一人の猫飼いとして
別れ
可愛がっていたペットが逝く。
それはどんなに来るなと願っていても、いつか必ず訪れるもの。早いか遅いかの差はあれど、その終わりだけは皮肉にも平等に訪れるんだ。
16年。巷では20年以上生きる猫もいるって言うけど、それでも猫の一般的な寿命としては長い方じゃないかな。
歳を取った猫は、甲状腺の機能が低下する場合があるんだってね。
老いて来ると、だんだん水を飲む量が増えるって聞いた事はあったけど、それが甲状腺の病気だったなんて。
しかも、はた目には元気いっぱい、健康そのものに見えているのに、それすらも症状の一つだなんてなかなか気付きにくいよ。
そして獣医さんも色々で、同じ症状を目にしても、どのような対処をしていくのかは一人一人違うんだ。
必ずしも最先端な医療が、ペットとその飼い主を救う訳じゃない。
強過ぎる薬で苦しい思いをさせるよりは、効果はゆっくりだとしても、負担の少ない治療の方が良い場合もあるんじゃないかな?
ただ、「もっと早くからこの治療をしていれば」「最初からこっちの病院にかかっていれば」と後々悔やむ事の無いように、セカンドオピニオンは必要だったのかなって思う。
うちにも10歳を過ぎた猫がいるんだ。だからこそ、決して他人事ではないし、まだまだ先の事として逃げずに、ちゃんと向き合わなくてはいけないんだと思い知らされたよ。
悲しみとの向き合い方
冷たく硬くなってしまった、もう2度と起き上がる事のない身体。最後の瞬間を見守れた側も、そうじゃない側も、同じように苦しい事には変わりはないよね。
でも、泣いても叫んでも、どんなに辛くとも、いつかはその思いごと受け入れなくちゃいけないんだ。
手のひらに乗るぐらいの子猫だったのが大人になり、やがて老いて死を迎える。時間はいつでも前にしか進まず、だからこそ日々が積み重なり思い出も増えてゆく。その一連の流れを、誰も覆す事なんて出来ない。
変わる事を拒み、いつまでまも同じ場所に留まり続ける事は苦しい。流れをせき止められた水のように、いつかは暗く淀んでしまうんだよ。
時の流れは無情に思けれども、時間が流れ続けるからこそ、穏やかな気持ちで過去を振り返る事が出来るようにもなるんだね。
長い散歩の途中。自転車に揺られ、ゆずは何を思っていたのかな。きらきらな陽射しの中を、軽くなった身体でころころと転げ回っていたかな。動く事のない自分の亡骸を、知らない猫だと思い威嚇していたかも知れないし、気持ちのいい天気だねと、頭を足元にぐんぐんと擦り付けていたかも知れない。
目に見える部分以外の所に、きっと救いや癒しは存在するんじゃないかな。他人に「そんなものは空想に過ぎない」と笑われたとしてもね。私はそう信じてるよ。
新しい景色
老いた先住猫の為に探した住まいに、新しい家族がやって来たよ。猫にもそれぞれ遊び方の好みや個性があるから、柱や床の傷も、これまでとは違うパターンで付けられてゆくんだろうね。
少しづつ大きくなってゆくちびっこ2匹を、ゆずはどこからか優しい眼差しで見つめているのかな。
人間はどうしても先に過ごしていた動物に申し訳なく感じてしまいがちだけど、亡くなった動物達はきっと、笑顔で過ごしている飼い主が好きなはずだよ。新たに家に来た動物を通して、かつてのペットを見ている部分があったとしても、それは悪い事なんかじゃないんだ。そんなに自分を責めないで欲しい、いつか日々の積み重ねの中で、優しく統合される時が来るだろうから。その時に初めて、亡くなったペット達は安心して空へと還ってゆけるのかも知れないね。
なかなか完全に悔いの残らない飼い方、というのは難しい所もあるけれど。それでも、私も家の猫達と過ごす時間を今まで以上に大切にしてゆきたいな。
最後のその時が来るまで、ね。
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