リアルとファンタジーのサジ加減が絶妙
目次
ベストセラー小説が原作というプレッシャー
当作品は、大ヒットしたミステリー小説が原作で、大ヒットした映画のテレビドラマ版という、大成功が約束されながらもハイクオリティであることを視聴者に期待された作品です。
しかも原作・映画版とは違う結末にするという制作方針で、現場のプレッシャーは相当だったはずです。
こういった作品の場合は、大抵は大コケするか大ヒットするか両極端な結果になりがちなのですが、実際のところは、どうだったのでしょうか?
結論から先に述べると、素晴らしい作品となりました。
好評を博して続編が作られシリーズ化しました。
では、なぜここまで人気となったのか。
さまざまな理由はありますが、ここでは『リアルとファンタジーのバランスが絶妙だった』ことに注目したいと思います。
リアルとファンタジーのサジ加減が絶妙
まずはじめに、このドラマ(原作小説)はフィクションです。つまりウソであり、作り話なわけですが、そもそもフィクション作品というのは、この作品に限らず、ウソのサジ加減ひとつで名作にも駄作にもなり得ます。
たとえば、リアル過ぎてもエンターテインメントとして成立しません。
超一流の医療チームをドキュメンタリーのように追いかけても、それはそれで面白そうな気もしますけど、案外地味で毎週観るような作品にはならないでしょう。
だからといって、荒唐無稽なファンタジーにしても今度は感情移入できません。
やはり、誰でも一度くらいはお世話になったことのある病院だからこそ、連続殺人が行われていることに恐怖し興味深く視聴できるのです。
チームバチスタの栄光は、このリアルとファンタジーのサジ加減が絶妙でした。
具体的には、破綻のない世界観の構築、専門知識と細部まで作りこまれた舞台。
で、ありながら、「この作品はあくまでエンターテインメント作品である」と、視聴者の潜在意識に語りかけるような、キャスティングと演技。
おそらく視聴者は無意識的に無自覚に、「これは現実にありえそうな話だな」という気持ち60%~70%、「でもまあテレビドラマだから」という気持ち40%~30%で視聴していたのではないでしょうか。
だからこそ、以下に記すリアルな作風とミステリー作品の相性の悪さに目をつぶり、野暮なツッコミを入れることなく楽しめたのだと思います。
根本的な問題、賢い犯人はそもそも捕まらない
当作品は、乱暴にまとめると「超エリート医師が集まった密室で、そのなかの誰かが連続殺人を行っている」という、医療現場で知的犯罪が行われる恐ろしさを描いたミステリーです。
なるほど面白い設定ですが、面白い作品に仕上がるまでには落とし穴がいっぱいです。過去にさまざまな作品がこのような知的犯罪を扱ってきましたが、大抵は「ウソくさい」と笑われて、この作品のような没入感は得られなかったことと思います。
では、なぜウソくさく思われるのか。
それは高度な知能を持った人物――しかも経済的にも社会的立場にも恵まれているという――そんな人物は、そもそも犯罪をおかさないのです。
たとえ犯罪をおかしたとしても、発覚するようなミスはしないし、逮捕されるようなこともありません。なにしろ高度な知能を持っていますから。
と、少なくとも視聴者には思われています。
だからウソくさく見えてしまう。
では、なぜ当作品はウソくさく思われなかったのか。
それは「激務の連続で精神状態がボロボロ」という理由付けが絶妙だったからです。
たとえば、徹夜が続くと判断力が鈍るという経験は、誰しもあるかと思います。この作品の医師たちは、たしかにエリートで優れた頭脳の持ち主ですが、そんな状態がずっと続いています。そういった激務や悲惨な労働環境をしつこく描写することによって、「これでは、いつミスをおかしてもおかしくない」と、視聴者に思わせることに成功しているのです。
もちろん、ここでいう「ミス」とは犯人が逮捕されることですが、当作品では「医療ミスが起こってもおかしくない」と上手くミスリードを誘っています。
とはいっても、そんなアホな、というツッコミも当然あるでしょう。
