映画とは
好きなもののために
この物語の主人公であるヤクザの組長武藤(國村隼)、その武藤と敵対関係にある池上(堤真一)、武藤の娘で一度は女優の夢を閉ざされたミツコ(二階堂ふみ)、ミツコの母であり、組長の妻のしずえ(友近)、ただそこにいただけで次々と事件に巻き込まれてしまう橋本(星野源)、いちいちうっとうしさを感じるほどのロマンチストで映画馬鹿の平田(長谷川博己)。
脚本の肝となるのはこの6人です。最初はそれぞれの事情を抱えていた点と点のような存在でしたが、物語が進むにつれて次々と巻き込まれ、一つの線になるように複雑に関わっていきます。その関わり様が面白く、とてもバカバカしくもあり、この映画の一番の見どころでした。その6人に振り回される脇役たちもいい味を出しています。
その登場人物を繋ぐものが『映画』。つまり、「地獄でなぜ悪い」は『映画』のための映画なのです。その『映画』に繋がっていく理由も各々ですが、大体くだらないです。くだらなくて、面白い。ある者は妻のために、ある者は一目惚れの相手のために、ある者は自分の欲のために。そこがリアルだと感じました。
ラストに向かっていくにつれ登場人物はほとんど死にますが、決してバッドエンドではないと思います。好きなものを見つけ、好きなもののために死んでいく。そうやって6人が奮闘する姿には潔ささえも感じました。生身の人間らしい、命を賭けて戦っていくかっこよさを、単純に羨ましくも思えてしまいます。一見中身のないコメディのような映画ですが、いろいろ考察してみると意外と深いのかもしれない、そう思う映画でした。
狂っていて、どこか愛おしい人物たち
一見普通に見える人もいますが、脇役も含め登場人物全員狂っています。狂っているベクトルはそれぞれに違いますが、とにかく頭がおかしいことには違いありません。でも、なぜか魅力的にみえる部分があったり、憎めなかったりするんですよね。それはどこか人間的な部分があるからかもしれません。
武藤は言わずもがな、ヤクザの組長という立場であり血も涙もありません。人は平気で殺すし、周りの人物を振り回してしまうし、現実にいたらまず関わりたくない人物ナンバーワン。見るからにやばい人です。でも、間違ってはいるけど、妻のために娘のために、必死で行動に起こす姿はかっこいい。
対する池上は、約10年前に出会ったミツコに一目惚れしています。まだ幼い子供に、しかも敵である武藤組の娘に恋をしてしまうなんて…と思うけれど、女に振り回される男の典型というような存在です。女に、和服がいい、と言われたら和服を取り入れる。組の抗争より、ミツコに気をとられてしまう。男のどうしようもなさ、馬鹿さを堤真一がコミカルに演じていてどこかかわいくみえてしまう、そんなキャラクターです。
しずえは冒頭からぶっとんでいます。街中で包丁をもって敵を追いかけるという、さすが武藤の妻だ、と思わせるシーン。登場回数はそこまで多くないものの、この存在ありきで物語は進んでいきます。元はと言えば、しずえが起こす事件がきっかけで、ミツコは芸能界での夢が断たれてしまいます。でも、刑務所に入ってもミツコの映画を楽しみにしている姿はまさしく母親。どんな親子でも親子には変わりないのだと思い知らされます。
その娘のミツコ。キラキラした子役かと思いきや、血で覆われた床を綺麗に滑るシーンで、ああ、あの親子だな、と。子どもながらに肝が据わっていて、口が達者。でもそんなミツコにも思春期の女の子らしい悩みもあります。あの美しい顔とは裏腹に、「本当の愛とは何か分からない」と言った彼女はどこか、普通の人生を歩みたかったのではないかと思わせる影もあり、その二面性がとても魅力的です。
そんなミツコに惹かれてしまうのは、通りすがりの橋本。一番一般人に近い感覚を持っている彼もまた、テレビを見て惹かれたミツコから文字通り逃れられなくなってしまいます。普通の人なら逃げてしまうところなのに、なぜか逃れられない。妄想チックで全然頼りないけど、いい奴。そんな橋本がラストに向かっていくにつれ、少し成長する姿はちょっとかっこよかった。こんな人だから、どこかミツコも惹かれる部分があったのだろうなと思いました。
そして、この映画のキーである平田。実はこの映画で一番やばい奴は彼なんじゃないかと感じました。最後の、テープを抱きながら勝ち誇ったかのように駆けだす平田。「生涯に残るいい映画を作りたい」、その残酷なほど純粋な思いが、好きなものを追い求めた結果なのでしょう。自分が信じる道は絶対で、何かを犠牲にしても自分の信念は曲げない。馬鹿以外の何者でもないですが、本物の馬鹿に勝るものはいない。まさしく『好きに勝るものなし』。平田を通して園子温監督が一番表現したかったのはこれだと思います。
10年以上温めても描きたかったもの
園子温監督の作品はいわゆる食わず嫌いで、重い、グロいイメージがあったのでなかなか進んで鑑賞しようと思いませんでした。でも、俳優陣が主役級揃いで豪華なのと、この作品は園子温が10年以上実写化に向けて温めてきた企画であることを知り、そこまで撮りたかった作品なのだからどうせならこの作品から観てみよう!と思って手に取ったのがきっかけでした。
実際に鑑賞して、少しイメージが変わりました。ここまでユーモア(といってもブラック寄りだが)を持ち合わせていたのだと発見です。他の作品も観てみたくなりました。
ではこの『地獄でなぜ悪い』で10年以上温めても描きたかった世界観は一体何なのか。終始めちゃくちゃで、この作品を通して何が言いたかったのか考えるのも邪道な気はしますが、とにかく『映画って最高!』の一言に尽きるだろうな、と。ある意味自己満足の世界。ただ好きな世界観を好き勝手にやってみたかったのだと思います。そうして描いていく上で、『映画』を監督なりに解釈した結果を盛り込んだ。そう私は受け止めました。
例えば、劇中にでてくるひっそりと佇む寂れた映画館。約10年後には廃館してしまいますが、それもまた現在の映画界を取り巻く状況を嘆いているように感じました。現代は映画館での上映が終わって割とすぐにDVDやBlu-rayとして発売される。お金をかけずに簡単に映画を観ることができる。そしてすぐに消費されていく。でも、それでいいのか?そんな現状に一石を投じたかったのではないか?と思わせるシーンもありました。だからこそ最後の最後に、廃館した映画館を賑わせ、出演者をスタンディングオベーションで迎えるラストシーンを入れたのだと思いました。
そして、園子温が日頃から言いたいことをキャストに言わせているなというのが素直な感想。社会への反骨精神、ビジネス目的でつまらない映画を作っている監督や、日本の映画市場に対する皮肉のようなセリフが印象的でした。
あとはもう、「俺は映画がただ好きだ。だから撮っているだけだ。考えるより、感じてくれ!」と、この映画の結末や受け取り方を観客に委ねている印象を持ちました。
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