人間を取り巻く様々な絆とはかない命 - ツナグの感想

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ツナグ

4.504.50
映像
4.00
脚本
5.00
キャスト
5.00
音楽
4.00
演出
4.00
感想数
1
観た人
1

人間を取り巻く様々な絆とはかない命

4.54.5
映像
4.0
脚本
5.0
キャスト
5.0
音楽
4.0
演出
4.0

目次

誰もが求めるであろう「ツナグ」の存在

「ツナグ」は,生者が会いたいと願う死者と1度だけ合わせることができる特殊な能力。本作は,松坂桃李演じる平凡な男子高校生「歩美」が,樹木希林演じる「ツナグ」の能力を持った祖母の「アイ子」からツナグを継承していく過程を描いた物語である。巫女が霊の魂を口寄せし,自身に憑依させてその意思を伝える「イタコ」にも似ているが,「ツナグ」によって現れる死者はそのままの姿で現れるし,生者と話し,触れ合うこともできる。身近な者の死を経験した誰もが一度は願うであろう「死者ともう一度だけでも会いたい」という理想。この理想を叶えることができる世界を本作では描いている。これを見る私たちが興味を惹かれないわけがない。現実ではあり得ない世界を,今の自分と重ね合わせながら深く考えてしまう映画,それがこの「ツナグ」なのである。

ストーリーの展開も,また私たちの心を惹きつける流れになっていると感じる。劇中に現れるツナグを求める人々は,それぞれ家族(母),友人,恋人と違った関係性を持つ人と会うことを望む。もちろんその人々と私の境遇が全く同じなんてわけではないのだが,そのエピソードを見ながら自然の家族,友人,恋人のことを考えてしまう。人生においてつながりの深いこの3つのカテゴリに分けて進められるストーリーが,さらに私を惹きつけた。

人はなぜ死者に会いたいと願うのか                

歩美が最初にツナグを経験するのが,遠藤憲一演じる「畠田」が亡くなった母親である八千草薫演じる「ツル」に会いたいという依頼である。不器用な畠田は,ツルの死をめぐって家族と仲違いの状態になってしまい,過去の自分の行動に不安と後悔を抱いていた。畠田はその答えをツルに求め,そして,謝罪をしようと考えていたが,ツルは息子の不器用な優しさに生前から気づいていた。このツルとのツナグを経て,畠田は変わっていく。

どこかで聞いたような話であり,予想通りの展開ではあったが,それでも心に染みた。仲違いしていた家族にもひとこと謝ることができた畠田。「ツナグがなくても,謝ることくらいできたのではないか?」と思う人もいるかもしれないが,責任感が強く不器用な畠田にとっては,大きな問題だったのだろう。この1歩は決して歩幅の広いものではないだろうが,確実に次の1歩につながる。畠田は確かに歩き出したのだ。人は現実社会では解決できないような問題にぶつかってしまったとき,死者の教えや言葉に答えを見出そうとするのであろう。

女同士の友情の行き先

後にツナグを求める橋本愛演じる女子高生の「嵐」は,大野いと演じる「御園」とは親友。同じ演劇部で練習に日々励んでいた。二人は歩美の同級生でもある。二人の状況に変化が現れたのは卒業公演の配役決めでの主役争いをしたことがきっかけだった。そのいろいろな過程で,嵐の中には「御園さえいなければ」という感情が芽生える。正直ここまでのシーンは見ていて気持ちが悪かった。決して不快で見たくないというわけではないが,現実にもありそうな展開で,女同士の友情の怖さを思い知らされた気がした。

御園を恨んだ嵐は,ケガをさせようと仕掛けをつくる。その翌日,御園が交通事故で死んでしまう。そして利己的な理由を持って,嵐は御園に会おうとツナグを求めるのだ。何とも怖い話である。急にサスペンスな展開が待ち受けているのかもしれないと一瞬よぎったほどだ。いや,捉え方によっては最後まで怖い展開だったのかもしれないが,少なくとも私には,その後の展開が女同士の友情の曖昧さがよく表現されたものだったように感じた。

