歴史的タブーに切り込みながら、壮大なスケールで描かれる親子の愛 - 消えた声が、その名を呼ぶの感想

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歴史的タブーに切り込みながら、壮大なスケールで描かれる親子の愛

4.54.5
映像
4.0
脚本
5.0
キャスト
4.5
音楽
4.5
演出
4.5

目次

三部作完結。そこに託した思いとは

この作品が描くのは、ヨーロッパ近代史上最大のタブーと言われるアルメニア人虐殺だ。メガホンをとったのは、コメディ映画「ソウル・キッチン」で新たな魅力を開花させたファティ・アキン。監督自身がトルコにルーツを持つドイツ人であり、これまでもトルコとドイツを題材にした作品を撮ってきた。

そんな監督がライフワークとしてきたのが、「愛、死、悪に関する三部作」である。「消えた声が、その名を呼ぶ」は、2004年発表の「愛より強く」、2007年発表の「そして、私たちは愛に帰る」に続く、三部作の最終章に位置づけされる。この最終章で、なぜ監督はこの歴史的タブーを描いたのか。そこに秘められた思いとは何だったのだろうか。

アルメニア人虐殺の背景

虐殺が起きたとされるのは、第一次世界大戦中のことだ。少数民族であったアルメニア人は、共同体として政府と共存していた。しかし西欧との交流が盛んになると、カトリックへ改宗する者や民主主義に目覚める者が増え始め、イスラム教徒との間に軋轢が生じ始める。露土戦争以降、アルメニア人の中に独立の動きが見え始めると、オスマン政府との間で何度も衝突が起こり、その後の第一次世界大戦によって対立構造は決定的なものとなる。

この作品の主人公である鍛冶職人のナザレットも、金持ちの客を妬んで料金をふっかけたことをすぐに懺悔しに行っており、敬虔なカトリック教徒であることがわかる。また、強制労働を強いられているときに、憲兵が「イスラム教に改宗すれば自由にしてやる」と持ちかけていることからも、この対立に宗教が大きく関わっていることが感じられる。

ナザレットはこの時、改宗を申し出た者たちを裏切り者だと軽蔑するが、その後の壮絶な経験が、彼の中にある神の存在を崩していく。食事を目の前にして、祈ることも忘れ貪るナザレットの姿は、決して宗教を否定しているわけではなく、政治も思想も宗教も、命を上回ることはないのだと訴えているように見えた。

「声」がつなぐ旅路

主人公は喉を切られ、声を失う。怒りも悲しみも声にはならない。そんな彼を見ていると、今までどれだけの声が、時代にかき消されてきたのだろうと思う。世界には声にならなかった声が、届かなかった声が溢れているのだと思い知らされる。

「声」にまつわる印象深いシーンのひとつが、人々がチャップリンの無声映画を観るシーンだ。これもまた、声にならない声である。しかしこちらは人々に笑いをもたらす。終わりのない旅の中で疲弊しきった主人公も、チャップリンの声なき声に思わず笑いがこみあげる。その表情に胸が締め付けられ、笑えることの素晴らしさを痛感するとともに、チャップリンの偉大さを改めて感じるシーンであった。

もうひとつ「声」といえば主人公の妻の「歌声」がある。妻のシーンは非常に少ないが、その歌声が効果的に使われており、彼の旅はこの歌に導かれているかのようだった。特に砂漠で倒れた主人公のもとに、歌声とともに妻の幻が現れるシーンは、白い砂漠をキャンバスにした一枚の絵画のように、幻想的で美しく、印象的だった。

時代に埋もれた、親が子を思う純粋な愛

ヒトラーが手本にし、「20世紀最初のジェノサイド」とも言われるアルメニア人虐殺だが、100年以上経った今でも、その見解は国や立場によって大きく分かれている。アルメニア側が組織的に行われた虐殺であり、犠牲者の数は150万人以上だと訴える一方、トルコ側は戦闘の中で偶発的に起きた悲劇であり、犠牲者も数十万人であると反発している。

戦争は終結してもなお、世界に消えない傷跡をいくつも残す。歴史の答え合わせをするには、その時代に行くしかない。それができないのに、私たちは答えの出ない論争を繰り返す。そこには政治的な駆け引きなど、様々な問題が絡み合っているもの事実だ。

主人公は時代の波に翻弄され、8年に及び地球半周の旅をすることになる。彼を動かしたのは娘に会いたいという、純粋で、とてもシンプルな、愛である。人類の歴史は争いの歴史であり、今もなお私たちはその歴史を積み上げている。しかしその数えきれない爪痕の陰には、数えきれない愛の物語があったはずだ。監督は歴史の問題提起をしたかったわけではなく、そんな時代に埋もれた愛をすくいあげたかっただけなのかもしれない。

壮大な旅路の果てに私たちが見たものは

ドイツ、キューバ、カナダ、ヨルダン、マルタの5か国に渡る35mmフィルムでの撮影は、主人公の旅のように7年の歳月がかけられた。この監督の壮大な挑戦は各国の巨匠たちの心をも動かし、マーティン・スコセッシ、ロマン・ポランスキー、アトム・エゴヤンなどがそれぞれアドバイスを送り、作品の完成に協力をしている。

アルメニア人虐殺という題材を、トルコ系ドイツ人の監督が取り上げたことには、やはり非常に大きな意味がある。それは世界中で今もなお続くたくさんの争いに、波紋を広げていくことだろう。そして私たちは主人公の純粋な愛に触れ、誰もが自分の中に持つ愛を、再確認するのだ。

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