帰ってきた女たち - セックス・アンド・ザ・シティ2の感想

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帰ってきた女たち

3.53.5
映像
3.5
脚本
4.0
キャスト
4.0
音楽
3.5
演出
3.5

目次

ぶっちゃけアラフォー女たちはアラブ世界へ

『セックス・アンド・ザ・シティ(以下、SATC)』は本当に色あせない。

ドラマが始まったのがニューヨークに激震をもたらした9.11より前の1998年。そこから二十年近く経っても世界中の女性たちを虜にするのだから、もう伝説的作品といってもいいだろう。筆者は今年(2016年)からこのドラマを観始めたが、全く古さを感じさせないのがすごい、と思う。キャリーたちの考え方や、ファッションセンスが、常に現代を生きているかのように色あせず輝いているのだ。『SATC』を観たあとは無性にスタバに行きたくなるし、キャリーの靴へのこだわりに感化されて靴屋でウィンドウショッピングをしたくなる(これは筆者だけじゃない、と頑なに信じながら、私は今もスタバの片隅でパソコンをいじっています)。

そして『SATC2』である。この作品を観て、一番「やっぱりキャリーたちはすごい!」と思ってしまったのは、アラブ世界でもおかまいなしに彼女たちらしく振る舞っている点だ。

筆者はあまりアラブ世界に詳しくないので想像の話になるが、アラブの女性たちはむやみに肌を露出させず、性について身内以外と語り合うことなど一生ないものだと思いこんでいた。性に奔放なキャリーたちとは、まるで正反対の存在だ。そんなアブダビに四人が旅行へ……という展開になって、「これは逮捕オチもありえるぞ」となんだか心穏やかでなくなりハラハラさせられる。特に性風来坊のサマンサが無事でいられる訳ではない……とドキドキしながら観たが、落ち着いた結末はまさしく『SATC』らしいものでほっとする。やっぱり女性はどこの国でも、どんな神様を信じていても、オシャレが好きという結論に落ち着く。あ、サマンサはやっぱり連行されましたね。

『SATC』シリーズの面白さを再認識

ドラマ版『SATC』を今更ながら必死に追いかけている筆者であるが、劇場版『SATC2』を観であらためて、この作品の面白さとはなんだろう、とふと考える。

たぶん、『SATC』に恋愛モノとしての面白さを求めている人はいないんじゃないだろうか。邦画お得意の、恋愛映画のような色味は『SATC』にはない。一目ぼれをした、ときめいた、ということはあまり描写されず、勢いだったり雰囲気だったりで男性と付き合う。別れる理由も、相手(時には自分)の浮気だったり、性生活の不一致だったりと、とあまりに生々しい。『SATC』の恋愛要素が面白い!と感じるファンはあまりいないと思う(そこもリアルで好き!と言う人はいるかもしれないが)。

筆者は、この作品の面白さは、赤裸々に暴露させる性生活や、キャリーと友人たちの濃いキャラクター性、そして何より、性についてありのまま受けいれ、なんら恥じることなく自らの個性の一つとして表現していることにある、と思っている。

たとえば主人公四人たちは、性癖や男性の夜方面での好みをドラマのなかでためらいなく暴露している。また、交際している男性たちのアレだったりナニだったりをユーモラスに批判したりと、普段女性たちが腹の底で思っていた不満を白昼の下にさらす。それが小気味良く、他のドラマや映画では決して真似できない魅力を放っている。

それを裏付けるように、『SATC2』の冒頭では、キャリーの友人でゲイのスタンフォードの結婚式で始まる。アメリカ芸能界の大御所ライザ・ミネリも駆けつけるゲイ同士の結婚式。友人たちみんなが祝福するパーティーに、深い感慨を覚えたのは筆者だけではないだろう。

この序盤の一幕で、『SATC』の登場人物たちに差別や偏見はないのだ、と思い知らされた。ただ誰かを愛する意志を至上とし、歓迎して祝福する。やっかむこともなければ非難することもない。一種の理想郷が、そこにはあった。

アブダビでサマンサが暴走するのも、性に素直であるが故。アラブ世界においても彼女たちの魅力は抑圧されることなく、むしろ唯一無二の価値観を放ってくれるのである。

いわば社会からのポジティブな解放こそが、『SATC』シリーズのテーマなのかもしれない。

間違いや苦難から逃げることもまた一つの道なのか

もう一つ、『SATC』シリーズから学べることがある。それは、過ちや苦難への対処方法だ。

主人公たち四人は、ドラマや映画のなかで様々な困難にぶち当たる。自分が巻き起こすこともあれば、誰かによって、あるいは偶然の事故で引き起こされることもたびたびだ。『SATC2』でいうなら、キャリーとビッグの寝室テレビ騒動、シャーロットのベビーシッター騒動などが挙げられる。

例えば凡百の創られた物語であれば、何かしら友人や家族の助け、あるいは愛の絆によってこれらの問題は解決するのだろう。

だが、『SATC』ではそうではない。自分自身、時間、ありとあらゆるものに流される形で、事態を“消化”していく。

これは、飾り気なく現実そのものを表しているだろう。読者諸氏も、おそらく経験があるのではないだろうか。喧嘩別れした友人・恋人、なんとなく謝罪の機会を後回しにしたせいで、永久に断たれた誰かとの絆。あるいは、時間の流れに任せていただけで取り戻せた友情や愛情。

どこまでも等身大の“人間”であるキャリーたちの存在は、この現実を生きる私たちの道しるべになってくれるだろう。美しくそびえたつ、ニューヨーク・リバティ島の象徴のように。

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