「道は凍っていなかったよ。」

ツナグで御園は嵐に直接会えるにもかかわらず,わざわざ歩美に伝言を頼み,面会時間後に嵐に伝えたこの言葉。これは作品中で,最も重い言葉のひとつに入ると私は思う。ツナグでの面会中に,御園が自分の仕掛けた罠のことを知らないと判断した嵐は,そのことを御園に告げないまま,お互いに楽しい思い出話をしていた。しかし,この伝言で嵐は「嵐が御園を陥れようとしていたことを御園が知っていた」ということに気づく。この伝言は,ツナグによって現れた御園が歩美と話した際に,歩美のことが好きだった御園を,さらに傷つけるような言葉を嵐が発していたことを知ったと聞いたときに,御園が歩美に伝えてほしいと言った伝言である。この伝言を聞いた嵐は泣き崩れ,「もう一度会いたい。」「歩美に消えるまで御園と一緒にいてほしい。」と伝える。嵐は,御園が自分の悪意を知っていたにもかかわらず,ツナグの時間に楽しい思い出話のみをしてくれたことを知った。そして,自分が御園に告白できず,謝れなかった自分を攻めて後悔と深い心の傷を負ったのだ。

この伝言の意味は何だったのだろうか。捉え方によっては,御園が死後もなお自分を傷つけた嵐へ,深い心のダメージを負わせようとしたものとも判断できる。または「自分の死が嵐のせいではない」と伝え,嵐に前を向かせるものだったものかもしれない。

私はその両方の意味が,この言葉にあったのではないかと感じる。部活のライバルであり,恋のライバルでもあったが,紛れもなく親友だった二人。その複雑な心情と関係性がこの言葉に表現されているのではないだろうか。

認めたくない現実と向き合うということ

日々過ごす中で,認めたくないことや自分にとって都合の悪いことは案外たくさんあるものだ。それでも自分で選び,生きていかなければいけない。

佐藤亮太演じる「土谷」は,プロポーズの直後に失踪した恋人「きらり」に会うため,ツナグを求めた。土谷が回顧していく出会いからプロポーズに至るまでの二人のエピソード。桐谷美鈴演じる「きらり」は,若くもたくましい女性で,そのまっすぐな性格が土谷の心を掴んで離さなかったようだ。7年間失踪している彼女の死を感じ,初めはきらりに会いたいと願いながらも,約束の時間の直前になって「会うのが怖い」と,会うことを拒否する土谷。ツナグできらりに会うということは,もうその命が現世にないということの証明なのだ。この土谷の感情の矛盾は,愛する人がいれば誰もが共感し,心を苦しめる場面だろう。

歩美の説得もあり,最後には会うことを決めた土谷。土谷を想い,前に進めと言うきらり,きらりを心に留め,一緒に生きていくと誓った土谷。その想いは決心して会えたからこそ,得られたものだった。伝え合えたものだった。認めたくない現実は確かに存在する。しかし,誰かに助けられながら,試行錯誤して本当に大切なものに気づけたとき,どんな悲劇も乗り越えることができるのではないだろうか。

命の重さとはかなさが生者と死者の心を強く結びつける

「命の重さ」は,それを感じ取る人の心によって違うだろう。しかし,その想像を超えた「命のはかなさ」は,確かに平等に存在していると思う。もしも現実に,自身の身近な人間がはかなくもその命を散らしてしまった時,私たちはどう思うだろうか。昨日まで一緒にいた,あるいは元気にしていた大切な家族が,友人が,恋人が,今日からもう永遠にいないということを,明瞭に想像できるだろうか。

私も本当の意味でそれができたことは今までなかったが,この「ツナグ」に関わった人々のストーリーは,私の頭の中にひとつひとつ段階を踏んで,より明瞭に命の大切さを描き出してくれたと思う。ツナグの存在が生者の願いを叶え,死者は生者を前進させていった。

そう考えていくと「ツナグ」がない現実社会では,永遠に生者の想いは死者に伝わらず,死者の願いは生者に伝わらないのだろうか。…いや,そんなことはない。そのことを,最後まで会いたかったはずの父や母に会わないという選択をした歩美が教えてくれたように思う。死者と生前に一緒に体験した思い出や,与えられたぬくもり,伝え合った様々な想いは,決して消えることはない。綺麗事だと言う人はもちろんいるだろうが,命のはかなさと大切さを忘れずに日々過ごしていれば,伝え合っていれば,その答えは見えてくるのではないだろうか。ツナグが存在しなくとも,自分次第で,この世にいない大切な人と心の中で会って話せるはずだ。そこに存在していなくとも,前を向くメッセージを受け取ることができると,私は思う。

生者の想いは死者に,そして死者の想いは私たち生者に,確かにツナがっていくと信じていきたい。

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