しかしこの作品のテイストは、「これは現実にありえそうな話だな」が60%~70%、「でもまあテレビドラマだから」が40%~30%です。
この絶妙な作風のお陰で、大げさな疲労の演技も誇張された劣悪な労働環境も、鼻につくことなく作品世界にひたることができるのです。
白鳥圭輔は異物であり作品世界の象徴
仲村トオルの演じる「白鳥圭輔」。
厚生労働省から来た彼は、医師ばかりのこの作品のなかでは明らかに異物ですが、しかし作品を象徴する、そして視聴者を誘導するキーパーソンとなっています。
まず、彼の肩書き、「厚生労働省・大臣官房秘書課付技官兼医療過誤死関連中立的第三者機関設置推進準備室室長」ですが、この肩書きを見て、リアルなノンフィクション作品だと思う人は、まずいないと思います。
もしかしたら厚生労働省には、本当にこのような長い役職名があるのかもしれませんが、仲村トオルの軽妙な演技もあって、まあウソくさい(笑)。
でも、それでいいのです。
彼の持つ、「こんなヤツが厚生労働省にいるわけがない」という雰囲気と、「いや、もしかしたら官僚には、ああいう頭は良いんだけど頭がおかしな人がいるのかもしれない」というどっちつかずな雰囲気が、実はこの作品を視聴するうえでのガイドラインになっており、彼が画面に映るたびに「これはリアルな話だけど、エンターテインメント作品なんだよ」と作品を視聴するときの心構えを、視聴者の潜在意識に植え付けています。
そして、それがこの作品を心地よい世界にしているのです。
ギリギリだったミッドポイント
さて、そんなリアルとファンタジーのサジ加減が絶妙な当作品ですが、作品も半ばになった頃にちょっと強引な展開が待っています。
麻酔科医の氷室先生の自殺……に見せかけた殺人です。
この場面は、いわゆる三幕構成におけるミッドポイントで、「犯人が判明するが、しかし真犯人は別にいた」という刑事ドラマでよくある分岐点だったりします。
で、実はこの場面、結構ギリギリですよね。
氷室先生の落下時には、何人もの関係者がビルの周りに集まっていて、鉢合わせしなかったというのは、ちょっとありえない。おそらく秒単位ミリ単位の精密移動が必要です。
とはいえ、これは無理やり今ひねりだした難癖で、視聴時にはまったくそんなことは思いませんでした。
というのも、この場面に至るまで散々、「これはリアルな話だけど、エンターテインメント作品なんだよ」と念入りかつ丁寧に映像が主張しているからで、こういった作風にどっぷり浸かっている視聴者にとっては、そんな些細なことはどうでもよくなっている、あるいは、どうでもよくなるほど楽しめている状態なんですね。
まさにツッコミを入れるほうが野暮という状態になっているわけで、この作品に関していえば、この場面に至るまでの仕込み・視聴者への刷り込みが成功するか否かが、素晴らしい作品になるか否かの、まさに分岐点といえました。
実際、このようなドラマティックな展開は面白いです。
ですが、ノンフィクション的な作品だと思って視聴してしまうと楽しめません。
この相反する感覚を見事に解消したからこそ、チームバチスタの栄光は素晴らしい作品になったのです。
ワトソン役は有能
最後になりましたが、ミステリー作品には、いわゆるワトソン役が存在します。
通常は、視聴者や読者よりも知性が低い人物で、視聴者が疑問に思うようなことを他のキャストに質問しまくります。
当作品では、心療内科医の田口先生がワトソン役なのですが、親しみのわく見た目に反して彼は有能です。
捜査の足を引っぱることは決してないし、考え方は捜査向きではないけれど、それでも理路整然としていて知性を感じさせます。常にベストの判断と行動をとっています。そのくせ、次回作以降では成長して頼もしくなるという、伸び代のある人物です。
彼が失敗したり足を引っぱったりしないからこそ、イライラしないで視聴できた……そう感じた人も多かったのではないでしょうか。
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