キリスト教徒の生き方は世界平和につながる - 光あるうち光の中を歩めの感想

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キリスト教徒の生き方は世界平和につながる

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目次

理想と現実

ユリウスとパンフィリウスは同い年で親友でした。ある時からパンフィリウスはキリスト教徒となり、ユリウスにキリスト教徒としての生き方の素晴らしさを説きます。自分の人生を見つめなおし、キリスト教徒の生き方に惹かれていくユリウスは、キリスト教徒のもとへ行こうと出発します。しかし、道中で偶然出会った医師に、キリスト教徒の生き方は欺瞞であり、世俗の生活に没頭すべきだと説得されます。俗世間の生活に戻ると、やはりキリスト教徒の生き方よりも自分の生活の方が良いと思うようになりますが、再びパンフィリウスの話を聞くと、キリスト教徒の生き方に感化されます。最終的には、キリスト教徒となることを選びます。キリスト教徒の人たちが暮らしている所に行った翌日、ユリウスは自分の生涯を虚しく破滅してしまったと感じ嘆きますが、過ぎ去ったことを考えるなと諭され、残りの年月を幸福に暮らしました。

キリスト教徒のような生活が出来たら、それは素晴らしいです。しかし、なかなか正しいと思う生き方ができるものでもありません。こう生きるのが正しい、こう生きたいというものがあるのに、一歩を踏み出せないという人は多いと思います。理想と現実の間で葛藤している人は多いはずです。個人的には、キリスト教徒の生き方が理想的で、医師の考え方は現実的だと感じます。理想を追い求めることが正しいようにも思えるし、現実を見ることも正しいように思えます。理想も現実もどちらも大切です。しかし、理想は文字通り一番望ましいことです。完全に理想通りの人生にはならなくても、理想は理想として常に忘れないようにし、些細なことを少しずつでも実践していくことが大切です。

他人のために生きることで幸せになれる

キリスト教徒の生き方とは、次のようなものです。何も個人の所有と考えず何もかも仲間と共同で暮らす、中には怠け者もいるけれどそういう人ほど大切にしいっそう愛する、食べ物や着るものがなくなったら他の人に無心すると相手は快くそれをくれる、すべてを他人に無償であげて自分が乞食になったとしたらそれは一番立派な生き方、神の意志の遂行が喜びであり、愛が全ての基本、俗世間では財産を蓄えることが幸福、キリスト教徒は与えることが幸福。

もしこの通りの生き方を実践することが出来たら、それは立派な生き方だと思います。物やお金は、たくさん持つほど執着してしまいます。自分のものを所有しないのが当たり前、他人に与えることが当たり前と自然に思うことが出来れば、他人にとってもいいし、自分も穏やかな気持ちで暮らすことが出来ます。他人より得をしよう、他人の持っている物を自分も手に入れよう、そのような気持ちがあるから必死になってお金を稼いで、気持ちに余裕がなくなり、嫉妬したりいらいらしたりするのだと思います。他人に自分の物を与えて本人も幸せになり、与えられた人も幸せになり、その人たちがニコニコしていることでさらにその周りの人たちも幸せになれば、世の中は平和です。自分の物をかき集めるのに必死になっていたら、本人も余裕がなくなるし、周りの人にもいい影響はありません。突拍子もないことは百も承知ですが、世界中の人がキリスト教徒の生き方を実践するできれば、世界平和は実現します。

ユリウスは、お金もあり、仕事も上手くいっていて、公職にも付き、妻と子供がいるのに、自分の生活に満足していませんでした。これは非常に興味深いことで、現実にもこのような人たちは大勢いるような気がします。欲しいものを手に入れた時は喜びますが、徐々にそれが手元にあることが当たり前になり、感謝もしなくなり、また次に欲しいものを模索する。生まれてから死ぬまで、ずっとそのようなことを繰り返すのが人間なのかなと思います。

とある調査で、普段ボランティア活動をする人の方がしない人に比べて幸福度が高いという結果が出たそうです。自分のために何かをしても、幸福になれるのは一瞬のことです。他人のために何かをする人の方が幸福であるのなら、キリスト教徒の生き方こそが正しいということになります。人助けをしたという自己満足かもしれませんが、それでも幸福な気持ちになって、さらに食べ物をもらったり恵みを受けられる人もいるのならいいと思います。

真っ直ぐに生きること

もう一つ、忘れずにいたいキリスト教の教えがあります。人生において大きいものも小さいものもない、ただ真っ直ぐなものと曲がったものがあるだけ、というものです。全くその通りです。重要なのは真っ直ぐであるか曲がっているかだけです。行動とかお金とか社会的地位とか、それらの物は単なる付属品のようなものです。

大きな存在になるためには、才能や運が必要で、どんなに努力しても叶わないかもしれないけれど、真っ直ぐな人間になるかどうかは自分の努力次第で叶えられます。自分の心がけ次第で真っ直ぐな人間になれる、そしてそれは何よりも重要なことです。仮に大きな存在になったとして、それで有頂天になって他人を見下すような曲がった人間にはなりたくありません。だから平凡な、もしかしたらそれ以下の現在の自分自身も卑下しないし、何かで成功した人に嫉妬もしないよう心掛けています。生まれ持った素質も、育った環境も、価値観も、人それぞれです。他人と比較したところで意味がありません。他人と比較すること自体が卑しいこと愚かなことだと認識していても、つい嫉妬してしまうこともあります。特に人として尊敬できないような人が、社会で成功したり音楽やスポーツなどで結果を残したりしているのを見ると、気に食わないと感じてしまいます。それが自分の自然な感情であるのなら、それでもいいのかなとも思いますが、大切なことだけは忘れないようにしたいです。

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