厳粛な厳しい美しさを持って、キリストの愛と受難の姿を浮彫りにした作品 「偉大な生涯の物語」 - 偉大な生涯の物語の感想

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厳粛な厳しい美しさを持って、キリストの愛と受難の姿を浮彫りにした作品 「偉大な生涯の物語」

4.04.0
映像
4.0
脚本
4.0
キャスト
4.5
音楽
4.0
演出
4.0

キリスト伝を映画化することは、非常に難しいことだと思います。信者用の宗教劇を作る場合は別にして、映画ファンを含む、その他大勢の人々の楽しむ一般劇映画として、これを作る場合には、どうしてもキリストの真の姿は描きにくいような気がします。

それは、彼が神と人間との間に存在するような人物であらねばならないからではないかと思うのです。昔の映画などでは、キリストが登場する時には、顔を見せなかったようです。顔のところを暗い影の中に隠したり、後ろ姿だけを映したり、体の一部分でキリストだとわかるようにしたりで、現実的な容貌を見せないように苦心していたようです。

聖書にはキリストの容貌を説明した部分はなく、後世の人々は、宗教画などに描かれたキリストの像から、そのイメージを持つようになってはいますが、そのイメージに、映画の現実の顔をダブらせることは、キリストへの冒瀆だと考えられていたのです。それが次第に、キリストも人間であり、人間的な苦悩や迷いなどを持った人の子であったという解釈がなされるようになったせいか、戦後の映画では、いろいろなスターがキリストに扮するようになり、真正面からキリストをとりあげた「キング・オブ・キングス」では、かつての若手スターのジェフリー・ハンターがキリストを演じていました。

しかし、キリストのことだけを描くのでは宗教劇くさくなるというので、「キング・オブ・キングス」では、当時のユダヤ民族とローマの圧政的政治との間の争闘という時代的な背景を色濃く出して、それに巻き込まれてしまうキリストの悲劇を描くというスタンスで、一種の歴史時代劇アクション・ドラマの色彩を強く押し出していました。

考えてみると、キリストの生涯や、彼の生きた時代背景には、聖書の中で見るだけでも、大変ドラマティックな挿話がたくさん含まれていると思います。これを面白く作ろうと思えば、いくらでもその素材にはこと欠かないと思います。

例えば、ユダヤ王ヘロデとローマ人の総督ポンティオ・ピラトとの対立。ヘロデ・アンティパスと、その妻となったヘロデアとの不倫な結婚、ベツレヘムの嬰児皆殺しの残虐事件、預言者ヨハネと彼の首を望んだサロメの物語、娼婦マグダラのマリアのキリストへの帰信、キリストに代わって救命される盗賊バラバの件など、いずれも聖書の中にある事柄です。

それらの一つ一つが一本の映画になるような興味深いものを含んでいて、それまでのキリスト劇では、そうした部分を強調したり、拡大したりして、映画の娯楽性を強めていることが多かったのです。この映画は、「陽のあたる場所」「シェーン」「ジャイアンツ」の巨匠ジョージ・スティーヴンス監督が、5年もの歳月を費やして歴史大作としてキリスト伝を描いているということで、まずその種のヤマ場がどのような素晴らしいスペクタクルとして作られているのかと想像して観てみました。

ところが、意に反して、ジョージ・スティーヴンス監督は、この大作では、そうした娯楽的な要素を意識して避けているのです。言い換えれば、彼は歴史大作としての視覚的な大きさはもとより、演出、撮影、音楽、演技のあらゆる映画の技術を傾けて、キリストの人間像と、その愛と受難と、そして復活の奇蹟とによって現わされる神の福音とを、神がかりではない意味での最も崇高な格調を示したものに描き上げようとして、それに見事に成功していると思います。

映画という芸術媒体が持つ機能をフルに活かして、娯楽的ではないかも知れないが、多くの人々が興味を持ち、感動を呼びさまされるようなキリスト伝を作ろうとしたことが、彼の狙いだったのではないかと思うのです。

まず、キリストの生誕を描いた巧みな導入部。"初めに言葉あり、言葉は神と共にあり、言葉は神なりき"のナレーションから、"生命は人々の光なり、光は暗闇を照らせり"という言葉と一緒に、画面の光が蝋燭の光になって、キリストの誕生の産声が聞こえるといった描き方の、簡潔で意味深い導入部なのです。

東方から星を頼りにやって来た三人の学者が、ヘロデ王に対面して救世主の誕生を告げます。その後で、馬小舎の中のマリアとその赤児をたずねあてるのですが、マリアたちは神の啓示によって、ヘロデ王の嬰児殺戮の難を避けてエジプトへ逃れます。ラクダのシルエットが活用され、ロバの背に乗って心細く旅をする親子の姿に、画面いっぱいの空の広がりが生かされたりした場面が素晴らしく美しい。

ヘロデ王の宮殿が、およそそれまでの映画での宮殿の観念を離れて、石造りのガランとした冷たく暗い中に王座の椅子だけが置かれているという装置が、いかにもその時代のそれらしくリアルな感じなのです。息子のヘロデ・アンティバス(ホセ・ファーラー)の時代にもそのまま使われていて、夜は焚火の反射だけが部屋を照らして、人の顔も定かではないという趣向なのです。しかし、彼の時には、その広間の横に女たちがいる部屋があって、灯りの下で女たちが踊りざわめいているありさまが、薄いカーテン越しに広間に透けて見え、その音楽にも素朴な面白さがあります。

