異種間優劣決定戦の成功例
タッグものの成功例
人は「強く印象に残ったもの」を脳裏に刻み付ける。そして、また別の「強く印象に残ったもの」を、前に見たそれらと比べることがある。
これは人間にとってはごく日常的な反射的思考回路であるが、それが空想の創作物と創作物のぶつかり合いとなれば、楽しく厄介なことになる。
それは、悟空とルフィどっちが強いか、スパイダーマンとスーパーマンはどっちが凄いか、などという答えのない不毛な問いだ。もちろん、比べられるものではないから、答えが出るはずもないのだが、こんな「異種間優劣決定戦」は時に酒の肴として、時には友人とのたわいのない会話として、おおいに活躍する話題といえる。最近では、ジャパニーズモダンホラー決定戦『貞子vs伽耶子』などが記憶に新しい。
しかし、天下のハリウッドは、不毛とも思える「別作品の最強決定戦」を平然とやってのける。
その金字塔ともいえるのが、『フレディvsジェイソン』だろう。こちらも有名ホラー作品のモンスター同士を同じ映画のなかに登場させる、まさしく“夢のタッグ”と呼べる作品だった。
しかし、それ以降にも数々のタッグ作品が世に出たが、お世辞にも世に知られるほど有名な作品(=面白い作品)は多くはない(それはタッグものの課題である“収束の難しさ”にあると思うのだが、その話はまたあとで)。
『エイリアンvsプレデター』も、そのような“夢のタッグもの”“別作品の最強決定戦”として世に生まれた映画だ。『エイリアン』シリーズのゼノモーフ、『プレデター』シリーズのプレデターを戦わせるという、両作品のファンにはたまらない作品だ。
だが、フタを開けてみれば、『エイリアンvsプレデター』は両作品のファンのみならず、全く元ネタのシリーズを見たことのない人にも受け入れられ、むしろファン層を拡大させた良作として世に知られるようになった。まさしく“タッグもの”の成功例なのである。
「人間」と「敵」と「敵」の三つ巴のバランスが素晴らしい一作
また“タッグもの”の話に戻るが、多くのホラー“タッグもの”において、人間は一方的な被害者になりがちだ。それは、主役であるモンスターやクリーチャーを“活躍”させるための装置として、どうしても非力な人間を置く必要があるためである。
だが、『エイリアンvsプレデター』では、人間がプレデターと協力しエイリアンを倒すという、意外な展開が取られた。
これは、この作品ならではの展開だといえよう。なぜなら、プレデターは確かに映画作品においてクリーチャーという立ち位置ではあるが、同時に“誇り高い狩猟民族”という独自の個性を持っているからだ。
ここに、危険な宇宙生物である「エイリアン(ゼノモーフ)」を狩る狩猟民族(プレデター)という設定がおおいに活きてくる。エイリアンは人間にとって脅威以外の何者でもない(繁殖の道具として使われる)が、プレデターは“武装した人間”のみを獲物として捉えているだけであり、必ずしも全人類の敵になるとは限らないからだ。それどころか、プレデターとはコミュニケーションを取ることさえできる(実際、人間側はエイリアンの脅威に気づき、率先してプレデターの味方になることを願い出ている)。
そう、つまり『エイリアンvsプレデター』における夢のタッグとは、“人間”と“プレデター”のことなのである。プレデターの持つ近代武器を人間が使う、人間がプレデターをフォローする、などといった、プレデターファン垂涎の一作となっているのだ。プレデターが自身の丸めた手を上に向け、広げてみせることで「今から爆発するよ」とレックスに教えているジェスチャーなどは、どこかユーモアさえ感じるほどである。
他の“タッグもの”では、決してこうは行かなかっただろう。人間に協力するジェイソン、貞子、なんてギャグもいいところだ。
これは、誇り高き狩猟民族・プレデターが登場したからこそ出来る「人間・プレデターvsエイリアン」という構図であり、これこそまさしく“夢のタッグ”なのである。
大事なのはエンディング
さて、最初の項で少し触れたが、このテの作品で一番難しいのは「収束」だ。
誰もが知るモンスター同士が戦うまではいいが、そこは大人の都合で優劣を決められないという問題がある。
故に、“タッグもの”の結末はあやふやになりがちで、大抵が競っていた「何かと何か」が結託し、「何か」を倒すと収束する。
だが、『エイリアンvsプレデター』は前項のとおり、人間とプレデターが協力するという展開になったがために、エイリアンを倒して終わるという、映画としてまとまった、爽快感のある作りになっている。主人公のレックスは無事に帰還、しかもプレデターの槍(すげーかっこいい!)を貰うというサービスつきだ。
おそらく映画『エイリアン』のファンでも、「エイリアンがやられて悔しかった」などという人はおらず、『エイリアン』ファンも『プレデター』ファンも新規のファンも、一様に満足のいく作りになっていたと思われる。そして、ホラーにありがちな“後味の悪い最後”も健在だ。
このように、『エイリアンvsプレデター』は、1・元ネタの設定を極めて上手に活かし、2・映画としてのクライマックスの爽快感も健在で、3・かつホラーの定番も外さないという全てに花丸のついた映画として仕上がっているのである。
筆者はこの『エイリアンvsプレデター』から『エイリアン』『プレデター』シリーズにハマった口なので、以上のような考察を作り上げた。だが、こういったシリーズはいつ・どちらかのシリーズのファンであるかによって見方が異なるのが常であり、毀誉褒貶が大変に激しい。
読者諸姉諸兄は、この映画をどう捉えたであろうか。
- あなたも感想を書いてみませんか?
- レビューンは、作品についての理解を深めることをコンセプトとしたレビューサイトです。
コンテンツをもっと楽しむための考察レビューを書けるレビュアーを大歓迎しています。 - 会員登録して感想を書く(無料)