当時のいじめの問題を背景に強く生きることを説く
自己中がいじめを生む
いじめを生むのは自己中心的な考え方がエスカレートしたときであると言えます。愛海のように、自分が幸せならそれでよく、それに害なすものはすべて悪であるとするのは、完全なる悪と言えるでしょう。でも誰でもそういった考え方に陥ってしまう可能性は持っていて、自分が幸せであるために・辛さに立ち向かわず逃げるために、時には相手を傷つけることや悲しませること、裏切ることがあります。これは人間であれば避けられないエゴであると思いますね。その気持ちと理性を天秤にかけ、人としてどうあるべきかを問い続けている人であれば、いじめて自分の優越感のエサにするなんてことはできないはずなんですね。だから、最終的には愛海も自分で自分にケリをつける人間になった。だから、何が生きていくために大切なのかにいつ気づくことができたかっていうのが、思考の成熟の差になって、加害者になるか被害者になるか傍観者になるか救世主になるか。そういったものが決まるんだろうなと思います。できるだけ辛い思いはしたくないけど、辛い思いをしてやっと気づけることもたくさんあるのが社会です。相手の立場に立ち、たくさん考えて、迷いながらも進んでいくことで、自分の道はいつの間にか作られていく。だから、どんなにつらい状況にあったとしても、そのままにせず、見ないふりせず、少しずつ進んでいけばいいのだと思います。時には理不尽な人間によって自分が脅かされていると感じることがある。そういうときは、自分から遠い人の意見を聞き、感情を置いておいて、客観的に俯瞰することが必要でしょう。いつでも世界はそこだけじゃありません。近くの人間だと情が移って正確な判断ができないことがある。自分の弱さをさらけ出せる場所を持ち、自分のダメなところを認めること、どうしていくかを前向きに考えていくことをすれば、自分を苦しめるものと対峙し根本的な問題の解決に挑めるのではないでしょうか。
立場の逆転はいくらでもある
歩は中学校の親友を本当に大切に想っていた。あなたと同じ高校に通いたい。その気持ちだけで勉強をがんばっていた。なのに、はじめ追い越そうと思っていた背中が、いつの間にか自分の後ろに下がっていて、歩はそれに気づくことができなかった…受験の中で、成績が良ければ合格し、悪ければ不合格になります。秀才が受験で落ちこぼれるのもよくあること。今まで勉強していなかった奴らが、ちょっと本気を出せば普通に追い抜かれることだってあるんです。そうすると、はじめに成績のよかった優等生の秀才は、悔しくてしょうがないんですよね…ずっと勉強がんばってきて、大してできなかった人に教えていたのに、教えていた人に追い抜かれて、自分は夢をかなえられなくて…でもそれは、相手が悪いんじゃないし、自分の力が足りなかっただけ。大切な友達のほうががんばっただけ。認めたくなくても、それが事実なんです。こんなふうに親友が終わってしまうのは、悲しすぎですね。歩はすっかり疑心暗鬼の塊みたいな高校生になってしまいました。
こういうふうに友達ってガラッと変わったりするんですよね。何があっても、大丈夫。そんな関係なんてないのかもって思ってしまいます。でもそれは、親友も、歩も、やっぱり自分のことしか考えてなかったってことなんですよ。相手の気持ちになって考える。これさえできれば、たいていのいじめって起きないと思うんですよね。
話し合う余地を持つことが解決への糸口
間違っていると気づいたら、気づかせてもらえたら、一度立ち止まり、よく考えて、敵対するものと話し合うことが必要でしょう。いつでもなんでも自分の意見がすべて正しいなんて言う世界は絶対にない。どんな考え方があったとしても、何も否定されるべきじゃないし、理解されるべきです。あ、もちろん、相手の傷つけるもの・命に関わることは全部却下ですよ?そこは人として避けなければならないことです。人のうわさは当てにならないし、自分の目で見て、自分で判断することをしなければ、何が正しいのかも正しくないのかもわからないし、自分がどうしたいかも全部人任せになってしまいます。だから、歩みたいに、自分が笑って選べる選択肢・未来(みき)が笑って選べる選択肢を、選んでいくことが必要なのでしょう。
国だって、一生懸命話し合ってるんだしね、外交をさ。もちろん、汚い仕事もあるかもしれない。ただのアピールかもしれない。実際にはそこに愛はないのかもしれない。どうやったら共存できるのかを決めることは大切だと思います。
歩が必死に耐え、未来(みき)とともに歩もうと決めていじめに立ち向かったとき、傍観者の中から園田くんという助け船が出されました。また、どんどん立場が変わってくるにつれ、クラスの男子を中心として、愛海が追い詰められていく展開に変わっていきます。いつでも自分の天下であり続けることはない。ただ、こんなふうに助け船が出されることはとても稀で、傍観者は自分に被害が来ないように決して表立って行動はしません。それでも、自分の芯を強く持ち続けることができるのか?これで未来が決まってくるように思いますね。
自分を傷つけることはやめよう
頻繁に登場する歩のリストカットのシーン。一時期、リストカットをする若者のニュースが取り上げられた時期がありましたが、まさにライフはその時代に沿った作品であると言えます。まだSNSによるいじめが発達する前の、直接的で陰険ないじめ…醜いね…なんでリストカットすると、すっと気持ちが楽になるんでしょう?流れていく血を眺めていると、全部が水に流れていくと錯覚する…そんなことを歩は言っていましたが、自傷行為は、何にも変換できない心の痛みを、自分の体を傷つけることによって得ようとするものらしいです。なんかまさに、って感じですよね。歩はどこにも悩みのはけ口がありませんでした。そこでリストカットに走るしかなかったんだなってわかります。しかし、未来(みき)と出会うことで全部がポジティブな行為に変わっていきました。あんなにリストカットに戻りそうな自分と闘っていたのが、いじめと直接戦える人間になっていく。その姿は本当に勇気がもらえるなーと思いましたね。どの年代だって、いじめだったりどうにもやりきれないことがたくさん転がっているものだから、それを悲観的にとらえず向かっていける人間になりたいなと思わせてくれるような物語だと思います。
最終的には親や教師による
歩がもし親ともっと早く話ができていて、戸田先生が佐古なんかと付き合わないまっとうな先生だったら、こんなに捻じ曲がって誰かが誰かを傷つけるまではいかなかったかもしれません。誰もが、大切な相手を見ているようで見ていない。それが悔しいなと思ったし、自分もそうかもしれないと思えてくる。だから、これからはそんな判断はしないように、話ができる親になりたいと思うし、そんな環境をつくる人間にはなりたくないと思いますね。
だいたい、佐古の親だって、愛海の親だって、あんなんじゃなかったら子どもはそんなにねじ曲がらなかったじゃないですか。全部、当てつけみたいだし、ストレスのはけ口になっていただけ。だから、全部はそういう社会がいけないんだなと考えさせられます。そうさせないように誰かが声を出さなきゃない、黙殺されることのないように強くあり続けなければならない。それはかなりハードルが高いし、やっぱり各家庭、各学校の方針とやり方が子どもには大事だなーと再認識させてくれました。いじめなんかよりも、もっと有意義に辛いことを経験させてあげたいものです。
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