今生での地獄と死んでからの地獄では・・・ - 地獄レストランの感想

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地獄レストラン

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今生での地獄と死んでからの地獄では・・・

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目次

今生での地獄の恐ろしさ

「今生で地獄を見た」と表現される場合、それは戦場で体験した場面を表現していることが多いのではないでしょうか。多くの死体があるからというだけではなく、人間のおぞましい姿を間近で見せられるからかもしれません。

日本国土でもっとも悲惨な戦場となったのは「沖縄」です。アメリカ兵の攻撃に遭い亡くなった人はもちろん、捕虜になるくらいならと自決して亡くなった人も多いようですが、驚くことに同じ国でありながら、日本兵に殺された地元民もいたようです。

ここでは「ガマ(ほら穴)」で起こった、事実とは信じがたい日本兵の姿がまるで地獄の鬼のように表現されています。当時は捕虜になると死んだほうがましだったと思うぐらい、ひどい扱いをアメリカ兵から受けると言われていたようです。そのために親たちは子どもたちをそんな目に遭わせたくないと、逃げられないと思った時には子どもも道連れにして自決していたようです。生き残るのは恥で、国のために命を捨てることこそ名誉だと言われていた時代にあって、死ぬことが怖いなどとは口が裂けても言えなかったということも、この自決者を増やした要因の一つだったのではないでしょうか。

一般国民でさえそのように思っていたのですから、兵士たちの場合は恐怖を感じるだけでも罪を犯しているような錯覚に陥ってしまっていたのではないでしょうか。自分たちが助かるために「ガマ」に逃げ込んできた日本兵ですが、怖くてあるいは命がほしくて「ガマ」に飛び込んだとは言えず、自分たちはお国のために戦っているため、一般人とは命の重さが違うのだという態度になってしまったのは、この恐怖心を悟られまいとする精一杯の見栄だったのかもしれません。本来であれば一般人を守るために「ガマ」の中の人々を守るべき立場なのでしょうが、この時ばかりはそのようなことを言っていられないくらい、「ガマ」の外は悲惨な状況だったのではないかと想像できます。

成仏できない地獄

親より先に亡くなった子どもはそれだけで地獄におちると言われています。それは「賽の河原」ともいわれていて、実際にそう呼ばれている河原が全国に点在しています。そこでは親のためとせっかく子どもが積み上げた石を鬼がくずし、また子どもが積んでいくといった無限の地獄が待っているようです。そのため「賽の河原」と呼ばれているところでは、決して石を崩してはいけないと言われています。子どもを早くに亡くしただけでも親は苦しみを味わうのに、その子どもが自分より早く逝ってしまったというだけで成仏できないとなれば、これ以上の苦しみはないでしょう。しかしそうはいっても決して成仏できないのかというとそうではありません。そういった苦しみから救いだしてくれるのが、お地蔵様の役目だそうです。そのため、水子供養のお寺にはお地蔵様が多くまつられているのでしょう。親を思う子と、子を思う親の気持ちが通じたときに、はじめてお互いが救われるのかもしれません。くずされる石をひたすら積んでいく子どもにとってもそれは地獄ですが、そんな子どもたちにひたすら慈悲をお地蔵さまに願うしかできない親たちにとっても地獄なのかもしれません。

一番恐ろしいのは人間

ここでは、ずる賢い人間によってやっつけられてしまう「閻魔」「死に神」「悪魔」が登場します。国や文化・宗教によって呼び名は変わるようですが、どれも同じ役割のようです。地獄のような最悪な状況であっても、自分の知恵や技術を利用し難なく地獄の攻めもかわしてしまいます。

「えんまさま、大失敗」では、生前行いの悪かった「鍛冶屋・医者・祈祷師」たちが、地獄に落とされてもなお地獄の責め苦から逃れるために、自分の得意分野を生かして難なく逃れます。これは上方落語家・桂米朝氏の十八番「地獄八景亡者戯」や田島征彦作の「じごくのそうべい」のもとの話になっているようです。どんなに「閻魔・死に神・悪魔」がおそろしいものでも、これらの者は人間に比べてあまり賢くなく、力と大きさだけに頼っているどこかコミカルな存在として紹介されています。

しかし、これを単なる人間の知恵に劣っている存在として捉えてしまってもよいものでしょうか?普段は恐ろしい存在として認識されている地獄の鬼たちですが、ここに登場する3人をみるとむしろ、恐ろしいのはこの3人のほうだと思えてしまいます。むかし話の中にも鬼をだまして難を逃れるという話はありますが、この3人の場合は自分たちが悪い行いをして地獄に落とされているということは横に置いて、地獄の責め苦をもろともしない自分たちの技にいい気になっているようにも思えます。

最後に・・・

お地蔵様にお花を供えるための小さな花束を渡されます。いまだ絶えない戦争被害者を供養するために手向けてほしいというレストランのオーナーの願いです。せめて生きている間だけでも地獄のような場面を体験する人が少なくなってほしいものです。

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