそれが敵としての人間権力との闘いの形をとっていくのが珍しい設定だと思います。

カサンドラ・クロスは、第二次世界大戦の戦争直後の1948年以来、使われていない古い鉄橋で、いつこの目もくらむような大鉄橋が落ちるかわからないと、下の人家も移転したような危険なしろものだ-------ということを、走る列車内のチェンバレンはユダヤ老人などの言葉から知りました。そこで、チェンバレンは、列車を止めろとマッケンジー大佐に電話するが、大佐は「安全だ」と答えて無視します。

そして、マッケンジー大佐は女医の忠言も聞かず、ひたすら列車をカサンドラ・クロスに向かわせるのです。この大鉄橋と共に、千人の乗客、ニュールンベルクから乗り込ませた警備隊や医療班もろとも"闇から闇"に始末してしまおうというのが、マッケンジー大佐を直接の代表とする"権力の決断"だったわけです。

密輸男が暴れて無線機を銃弾で破壊して大佐と連絡不能となった後、チェンバレンは警備隊長に列車を停止させろと要求するのですが、権限がないと拒否されます。こうなれば、武力で警備隊を倒さねばならないことになります。そして、激しい撃ち合いの後、その完全制圧が不可能になった時、なんとか鉄橋にかかる前に、せめて自分たちの乗っている後ろ半分の車両を切り離そうと試みるのです-------。

走る列車内のさまざまな人間模様と、ジュネーブの指揮所を動かないで冷然と指令を続けるマッケンジー大佐とのひんぱんなカットバックで、映画のテンポはきびきびしています。そして、ラストのクライマックス。大佐と女医の見守る中で、壁の地図上で列車の位置を示すランプが鉄橋の所で消え、大佐がどこかの偉い人に電話で、"悲劇的な事故"による全員死亡を保証してから、静かに部屋を出て行くのですが、その後、部屋に残った忠実な?部下(ジョン・フィリップ・ロー)が、更にどこかの別の偉い人に、大佐と女医の二人に尾行をつけてあることを報告する電話の声が聞こえるところは、なかなかに冴えていました。

西側の諸国のどこでも処理できない疫病列車を、どうして東側のポーランドが引き受けて抹殺に協力してくれるのか、とか、ポーランドの山奥の河で保菌者を含む千人もの死体が転がっていたらどうなるのだろうか、とか、ドイツ領内のニュールンベルクでどうして米軍部隊によるあんな大規模な列車密封作戦が、"秘かに"行えるのだろう、とか、いろいろ不思議な点もなくはないけれど、このスペクタクル映画の前でそんなことをうるさく突っつくのは、野暮というものでしょう。

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