一方、エジプトへ逃れたマリアたちは、老ヘロデの死を聞いて故郷のナザレに戻り、そこでマリアの夫ヨセフは大工をし、イエスは成長するのですが、この時代のことは省略されています。すでに世はアンティパスの時代で、洗礼者ヨハネ(チャールトン・ヘストン)が現われて、ヨルダンの河で人々に洗礼を施しながら、やがて救世主が現われることを予言しているのです。

そこへイエスが来て、ヨハネに洗礼を乞うのです。このイエスに扮するのが、イングマール・ベルイマン監督の「処女の泉」や、後年「エクソシスト」に出演することになる名優のマックス・フォン・シドーです。この映画の成功は、ひとえにキリスト役にこの俳優を得たことにあると言ってもいいほど、彼のキリスト的な風格は素晴らしいと思います。

イエスは、自分こそあなたから洗礼を受ける者であるというヨハネの洗礼を受けてから、ひとり荒野に分け入り、高い岩山によじ登って行き、40日間飲まず食わずの試練を受けるのです。この試練によってキリストの偉大な人格が形成されるのですが、この映画では、その最後に洞穴に住む隠者風の悪魔の誘惑を受けるところだけが描かれています。

そして、その男は神を試してみることをそそのかし、自分の忠告を入れれば、思い通りの楽しい生活を保障するとささやくのです。この時、二人の背景に、人工衛星から見た地球のような感じの大きな月がぽっかりと浮かんでいるのが、ひどく不気味で印象的な感じがします。

そうした試練に打ち勝って、里へ下りたイエスは、布教の生活を始めるのですが、まずそれに先立って、十二人の弟子が次々とキリストに従っていくようになります。ガラリヤの海辺で漁師をしていたペテロとシモンを初め、小ヤコブ、アンデレ、ヨハネ、ピリポ、ナタナエル、トマス、取税人のマタイ、それにヤコブ、タダイ、そしてイスカリオテのユダ(デヴィッド・マッカラム)の十二使徒たちです。

当時、TVドラマの「ナポレオン・ソロ」シリーズのスパイのイリヤ・クリヤキン役で大人気だったデヴィッド・マッカラムは、この映画の十二人の使徒の中では、一番大きくクロース・アップされて、役としては一番の儲け役です。しかし、ユダはキリストを銀30枚で売った男で、人類史上最大の裏切り者の烙印を押されてしまうのです。だが、それにもかかわらず、彼がキリストに対しては、最も人間的な愛着を感じていた男であったという風に、この映画で描かれているのが興味深かったと思います。

やがてキリストは、大衆に対して布教を始め、その証として奇蹟を行なうのです。聖書によると、キリストは神の言葉を説き、これでもそれを信じられないかといっては奇蹟を行なっていますが、この映画では、いわゆる自分が奇蹟をやるぞといった風には行ないません。盲目者には見えると信じれば見えるはずだと言い、足が萎えている人には立てると信じて立ってみなさいと言って、立たせるのです。

キリスト自身も何かためらいながらも、超自然の力に期待するといった風に見えますが、それにもかかわらず奇蹟は起こるのです。つまり、キリストが奇蹟を行なうのではないのだという表現の仕方であって、そんなところにもスティーヴンス監督の細かい配慮があるように感じられるのです。

しかも、キリストの福音というものは、奇蹟の一つである復活によって、その歓びと完成が見られるものだということを表現していると思われるのが、第一部の終わりになるラザロの復活と、そしてこの映画の全編の最後となる"キリスト自身の復活"の場面なのだと思います。

ラザロの墓所を高く大遠景で捉え、彼の復活を固唾をのんで見守る人々の顔のクロース・アップとを交互に見せながら、遂に墓所の石の扉が開かれて遠くラザロの白い立ち姿が望まれる、まるで泰西名画の大壁画に見るような壮大な場面に、ヘンデルのハレルヤが重なって復活の歓びを盛り上げていくところは、誰もがその感動と興奮に巻き込まれずにはいられないと思います。

そして、第二部では、次第に大衆の人気と支持を集め始めたイエスが、アンティパスによって捕まえられ、ピラトに引き渡され、遂にゴルゴダの丘で十字架にかけられるのですが、この部分にはユダの裏切り、最後の晩餐、ゲッセマネの園のキリストの祈り、バラバの釈放、十字架を追ってゴルゴダへ歩むキリスト、処刑、復活などの場面が含まれているのです。

ここでは、ジョン・ウェイン、シドニー・ポワチエ、キャロル・ベーカー、パット・ブーンなどの当時の大スターが贅沢な使い方で次々と顔を見せてくれます。そして、随所に見られるスティーヴンス監督の演出の冴えと画面いっぱいに広がる絵画的な場面の美しさと共に、この大スター探しも映画ファンにとっては、クイズ的なお楽しみだと言えるかも知れません。

少しのケレンも見せずに厳粛に壮大に、厳しくキリストの生涯を描いたこの作品は、ジョージ・ステイーヴンス監督のフィルム・グラフィーの中でも、一つのモニュメントを築くものだろうと思います。

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